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試し読み

【歌舞伎町ホストクラブ激動の50年史】 華やかなだけではない“夜の街”の真実を描く! 石井光太『夢幻の街 歌舞伎町ホストクラブの50年』#5 暴力団との癒着~バブル崩壊

 新型コロナウイルス流行の震源地とされ、“夜の街”と呼ばれた新宿歌舞伎町。虚構と真実の入り混じる街で、ホストたちはどんな半世紀をたどってきたのでしょうか。
 ホストブーム、浄化作戦、東日本大震災、愛田武の死、そして新型コロナ……今まできちんと描かれることのなかった激動の半世紀に、ノンフィクション作家の石井光太さんが迫った『夢幻の街 歌舞伎町ホストクラブの50年』。発売したばかりの新刊から、一部を特別公開します。

―――――

暴力団との癒着

 八〇年代から九〇年代にかけての歌舞伎町は、暴力団なしに語ることはできない。
 関東の歓楽街は、関西と違って暴力団の縄張りがしっかりと決められている。この地区は◯◯会の縄張りというのが定まっていて、その組織の組員たちが自ら商売をするか、「貸しジマ(縄張りを貸す)」といって別の暴力団から使用料を取って貸すかしていた。そうやって一つの歓楽街に複数の暴力団が共存して、しのぎにしていたのである。
 現在の歌舞伎町には関西を拠点とする日本最大勢力の山口組をはじめとして九州の組織までもが入ってきているが、当時は関東を拠点とする住吉会と極東会が大きな影響力を持っていた。歌舞伎町で夜の商売をするためには、彼らに認めてもらう必要があり、毎月「みかじめ料」を支払い、盆暮れ正月などには別途金を支払わなければならなかった。
 みかじめ料というのは、要は用心棒代だ。毎月きちんと支払っていれば、「ケツ持ち(用心棒)」になってくれて、何かトラブルが起きた際に駆けつけて助けてくれる(別途費用が掛かる)。かつては歓楽街のトラブルには警察が介入できないようなことも多く、彼らの力が必要なこともあった。みかじめ料の金額は決まっておらず、月におおよそ三万円〜十万円ほどだが、隙を見せればたかられて大金を搾取されかねない。
 歌舞伎町で商売をするには、みかじめ料の支払いは必須だった。支払いを拒否すれば、店を破壊される、経営者や従業員が襲撃されるという嫌がらせが行われた。そのため、ホストクラブはどこも暴力団と少なからず関係があり、中にはオーナーが現役の組員だとか、兄弟分の盃を交わすといったこともあった。
 愛田観光は極東会がケツ持ちになっており、住吉会の親分などともつながりがあったが、主要なホストクラブの中ではもっとも暴力団との関係が薄かった。武は暴力団がしのぎにしているドラッグを極度に嫌って従業員が使用していると知れば解雇したし、後述するように最後は自分の命と引き換えに反社会勢力と決別を果たしたほどだ。
 だが、当時は歌舞伎町の掟に従って、武もそれなりの付き合いはあった。狭い街なのでどこかで顔を合わせるし、客として店に遊びに来ることも少なくない。完全に関係を断つのは不可能だった。
 一方で、店で働くホストたちと暴力団の付き合いの深さは個々によって違った。路上ですれ違った時に挨拶する程度で済ませる者もいれば、零士のように営業の一環として懐に入り込んでいく者もいた。中には、暴力団と手を組んで、女性客を風俗に沈める、薬物依存症にするといったことをしている者もいた。何にせよ、すべては自分の判断一つであり、何かあった時は自己責任だった。
 この時代のホストたちは暴力団との関係に関するエピソードには事欠かない。零士の体験を紹介しよう。
 ニュー愛のNo.1として働いていた頃、零士の常連客に暴力団幹部のTという男性がいた。Tは女の前では偉そうに振る舞っているので、店に女を連れてきては零士に接待させた。零士はTの代わりに女を笑わせたり、褒めたり、あるいはTを立てたりしてもてなした。
 Tは女グセが悪く、未成年から外国人まで見境なく手を出しては店で朝まで遊んでいた。ある日、零士は店にやってきたTが肩を組んでいる女性を見て目を疑った。別の暴力団の幹部が愛人にしている女だったのである。知ってか知らずか、Tはその女を寝取ってしまったのだ。
 零士は「これはマズイ」と凍りついたが、下手に首を突っ込めば、組同士の抗争に巻き込まれる可能性があるので、何も知らないふりをするべきだと判断し、平静を装って接客した。
 Tはこの女を気に入ったらしく、その後も何度も店に連れてきては明け方まで大騒ぎしていた。狭い街なので、それはたちまち噂となって広まった。
 ある日、零士は午前三時頃に少し遅れて店に出勤した。すると、店の外に見慣れない黒塗りのベンツが止まっていた。傍の電信柱の陰には、目つきの悪い男が隠れるように立っている。
 零士が何だろうと思って見ていると、通りかかった知り合いが耳打ちしてきた。
「あれ、ヒットマンだぞ。ニュー愛にいる客の誰かを狙っているんだろ。絶対にかかわるなよ」
 零士は店に入って客席を見回した。ステージの前の席で、Tと例の女が酒を飲んでいるのを見て、彼らに違いないと思った。二人の関係が明らかになり、他組織の幹部がヒットマンを送り込んできたのだ。
 とっさに零士は考えを巡らせた。店の中で発砲事件が起これば営業停止は免れないし、警察を呼べばTをかばったとして自分が逆恨みされるかもしれない。この苦境を切り抜ける方法は一つ。店からTと女を「消す」しかなかった。
 零士はTのテーブルに行き、そっと耳打ちした。
「外にヒットマンが来ています。裏口から外へ案内しますので、しばらく二人で逃げてください。当分うちの店には来ない方がいいです」
 店の中にもヒットマンが潜んでいないとも限らない。Tは二人にトイレに立つふりをさせて、人目につかないように裏口へ案内すると、外へ逃がした。これによって、零士は店をトラブルから守っただけでなく、Tに対して恩を売ることになった。
 このようにホストとして暴力団と付き合うには、単純に接客をしていればいいというわけではない。それなりの高い対応力が必要になってくる。逆に言えば、それができないホストは街から消えていくことになる。
 暴力団とのトラブルから起きた事件で有名なのが、愛本店のNo.1ホストの赤城山射殺事件だろう。
 一九九一年、ニュー愛で零士がNo.1ホストに上りつめた頃、愛本店ではSというホストがNo.1に君臨していた。二十五歳。目が鋭く、荒々しい性格で、肩で風を切って歩くような男だった。
 歴代の愛本店のNo.1は、大勢のヘルプを従えるアイドル系のホストだった。だが、Sは同店では珍しいほどの一匹狼だった。以前は浅草にあったホストクラブ「国際」に在籍しており、近くに吉原があったことから、ソープ嬢から徹底的に金を絞り上げることを得意としていた。愛本店に移ってきてからも、国際時代に付き合いのあったソープ嬢を店に呼び込むか、逆に歌舞伎町の水商売の女性を吉原のソープランドに沈めて金をつくらせるかしていた。
 ちなみに、この頃のソープ嬢の収入は平均して現在の倍以上あった。店のトップともなれば、遊郭の花魁のようにもてはやされ、「部屋持ち」といって店に専用の個室が用意され、男性従業員が身の回りの世話から買い物まであらゆることをしてくれた。今はせいぜい人気ソープ嬢でも月の稼ぎは百万円ちょっとだが、当時は三百万円〜五百万円ある子もザラにいて、最低でも百万円以上の稼ぎがあった。
 愛本店に話をもどせば、SのNo.1の地位を支えていた太い客の一人が、国際時代からの客である中年女性だった。この女性は彼の客にしては珍しくソープ嬢ではなく、暴力団の「姐さん」、つまり組長の妻だった。
 Sはこの姐さんに対しても他の客と同じように高圧的な態度を取っていた。ふんぞりかえって顎でつかい、高価な酒を次々に頼んで会計を押し付けた。店の中で女性客に手を上げることもあった。
 ホストたちの間には、「Sは姐さんをシャブ(覚醒剤)漬けにして金を貢がせているらしい」とか、「姐さんに旦那の組事務所にあった覚醒剤を大量に盗んでこさせたようだ」といった噂がまことしやかに流れていた。だが、Sは誰にも気を許そうとしなかったので、真実はわからなかった。
 ある時期から、Sの身の回りの空気が不穏になった。愛本店に暴力団関係者から次々にSに対する脅迫の電話が掛かってきたのだ。Sが強面の男たちにつけ回されているという話もつたわってきた。この件に例の姐さんがどこまで関係しているかは定かではない。だが、Sも高飛車な態度を曲げず、電話越しに暴力団に対して「うるせえんだよ!」「知るか、ボケ!」と怒鳴りつけていた。
 ホストたちはSの勝気な言動を見て気が気でなかった。プライドの高さがそうさせたのだろうが、相手が暴力団であれば、引くところは引かなければ取り返しのつかないことになる。脅迫電話は日増しに多くなっていた。
 八月十五日の午前一時、ついに事件が起こる。
 日中の暑熱が残る夜、愛本店は二部営業をスタートした。若手ホストは開店前にやってくるが、エース級は遅れて現れるのが普通だ。Sがスーツ姿でやってきたのも、開店から少ししてからのことだった。
 時を同じくして、愛本店の入り口の傍に、一台のベンツがエンジンをつけたまま静かに止まった。乗車していたのは、二十一歳から三十六歳までの山口組系の暴力団員四名だった。彼らは車から飛び出すと、Sを羽交い締めにして強引に車内に引きずり込み、そのまま猛スピードで歌舞伎町から去っていった。
 現場にいたホストたちは一部始終を目撃したが、突然のことで止めに入ることさえできなかった。このことは武や朱美にも知らされた。ここ数週間の脅迫電話と関係があるとは推測できるものの、犯人が誰であり、どこへ連れて行かれたのか見当もつかない。捜索届を出すこともできず、Sの無事を祈るしかなかった。
 二日後、愛本店に一本の電話が掛かってきた。群馬県警だった。県警の刑事は、社長の武を呼び出して言った。
「おたくの店でホストをしているSらしき遺体が発見されました。身元を確認したいので、顔のわかる方が来ていただけないでしょうか」
 残されていた遺品から愛本店で働いていた証拠が出てきたという。それで身元確認の依頼が来たのだ。
 武が店を代表して警察署へ行くことになった。刑事に伴われて署の一室に入ると、ベッドに男性の遺体が横たわっていた。武はその顔を見て絶句した。顔は暴行を受けて腫れ上がり、原形をほとんど留めていなかったのだ。額には弾痕があり、後頭部が半分吹き飛ばされている。面影からなんとなくSだとわかるくらいだ。
 刑事は説明した。
「何者かによって歌舞伎町で拉致された後、群馬県利根村(現・沼田市)の傍にある林道に連れて行かれました。そこで暴行を受けた後、至近距離から額に銃弾を撃ち込まれて殺されたようです」
 犯人たちは最初から殺害目的で拉致して赤城山へ連れて行き、到着するや否や暴行した上で拳銃で殺したのだ。
 後日、この事件の実行犯は警察によって逮捕され、四名が起訴され、実刑判決を受けた。だが、指示をしたと考えられた組長は、証拠不十分のため立件されることはなかった。結局、真相は明らかにならなかった。
 愛本店のNo.1ホストが殺害されたというショッキングな事件は、歌舞伎町のホスト業界に大きな傷跡を残した。歌舞伎町でホストクラブは暴力団と共存しているように思っていたが、極めて危ういバランスの上で成り立っており、ことを間違えれば命を奪われかねないということを改めて思い知らされたのだ。
 あるホストクラブのオーナーは言う。
「ヤクザ屋さんっていうのは、暴力商売なんですよ。暴力の上にビジネスが成り立っているということ。定期的に殺人事件なんかを起こすことで、俺らに『ヤクザは怖いんだ』という恐怖心を植えつける。だからこそ、俺たちはヤクザ屋さんに従うわけだし、みかじめ料を差し出す。
 どれだけ親しくなっても、本当の意味で信頼関係なんてないんだと思います。忘れた頃に見せしめのように不意打ちされる。だから、付き合いが長くても、絶対に油断しちゃいけないし、どこかで引いて相手を立てるということをしつづけなきゃならない。それを忘れれば、街から消えるしかないんです」

バブル崩壊

 一九九〇年代前半、日本経済は突如として悪夢のどん底に叩き落された。
 その五年ほど前から、国内では地価や株価の異常な高騰がつづいて空前の好景気を迎えていた。企業も人々も熱に浮かされ、あふれる金を湯水のようにつかっていた。そのバブル景気が突如として破裂し、日本の好景気が音を立てて崩壊しはじめたのである。世に言う「バブル崩壊」だ。
 当初、大多数の日本人はこれを一時的な不況だと考え、またすぐに景気が回復すると信じていた。だが、日本経済は月日を経るごとに悪化していき、不動産業界や金融業界を筆頭とした名だたる大企業がドミノ倒し的に倒産していった。個人事業主は商売に行き詰り、サラリーマンに対しても大規模なリストラが行われた。これによって、国民は否応なしに冬の時代が訪れたことを認識せずにはいられなくなった。
 バブル崩壊による不況の波は、歌舞伎町のネオン街にも襲い掛かった。最初に打撃を被ったのは、クラブ、ラウンジ、キャバクラといった女性が男性を接待する店だった。こうした店の多くは、会社の接待でつかわれていて、会計は接待費として経費で精算されることが多い。苦境に陥った企業は真っ先に接待費を削減するので、クラブなどが痛手を被ることになるのだ。
 この防波堤が決壊した後、夜の街はすべて数珠つなぎになっているために他の業種も軒並み不況の波の直撃を受けることになった。売春業が儲からなくなり、闇カジノに人が訪れなくなり、暴力団のしのぎが狭められていく。これによって、ホストクラブも女性客を大量に失った。
 一九八〇年代の歌舞伎町には、七つの主要なホストクラブがあったことは既述の通りだ。どの店も暴力団と何かしらのつながりがあり、税金もろくに支払っていないようなところばかりだったのに経営が成り立っていたのは、バブルの狂気じみた好景気に下支えされていたところが大きい。夜の街にド派手なネオンを灯してさえおけば、店として大した経営努力をしなくても、裏社会のネットワークで風俗嬢たちがあり余る金を手にして客として流れ込んできた。
 ところが、こうした店は不景気になった途端に一転して窮地に陥った。経営が傾いても、オーナーは打開策を見出せず、ホストたちは満足な収入が得られなくなったことによって蜘蛛の子を散らしたように逃げていく。こうしてわずか数年のうちにホストクラブは廃業に追い込まれ、歌舞伎町から姿を消していった。
 ホストクラブの中で最初につぶれたのが千扇だった。複数の関係者によれば、ここのオーナーは現役の住吉会の組員であり、ホスト自身にも組員が交じっていて、客層もかなり悪かった。そのため、不況の荒波がまともに直撃した時、立て直す手立てを打つことができず、経営破綻したのだ。
 次に閉店に追い込まれたのが浅草に姉妹店のある国際、つづいて後に述べるキャッツアイ、最後が夜の帝王の順だった(夜の帝王は少し後までつづく)。バブル崩壊から数年で名だたる店がなくなったのだ。
 こうした中、しぶとく歌舞伎町に根を張り生き残ったのが、愛田観光の愛本店とニュー愛だった。
 愛田観光の強みは、トップの武の周りを優秀なホストばかりでなく親族でがっちりと固め、一企業として経営を成り立たせていたところにあった。武は朱美を副社長にしていただけでなく、息子と娘の計五人を側近として働かせていた。まず武には愛人に産ませた三人の息子がいた。長男の孝、次男の元、三男の彰である。母親は三人とも異なったが、店で知り合った常連客の女性という点では同じだった。
 たとえば、孝は祖父母に育てられ、父親は行方不明と聞かされていたが、三十歳の時に実父が愛田武だと教えられる。会いに行ったところ、武は彼の存在を知っており(母親と籍は入れなかったが、実家に毎月十万円の養育費を届けに行っていた)、「うちの店で働かないか」と誘った。それが切っ掛けとなり、孝は愛田観光の内勤で約十五年間側近として支えた。他の息子たちも形こそ違え、成長してから武のもとへ行き、店で働いていた。
 娘二人は、朱美が銀行員の夫との間につくった連れ子だ。長女が磨里、次女が紋子。武は血こそつながっていなかったが、彼女たちを目に入れても痛くないほどかわいがり愛田観光の事務を任せた。
 辣腕ぶりを見せたのが磨里だった。まだ彼女が二十代の頃、武が金を出すから何か事業をやってみないかと持ち掛けた。そこで彼女はこんなことを提案した。
「女の子が女の子を接待するお店をつくりたい」
 武は面白いと考えて磨里に任せてみた。磨里は日本で初めてのおなべバー「マリの部屋」をオープンさせた。彼女にはバイセクシャルの一面があり、昔からそういう店のイメージや人脈があった。
 当時はまだレズビアンといった言葉さえほとんど浸透しておらず、同性愛というだけで「精神病」と見なされ差別を受ける風潮があった。そんな中で堂々と女性がレズビアンやおなべであることを明らかにして集まれる店ができたのは世間に衝撃を与えた。
 マリの部屋は瞬く間に人気店となり、一九八八年にはおなべクラブ「ニューマリリン」としてリニューアル。その後も「マリリン2」をオープンさせ、一時期はおなべやレズビアンの聖地となった。
 愛田観光はホストクラブに加えておなべクラブを持ったことで、社会的マイノリティーに居場所を提供する企業として知られるようになった。そのため、著名人に愛され、社会的に一目置かれ、自然と客層も良くなっていく。バブル崩壊による被害を最小限に食い止められたのには、そうした客層が支えていたことも大きい。
 歌舞伎町のホスト街にとってバブル崩壊は観測史上最大の台風のようなものだったが、愛田観光が秀逸だったのは、これを自らの肥しへと変えたことだ。倒産によって職を失ったホストたちを次々と吸収して、店をより巨大化していったのだ。
 この愛田観光の発展をつぶさに見てきた男がいる。現在、愛本店の専務を務めている野口左近だ。野口は一九六四年生まれで、中学卒業後は日本そば屋に弟子入りするような形で住み込みで働いていた。店が吉原の入り口にあったことから、よくソープランドへ出前を届けに行っていた。
 十年間、休日と呼べる休日もなく、毎日午前七時から午後十時まで働きつづけた。親方に𠮟られ、先輩にいじめられても、歯を食いしばって耐えた。だが、二十六歳になっても将来の見通しが立たないことから辞職を決意する。
 これからどうしようかと考えていた矢先、ふと脳裏を過ったのが、出前先のソープランドで知り合ったホストクラブキャッツアイの常務だった。ホストクラブなら中卒の自分でも稼げるかもしれない。そう思って連絡を取り、キャッツアイで働きだした。
 入店して早々、野口は源氏名を決めることになった。提案されたのが、今の名前だった。かつてのアイドルに「新御三家」と呼ばれる、郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎がいた。先輩ホストがすでに郷と西城を名乗っていたため、野口とつけられた。
 キャッツアイは、愛田観光に倣ってホストへの最低保証制度を取っていたが、店の雰囲気は荒んでいた。チンピラのような先輩ホストたちが威張り散らしていて、後輩に対するいじめは日常茶飯事だった。
 野口はホストとしての成功を夢見て雑用から接待まであらゆることをこなしたが、新人である彼の目にも経営のずさんさは明らかだった。諸悪の根源は、オーナーだった。
 関係者の話を総合すれば、オーナーは暴力団と昵懇で、覚醒剤中毒と噂される人間だったそうだ。暴力団と企業舎弟みたいな関係だったという話もある。店には暴力団幹部が我が物顔でやってきては好き勝手に飲み食いしたり、オーナーに売上金をたかったりする。これが毎日の光景であれば、店の客層はどんどん悪くなっていき、ホストたちも野放図になる。
 野口は振り返る。
「オーナー自身が半分ヤクザみたいな人間でしたよ。ホストが店を辞めたいと言ったら、いきなり包丁出して『辞めるなら指つめろ』と迫ってくる。そのくせ、本職のヤクザには弱腰で金を吸い上げられる。これじゃ、うまくいくわけがありませんよね。
 僕が入店した翌年、後に『トップダンディー』の社長となる高見翔がキャッツアイに入ってくるんですが、彼は入店した月に新人賞を獲って、翌月にはNo.2になったけど、一年ほどでさっさと辞めてしまった。この店はヤバイっていう嗅覚が働いたんでしょうね。そういう嗅覚は一流ホストには不可欠なものなんです」
 バブルの崩壊によって、キャッツアイの経営が傾き、倒産に追い込まれるのは必然だった。
 その日はあまりに突然訪れた。一九九三年一月の深夜、野口がキャッツアイに出勤したところ、店の外にホストたちがあふれ返っていた。ドアの鍵が開かないのだという。手分けして方々に確認したところ、オーナーが失踪していることがわかった。経営に行き詰って行方をくらましたのである。
 野口は頭が真っ白になった。前月の十二月、野口は必死の思いで指名客に来てもらい、入店三年目で初めてNo.1に上りつめたばかりだった。オーナーがいなくなれば、その給料はもらえなくなる。
 内勤の幹部が、意気消沈しているホストたちに言った。
「未払いの給料は、俺が金融屋から借りてなんとかしてやる。その代わり、みんなで愛に移籍しないか」
 内勤の幹部は愛田観光の創業メンバーの一人だったが、ある事情から武と衝突してキャッツアイに移籍した過去があった。彼は、キャッツアイのホストたちを引き連れて武に頭を下げれば、再び受け入れてもらえると計算したのだろう。
 野口は以前から愛田観光への憧れがあったため、渡りに船だった。
「愛に行けるなら行かせてください!」と野口は言った。
 他のホストたちも異口同音に愛田観光への移籍を希望した。
 後日、内勤の幹部は愛田観光の武のもとへ行き、キャッツアイ閉店の事実を打ち明け、自分とホスト四十名を移籍させてくれないかと頼んだ。武は過去を咎めることもなく、全員を受け入れると明言した。そして翌月、四十名のホストのうち二十五名が愛本店へ、十五名がニュー愛へ移った。野口は愛本店へ籍を置くことになった。
 野口は武がキャッツアイのホストたちを丸ごと受け入れた理由を次のように語る。
「社長(愛田武)は、ホストクラブの特性を熟知していたからこそ雇ったんですよ。ホストクラブのお客さんっていうのは、ホスト目当てで店に来るんです。店で選ぶんじゃなくて、ホストで選ぶ。わかりやすく言えば、お気に入りのホストがキャッツアイにいたらキャッツアイに行くし、愛本店にいたら愛本店に行くということです。
 だから、愛としてはキャッツアイにいたホストを取り込めば、そのホストについていたお客さんも同時に愛に取り込むことができる。人気ホストを抱えれば抱えるほど、それだけお客さんが増えて繁盛するんです。
 もちろん、店の大きさは決まっているので、雇えるホストの数には限りがありますよ。でも、あの頃のホストクラブの派閥システムや給与体系では、客を呼べないホストは自然と辞めていくんです。四十人雇ったところで、半年後まで残っているのはちゃんと自分のお客さんを持っているホストだけ。そうすれば、店としては精鋭ぞろいになりますよね。
 社長は間違いなくそこを狙っていました。それで他店のホストを吸収して大きくしていく道を選んだんです」
 ホストクラブに限らず、水商売の離職率は非常に高い。だからこそ、どんどん雇い入れることでふるいにかけて、客を呼べるエースだけを残す。店が精鋭ホストの集団になれば、盤石の地位を築くことができる。キャッツアイだけでなく、次々と閉店したホストクラブすべてに対してこれを行えば、愛田観光グループが絶対的な力を持つのは必然だろう。
 ただ、愛田観光の真の強みは、こうした計算された経営手法だけにあるわけではなく、愛田武という人間のカリスマ性も大きかった。
 野口は武について述べる。
「社長は、キャッツアイのオーナーと比べるとまったく人間が違いました。とにかく純粋にホストクラブが大好きなんですよ。自分だけが儲けようと考えたり、従業員を駒のように考えたりすることは一切ありません。店にあるものはほとんど社長の手作りだったし、困ったホストがいれば親のように面倒を見てあげていた。だから、ホストの方もお金云々だけじゃなく、社長のためにがんばろうと思ったし、何かいい話があれば真っ先に持っていった。結局その人間性があるから、他の店のホストたちがこぞって愛に移籍することを目指したんだと思います」
 ホスト業界で、武はカリスマと称される。店を業界一の人気店に育て上げたことも確かだが、それ以上に大勢の人を引き付ける魅力を備えていたことが大きいのだろう。店にとって、愛田武の存在そのものが最大の優位性だったのだ。
 一九九〇年代の半ば、愛田観光は歌舞伎町のホスト街における不動の王者の地位に上りつめる。その規模も実力も他の追随をまったく許さないほどであり、ホストクラブと言えば愛とされるほどの時代が到来した。
 だが、奇しくも、愛田観光のあまりに大きすぎる力が、これまでにない新たな形のホストクラブを生み出すことになる。それをつくり上げたのは、武の子供に当たるような年齢の一九七〇年前後生まれの男たちだった。

―――――

試し読みはこれが最終回です。
続きは書籍でお楽しみください。

書誌情報



書名: 夢幻の街 歌舞伎町ホストクラブの50年
著者:石井光太
発売日:2020年9月25日(金) ※電子書籍同時発売
定価:本体1600円+税
体裁:四六判並製・320ページ
装丁:國枝達也、カバー写真:森山大道
ISBN:9784041080238
発行:株式会社KADOKAWA
https://www.kadokawa.co.jp/product/321811001053/

目次

プロローグ 男たちの漂流
第一章 「愛」の時代
 愛本店/朱美とニュー愛/暴力団との癒着/バブル崩壊
第二章 ロストジェネレーション
 男の園/トップダンディー/ロマンス
第三章 革命
 ロマンス黎明期/記録の男/広告革命/ホストの女/芸能人
第四章 ホストブーム
 第一波/客層の変化/第二の波/仁義なき戦い
第五章 歌舞伎町浄化作戦
 都知事/協力会結成/栄枯盛衰
第六章 寵児
 グループ戦略/イケメン戦略/滅亡
第七章 落城
 レジェンド/お家騒動/愛の買収/巨星堕つ
エピローグ  新型コロナの震源地と呼ばれて

著者について

石井 光太(いしい・こうた)
1977年東京都生まれ。国内外を舞台にしたノンフィクションを中心に、児童書、小説など幅広く執筆活動を行っている。著書に『絶対貧困 世界リアル貧困学講義』『遺体 震災、津波の果てに』『「鬼畜」の家 わが子を殺す親たち』『浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち』『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』など多数。


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