「1300年間、読み継がれている帝王学の教科書」といわれる『貞観政要』。稀代の読書家であり、立命館アジア太平洋大学(APU)の学長である出口治明さんも座右の書にする中国の古典です。新刊『座右の書「貞観政要」』から、出口さん流の「読み方・活かし方」を、試し読みしてみましょう。
>>仕事のあらゆる悩みの答えは1300年前に出ている? 出口治明さんが座右の書『貞観政要』を解説
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上司は「人間として偉い」わけではない。
部下と「機能が違う」だけ
●君主をさとした漁師の「まっとうな言い分」
上司も部下も、組織を運営するための機能のひとつにすぎません。チームで仕事を回すために、上司はたまたま上司の機能を割り当てられただけです。上司は部下よりも人間として偉いわけではまったくありません。
人間には、頭や手足がありますが、必ずしも頭が偉いわけではありません。頭には頭の、手足には手足の役割があり、それぞれが機能を十分に発揮することで、より良く生きていけます。組織も同じです。
上司の機能をひとことでいうと、「組織をまとめる」「方向を示す」という役割です。
今、どの方向に風が吹いているか、社会がどの方向に変化しているかを見極め、その変化に適した人材に任せる。適材適所に人材を配置し、チームとしてのパフォーマンスを上げる。それが上司の機能です。
『貞観政要』の中で、太宗の臣下である魏徴が、晋の文公(春秋時代の晋の君主。春秋五覇のひとり)の逸話を用いながら、リーダーの役割について説いた一節があります。
文公が狩りに出て獲物を追いかけているうちに、湿地帯の中で道に迷ってしまいます。すると、ひとりの漁師と出会いました。
文公は、「私はおまえの主君である。道を教えてくれれば、礼をしよう」と漁師に道案内を頼みました。
2人が湿地帯の外に出たあと、漁師は文公に向かって、話しはじめます。
オオトリやクグイといった大きな鳥は、黄河(こうが)や海など、広い場所に生息しています。けれど、そこにいるのが嫌になって小さな沢に移ると、どうなると思いますか? 目立ってしまい、撃たれてしまうかもしれません。君主のいるべき場所は、広い場所であって、沢のような狭い場所ではないはずです。それなのに、どうしてこんなに遠くまでやってきたのですか? 万一の危険があったらどうするのですか?
(巻第五 論忠義第十四 第八章)
漁師が伝えたかったのは、「自分の役割を忘れてはいけない」ということです。君主の機能は、猟をすることではありません。国を治めることです。猟をするのは、猟師の役割(機能)です。君主は獲物が欲しいときは、専門の猟師から買えばいいのです。
また、君主が猟をするということは、猟師の仕事を奪うことでもあります。たとえ君主であっても、猟師の機能をみだりに奪ってはいけません。君主が夢中になって獲物を追いかけるのは、権限の感覚がないからです。
上司は、部下の権限を代行できない。これが、権限を付与するときの基本的な考え方です。ひとたび権限を委譲したら、その権限は部下の固有のものであり、上司といえども、口を挟んではいけません。
●この「権限の感覚」は絶対に忘れてはいけない
文公の故事を引き合いに出したところに、魏徴の賢さがうかがえます。文公は、19年間諸国を放浪したのちに君主となった、苦労人として知られる人物です。
苦労に苦労を重ねて、人生の酸いも甘いも知り、世事に長けていた晋の文公ですら、ついつい権限の感覚を忘れて、猟に夢中になってしまうことがありました。
太宗は文公よりも若く、経験も浅いのですから、なおさらです。これまで以上に自分の立場をわきまえなければ、国を豊かにすることはできません。魏徴はそのことを太宗にわかってもらうために、文公を例に挙げたのです。
逸話の中では、漁師が話を終えたあと、文公は、「良いことを教えてくれた」と漁師を褒め、褒美をとらせようとします。でも、漁師はそれを辞退しました。今ここで褒美をいただかなくても、君主が君主としての機能を果たし、いい政府をつくり、国を豊かにしてくれれば、自分もその恩恵を受けることができるからです。
君主が本来の機能を果たさなければ、たとえここで褒美をもらっても、結局は貧しくなってしまいます。そのことをわかってもらうために、漁師はあえて褒美を受けとらなかったのです。
強い組織をつくるには、上司も部下も、君主も人民も、与えられた役割に注力すべきです。人間にはそれぞれ、組織上、仕事上の本分があります。自分の本分でないことには手を出すべきではありません。
とくにリーダーは、「権限を与えたら、あとから取り戻すことはできない」「上司といえども、部下の権限を代行することはできない」という権限の感覚を身につけることが重要です。リーダーはまず、「オールマイティではない」ということを強く自覚すべきです。