座右の書『貞観政要』
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非常事態にこそ「リーダーの真価」が問われる【『座右の書「貞観政要」』試し読み⑦】
新型コロナウイルス(COVID-19)が世界中を非常事態に陥らせ、会社組織も対応を迫られていますが、こうした緊急事態はリーダーの真価が問われる場面ともいえます。「1300年間、読み継がれている帝王学の教科書」といわれる中国の古典『貞観政要』を出口治明さんが解説した『座右の書「貞観政要」』から、「情報がないなかでも、判断する」ために必要な心構えについて紹介します。
>>第6回「非常事態のリーダーこそ『しっかり寝ること』が必要」
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明君の条件――「複数の人の意見」を聞いているか
●物事は、見る角度によって善にも悪にもなる
貞観2年に、太宗が臣下の魏徴に質問しました。
「どのような人物が明君で、どのような人物が暗君だと思うか?」
すると魏徴は、即答します。
「君主が明君と呼ばれるとしたら、その理由は、多くの人の意見を聞いて用いるからです。反対に暗君と呼ばれるとしたら、その理由は、一方の人のいうことだけを信じるからです」
(巻第一 君道第一 第二章)
なぜ、多くの人の意見を聞く必要があるのかといえば、見る人、見る角度によって、物事の見え方は変わるからです。
たとえば、消費税の軽減税率(特定のものについて低く設定される税率のこと)について、ある人は、「食料品や生活必需品の税率が上がらなければ、安く買えるので、嬉しい」と考えていました。
ところが、軽減税率は高所得者にも適用されるため、実際に軽減される金額で比較した場合、高所得者のほうが軽減額は大きくなってしまうことがわかりました。するとその人は、正反対の評価をするようになったのです。「なんだ、結局は、お金持ちへのばらまき策じゃないか。とんでもない話だ!」と。
低所得者は、もちろん軽減税率の恩恵を受けられます。「毎日買う生活必需品が安くなる」のは、本当です。噓ではありません。高所得者の軽減額が大きくなるのは、高所得者層のほうが高級食料品などにたくさんのお金を使っているからです。
つまり、低所得者と高所得者を比較したことで、その人の考え方が変わったのです。
この例のように、物事は見る角度によって、善にもなり、悪にもなります。したがって、物事を公平に、客観的に評価するためには、さまざまな視点からの意見を集める必要があります。
●僕が〝暗君〞にならずに済んだ理由
魏徴が太宗に伝えているのは、「360度評価」の大切さです。360度評価とは、複数の人が評価を行う評価方法です。
評価者の評価の違いに着目することで、物事を的確に、立体的に捉えることができます。
日本生命に勤めていたときの話です。僕には、話すのが苦手な相手(Aさん)がいました。苦手な理由は、話がひたすら長くて要領を得ないからです。
あるとき、Aさんが僕のところにやってきて、いつものようにくどくどと話をはじめました。僕はまともに相手をする気になれず、仕事をしながら片手間で聞いていました。
30分ほど過ぎて、ようやくAさんが帰ると、今度は、部下のBくんに声をかけられました。
「出口さん、ちょっと、こっちに来てください」
別室に連れて行かれた僕は、Bくんから思わぬダメ出しをされました。
「出口さん、あの態度は何ですか! ダメです! Aさんは年長なのにわざわざ出口さんの意見を求めにきているのだから、相手の目を見て、じっくり話を聞かないと。忍耐の修練だと思って、我慢してください!」
僕が暗君にならずにすんだのは、部下のおかげです。その日以来、Aさんが姿を見せると、Bくんが「忍耐、忍耐」とささやきます。僕も「これは忍耐の修練だ」と自分にいい聞かせ、我慢することを覚えたのです。
●リーダーは「話を聞く相手」を選んではいけない
『統治の書』は、セルジューク朝(現在の中央アジア、イラン、イラク、トルコを中心に存在したイスラムの大王朝)最盛期の宰相で、11世紀に活躍したニザーム・アルムルクが著した政治論の名著です。
この本の中に、我慢の大切さを伝える秀逸なエピソードが紹介されています。7世紀に成立したウマイヤ朝の初代カリフ(ムハンマドの代理人)だった、ムアーウィヤの逸話です。
ムアーウィヤが大臣を集めて閣議を開いている最中に、貧しい身なりをした若者が姿を見せ、ムアーウィヤに陳情します。その陳情の内容が、驚きでした。
「私は独身です。そして、ムアーウィヤ様のお母様も独身だと聞きました。私とお母様が結婚すれば、独身者が2人消えて、ひと組のカップルが生まれます。そうすれば、アッラーはお喜びになると思うのです。そこで、ムアーウィヤ様に私とお母様の仲立ちをしてほしいと思い、ここに参りました」
大臣の多くが「何をいい出すか!」「早く追い出せ!」と憤慨する中、ムアーウィヤは、にっこり笑って頷き、若者に問いかけました。
「ところで、なぜおまえは私の母を嫁にもらいたいのか。私の母はもう歯も抜けた老婆だ。どこに魅力があるのか?」
「ムアーウィヤ様のお母様は、お尻が大変大きいとうかがっています。私は、お尻が大きい女性が大好きなのです」
「なるほど。私の死んだ父も、母の大きいお尻に目がくらんだのかもしれない。その結果として、私が生まれたのだろう。よろしい。おまえと母のあいだを取り持つのに、私ほどふさわしい者はいない。今度、母に聞いてみるとしよう。そして、母が良い返事をしたならば、おまえに連絡をしよう」
不躾な陳情にも表情を変えることなく、最後までにこやかに耳を貸したムアーウィヤを見て、大臣たちは、「さすがに人の上に立つ方は違う。我々は、とてもムアーウィヤ様のように我慢強く、寛大にはなれない」と感嘆し、ひれ伏したそうです。
君主の力をもってすれば、問答無用で追い返すことも簡単にできたはずです。けれど、それをしなかったムアーウィヤもまた、「360度評価」の大切さがわかっていた明君でした。
リーダーの大事な仕事のひとつは、「事情がわからない中で右か左かの判断を迫られること」 です。
そのときのためにも、情報はたくさんあったほうがいい。だからリーダーは、相手を選ばずに人の話に耳を傾けるべきです。
リーダーは、情実や好き嫌いで話を聞く相手を選んではいけません。茶坊主やゴマすり上手な職員の話ばかり聞いたところで、上司に都合のいい話しか聞くことはできないでしょう。
リーダーには、相性の悪い人、嫌いな人、厳しいことをいう人の意見にこそ耳を傾け、それを正面から受け止める姿勢が求められているのです。
▼『座右の書『貞観政要』 中国古典に学ぶ「世界最高のリーダー論」』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
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