初恋ロスタイム -First Time-

【板垣瑞生、吉柳咲良、竹内涼真ら出演】映画公開記念・原作小説試し読み『初恋ロスタイム -First Time-』第5回
昨日9月20日(金)より絶賛公開中の映画『初恋ロスタイム』。
映画の公開を記念して、原作小説の冒頭約70ページを7日連続で大公開!
時が止まった世界で、最初で最後の恋をした――。
ロスタイムの秘密が明らかになったとき、奇跡が起こる。
生徒手帳も見せていないのにどうして……と疑問が
「ええと、この自転車は、その……」
友人のものだ、と言いそうになったが、その場しのぎにしかならないので口を閉じた。バレたらさらに不信感を
「この自転車は、何? もちろんあなたのよね? 借りたり盗んできたりしたわけじゃないわよね?」
全てを見透かしたように彼女が
ただうなずくしかなかった。
「……年末に買ったばかりの新車で、お気に入りなんだ」
「あっそう。なら素性も判明したところで、情報交換といきましょうよ」
僕の返答を適当に流して、彼女は一方的に提案してきた。
そっちの名前は教えてくれないのに不公平だ。……でもここまでの
やがて無言を肯定と捉えたのか、彼女は続けて口を開く。
「あなたさっき、パトロールしていると言ったわね。これまで何か成果はあった?」
「いや、特になかった」
今日はじめて校外に出たことは隠して答える。
「少なくとも、君の他に動いている人はいなかったよ」
「そうでしょうね。わたしだってこの辺は
急に大声を出した彼女は、細い指先で
「ほら見て。あそこにスズメがいるでしょう。飛び立ったばかりで宙に浮かんでる」
「ああ、うん。いるね」
「空中で羽を広げたまま、静止してるわね?」
「確かに」
「ならさ、重力の
彼女はまっすぐに僕を見て、視線を合わせながら続ける。
「時間停止、と一言で表現するのは
「ああ、なるほど」
おかしいと言えばおかしいが、停止世界にはいくつかのルールがある。それに
ただし適当な返事はできない。彼女はまだ僕を試している気がするからだ。
言葉を選びながら慎重に説明する。
「えーと、もう知ってると思うけど、時間停止中だけに起こる特殊な事象が二つあるんだ。僕は勝手に〝凍結〟と〝復元〟と呼んでるけど」
「わかるわかる!」
「うん。でも力を込めて一度動かせば、凍結は解くことができる。すると質感も元に戻る」
「つまりスズメが落ちてこないのは、凍結してるからって言いたいのよね。でもそれって……」
彼女はその場で足を止め、納得しかねる様子で首を
「いえ、何となくわかってるのよ。凍結した物体には物理法則が適用されないってね。でも凍結を解いたからといって元通りになるわけじゃない。猫で試したことがあるけれど、抱き上げて凍結を解除しても、
「そっか……」
どうやら僕が考えつくような理屈は、既に検証済みらしい。
再び彼女が歩き出したので、ハンドルを押して付いていく。自転車を挟んで横に並ぶと、
「重力だけじゃないのよ」と彼女は身振りを交えて喋り出した。「光はどう説明したらいいの? 光が人体の視覚系に刺激を与えなければ、わたしたちには何も見えないはずじゃない。世界はいまも暗黒に包まれているはずよ」
「うーん……。光は例外じゃないかな」
答えながら僕は、快晴の空に手を伸ばした。
太陽光に照らされた掌に、かすかな
「例外ってどうして?」
「多分、速度の問題だと思う」
そう端的に回答すると、彼女の頭上に疑問符が浮かんだのが見えた。
もっとわかりやすく説明しなければいけない。いままで直感的に理解していたことを
「つまりさ、時間は完全に止まっているわけじゃないんだよ。経過速度が遅くなっているだけじゃないかな。実は時間停止現象ではなく、時間遅延現象なんだ。そう仮定すれば、光は例外でも不思議はない」
例えば、一秒が三六〇〇倍に拡大され、一時間になっているとすると──
光速を三六〇〇分の一にしても、秒速約八三キロメートル。まだ充分なスピードがあるため、体感的にはほとんど変わらない。
しかし動物の反応速度はそうはいかない。通常の三六〇〇倍の速度で抱き上げられた猫が、素早くリアクションを返せるはずがない。
「ふうむ」
歩道上で立ち止まった彼女は、口元に
「……何か変よね。だって時間なんてものは、物理現象を説明するために設定された便宜上の〝ものさし〟じゃない。観測者の都合で作ったものでしょ? 定規が勝手に長くなったり短くなったりしたところで、世界全体に影響が出るかしら」
「言われてみると、その通りだね」
トルストイもこう言っている。『流れ進むのは我々であって、時ではない』と。
つまり変化しているのは主観であり、僕らの方と考えるのが自然だ。すると心拍数の理論とも合致するし、僕と彼女だけが静止世界で動けるのも、たまたま同じ長さのものさしを持っていたからと理由づけすることができる。偶然にも波長が合ったのだろう。
「変化しているのは観測者の方かもしれない」と僕が言うと、
「なら、わたしたちが三六〇〇倍に加速していることになるわね」
「自覚がないだけで、その可能性はある」
「検証は簡単にできるわ。……よっ」
小さな掛け声とともに、彼女は視界の
「……っ!?」
「どう?」
冷えきった細い指先が、僕の頰に押し当てられていた。
背筋を走るぞくりとした感覚と、女の子に触られているという自覚に、心と体が大きく波打ってしまう。
「つ、冷たい」
「そうよね。わたしは温かかったけど」
彼女は手を引っ込めてから、くすりと笑った。
それはまさに天使の微笑としか表現できないほどの
「──はい、証明終了」
何事もなかったかのように彼女は続けた。
「肉体の運動量が三六〇〇倍になっているなら、体温はかなりの高温になるはずよ。だからわたしたちが加速してるってのは有り得ない。そんな速度で体を動かしてたら、心臓も血管もあっという間に破裂しちゃうしね」
「じゃ、じゃあ困ったな。何が原因なんだろう」
「ものさしも観測者も変化してないとすれば、残りは一つじゃない。変質しているのはこの世界そのもの。つまり空間なのよ」
ぐっと拳を握りしめて力説する彼女。
議論の興奮からか、真っ白だった頰も桃色に染まっている。いつの間にかすっかり機嫌が良くなっているようだ。
「空間か……。ブラックホールに近づくと時間の歩みが遅くなるんだっけ」
と僕が言うと、
「さすがにこの近所にブラックホールはないと思うけどね」
と答え、彼女は愉快そうに笑った。
ああそうか、とそこでようやく僕は気付く。きっと彼女も不安だったのだろう。
考えてみれば当然だ。静止した街の中に一人きり取り残されて、たくさんの疑問を抱えたまま毎日を過ごしてきたに違いない。
だからきっと、唯一の理解者に出会えたことを、それなりに
「──ね? 相葉くんの言ってたもう一つの事象が、その
「え……? もう一つというと、〝復元〟のこと?」
「そうよ。だってあれはさ、時間の不可逆性すら超越した事象じゃない。だったら、わたしたちがいま過ごしているこの空間が、通常空間とは違うことの証拠になると思うの」
「あー……確かに」
後ろ頭を
復元とはつまり、タイムリミット時に起こる現象のことだ。時間が元通りに動き出したその瞬間、時間停止中に行われた全ての運動はリセットされる。
例えばいま、僕らは吉備乃学院の校門前を歩いているが、タイムリミットになった時点でそれぞれの教室に引き戻されてしまうだろう。
リセットの際には、開閉したドアや自転車なども元の位置に戻され、外出した事実すらなかったことになる。この事象に関しては、時間遅延説や観測者加速説では説明できない。
「ねえ。復元の発生理由について、何か仮説はない?」
期待に満ちた目を向けられ、「仮説か……」と頭を捻った。
非常に
でもいまは、わからないとは言いたくなかった。彼女との会話を楽しんでいる自分に気が付いたからだ。
少しでも長く、この
「……理解が得られるかどうかはわからないけど、一応、あるよ」
やがて思わせぶりにそう告げると、彼女は瞳をきらりと輝かせた。
「聞かせて」
〈第6回につづく〉
ご購入こちら▷仁科裕貴『初恋ロスタイム -First Time-』| KADOKAWA
※掲載しているすべてのコンテンツの無断複写・転載を禁じます。
映画「初恋ロスタイム」
2019 年 9 月 20 日(金)公開
出演:板垣端生 吉柳咲良 石橋杏奈 甲本雅裕 竹内涼真
主題歌:緑黄色社会「想い人」
監督:河合勇人
脚本:桑村さや香
https://hatsukoi.jp/
©2019「初恋ロスタイム」製作委員会