初恋ロスタイム -First Time-
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【板垣瑞生、吉柳咲良、竹内涼真ら出演】映画公開記念・原作小説試し読み『初恋ロスタイム -First Time-』第6回
9月20日(金)ロードショー、映画『初恋ロスタイム』。
映画の公開を記念して、原作小説の冒頭約70ページを7日連続で大公開!
時が止まった世界で、最初で最後の恋をした――。
ロスタイムの秘密が明らかになったとき、奇跡が起こる。
「わかった。ちょっと哲学的かもしれないけど……いま僕らが存在しているこの空間は、一種の並行世界なんじゃないかと思うんだ」
「並行世界?」
すぐに彼女は興味を引かれたようだ。
「どういうこと?」
「例えば時間という概念が、そもそも無数の並行世界の連続だとしたら──一秒前の世界と一秒後の世界、それらが積み重なって作られた構造体だと仮定すれば、復元という事象も説明できるんだ」
「あーなるほどね」彼女はぽんと手を叩いた。「その並行世界の一層に、わたしたちは
「うん。アニメーションの原理と同じだよ。アニメも結局、静止画の連続が映像を作っているわけだけど、その内の一コマに僕らはいるわけだ。だからそれをどのように描き換えようと、次のコマに移れば全てが元通りになる」
「ふうむ。でもその場合、わたしたちの肉体はどうなるのかしら。この世界で体に傷を負ったとして、元の世界に戻ったら……」
「わからないけど、雨に濡れた程度なら元に戻るのは実験済みだよ」
「話が早いわね。でも記憶は? 記憶は存続しているわよね」
「そうだね。僕らは停止世界での記憶を保持してる。だけどいまのところ、記憶以外の例外は見つかってない」
「不思議ね。記憶だって脳細胞の物理現象には違いないのに……。例外とそうでないものの線引きをしているのは何なのかしら」
彼女は口元に手を当てて考え込んだ。苦し紛れに捻り出した理論にしては、意外と好評の様子だった。
「考えれば考えるほど疑問が増えていく感じね。一歩理解を進めたと思ったら、それ以上に真実が遠ざかっているような」
「そういうときって大体、前提条件が間違ってるんだよ」
「あーわかるわかる。数学の証明問題で、何か収拾がつかなくなっちゃうやつ」
「はは、よくあるよね、それ」
無邪気な笑みを浮かべる彼女につられ、こちらも笑ってしまった。
その裏側で、時空論議はこの程度が限界かなと思う。どんなに小難しい理屈を口にはしても、僕らは
時間停止現象の解明なんてできっこないし、やるべきではない。真相究明はその道の専門家か、SFマニアに任せておけばいいのだ。
いまの僕らに出せる答えは、せいぜいこの現象を何に利用するかということぐらいだろう。この世界で何を
でも、もしかすると僕は既に、その解答に辿り着いたのかもしれないと思った。
時間停止を巡る話題が、彼女との対話を成立させてくれたからだ。
いつの間にか僕らは、普通に言葉を交わせるようになっていた。初対面時の
もしかするとこの子ならば、時間停止中以外でも僕と話してくれるかもしれない。そんな期待に胸をときめかせていると、
「──ねえ、相葉くん」
彼女がぽつりと名前を呼んで、こちらを見た。
ふと我に返ると、僕らは大きな交差点の手前で、変わらない信号機を前に立ち止まっていた。
「あのさ……。さっきわたしたち、横断歩道の前を通り過ぎたよね」
「え? うん。そうだね」
何げなく振り向いた先には、確かに横断歩道があった。
歩道信号の色は青。十数人の幼稚園児たちが列をなして、集団で横断しようとしているところだった。
見ればどの子も
そして白線の両端には、旗を持つ保育士さんの姿もあった。
「……で、あそこなんだけどさ、トラックがこちらへ向かってるよね」
「ん……? 本当だ」
彼女に言われて再び進行方向に目を向けると、距離にしておよそ五〇メートル先に、見覚えのある宅配業者のトラックが
「実はわたし、かなり視力はいい方なんだけどね」
双眼鏡のように手を丸め、中を
それから彼女は、何故かおどけた口調になって、
「気のせいならいいんだけど、あの運転手──」
「? 運転手がどうかした?」
「いや、もしかして……。寝てるんじゃない?」
トラックに近づけば近づくほど、
やがてはっきりと見えてきた。フロントガラスの向こう側には、ハンドルに手をかけたまま顔を伏せたドライバーの姿がある。彼は午後の陽気に抱かれるようにして、シートに深く沈み込んでいた。
「でも本当に寝ているかどうかは……瞬間的に眼を閉じてるだけかも」
そう僕が口にするや
「完全に寝てるわよ! 口元から
「ねえっ! ちょっと聞こえますか! 起きてください!」
耳元で叫んだり、
当然だろう。この停止世界の中では、彼が目を覚ますことは絶対に有り得ないのである。
「何で……。何で起きないのよっ!」
宅配トラックから横断歩道まではおよそ五〇メートル。速度によってはものの数秒で到達する距離だ。
もしもこのままトラックが直進すれば──そこに待つのは幼稚園児の列だ。自然と大惨事の光景が頭に浮かんでくる。
「……速度計は?」
と
「いま、時速は何キロ?」
「ちょっと待って!」彼女は息を乱して答えた。「えっと……これかしら。二〇の少し上くらいを針が差してるけど」
なら幸い、スピードは速くない。
状況から考えるに、ドライバーが眠りに落ちたあと、足から力が抜けてアクセルを緩めたのだろう。
仮に時速が二〇キロだとすれば、秒速は五・五メートル。トラックが横断歩道に差しかかるまで、およそ九秒……。
たった九秒しかない。
横断歩道の両端にいる保育士がトラックに気付き、園児を
いや短すぎる。
「ね、ねえ……。これ、どうすればいいの?」
しかし僕には答えられない。有効な手段など何も思いつかないからだ。
「……ねえ、ブレーキはどこ?」
黙っていると、彼女は再び訊ねてきた。どうやら何もせずにはいられないようだ。
「教えて。どっちのペダル?」
「左」
目を伏せて答えると、彼女はすぐに運転席の下に
衣服が汚れるのも
さきほど僕らが話し合った通りだ。停止世界の中で何をしようとも、時間が動き出した瞬間に全てはリセットされてしまう。
だからブレーキにもサイドブレーキにも意味はない。
その結果を想像してしまえば、彼女の
そりゃ僕だって気持ちは同じだ。見知らぬ子供の命だとしても、失われて構わないとは思わない。できることなら助けたい。
けれど恐らく、残された時間も決して多くはないだろう。
時間が停止してから、そろそろ一時間が経つ。このままタイムリミットが訪れれば、僕らは強制的に各々の教室に引き戻されてしまう。そこから大事故が発生するまで、わずか九秒。
九秒では何もできない。できるはずがない。
残酷な結論だが、それがリアルだ。
奥歯を嚙みしめ、顔をしかめていると、黒い
しかし彼女は違った。その理知的な顔立ちを感情のままに
「止まれ、止まれ、止まれ……っ」
どうして諦めないのだろう。
不思議だった。でもそんな彼女を、何故かいままでで一番美しいと感じた。
やがて幻影さえ見えてきた。己が傷つくことをも厭わず、
彼女の小さな背中に、決して折れない意志の輝きを見た。だからだろう。
「ちょっとどいて」
脳裏に走ったかすかな
「何……? 何か考えがあるの?」
「説明してる時間がもったいない。とにかく降りて」
「……わかった」
かくして最後の希望は、この手に
正直に言えば、僕の思いつきが運命を塗り替える可能性は、限りなくゼロに近い。でも最後の一手を引き受けることによって、彼女の精神的な負担が軽くなるかもしれないと思った。それだけでもやる価値はある。
僕は土足のまま、幸せそうに目を閉じたドライバーの膝に上っていく。
宅配トラックの天井は高く、運転席もかなり広く感じた。さらに、助手席側のドアからも配達に出られるようにするためだろう、そちらの座席は折り畳まれて前方に寄せられており、ダッシュボードの前には大きな空間が開いていた。
おあつらえ向きだ。僕はそこへ降り立ち、注意深く車内を検分していく。
すると間もなく、運転席脇のラックの中に、小さな書類ケースが収められているのが見えた。他にそれらしいものはない。ならば目当てのアレは、きっとそこに入っているに違いない。
すぐさま書類ケースを抜き取り、
「……あった!」
興奮に声を上げつつ、ようやく見つけたその紙面に目を
かちり、とどこかで針の動く音がして、無情にも時は動き出した。
〈第7回につづく〉
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映画「初恋ロスタイム」
2019 年 9 月 20 日(金)公開
出演:板垣端生 吉柳咲良 石橋杏奈 甲本雅裕 竹内涼真
主題歌:緑黄色社会「想い人」
監督:河合勇人
脚本:桑村さや香
https://hatsukoi.jp/
©2019「初恋ロスタイム」製作委員会