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試し読み

【板垣瑞生、吉柳咲良、竹内涼真ら出演】映画公開記念・原作小説試し読み『初恋ロスタイム -First Time-』第7回

9月20日(金)より絶賛公開中の映画『初恋ロスタイム』。
映画の公開を記念して、原作小説の冒頭約70ページを7日連続で大公開!

時が止まった世界で、最初で最後の恋をした――。
ロスタイムの秘密が明らかになったとき、奇跡が起こる。

>>前話を読む

「──早退します! 気分が悪いので!」
 ものげな空気がただよう五時間目の教室。
 復元の効果で自分の席に舞い戻ってきた僕は、高町教諭の講義に声をかぶせながらかんぜんと立ち上がった。
「ど、どうした相葉」
 先生が振り返りながら訊ね、全方位から奇異の視線が飛んでくる。
 きっとあとでうわさになるのだろうな、と思った。相葉はどうしたんだ。もしや授業中にふん尿にようでも漏らしたのではないかと。
 いいさ。どうにでも好きに解釈すればいい。なりりなんて構っていられない。
「帰ります!」
 高町先生の返答も待たずに鞄を手に取り、携帯電話を握りしめたまま出入り口へと歩き出した。
 何より大切なのは人命だ。きんきゆう事態なら大抵のことは許されるはずだ。
 そう己に言い聞かせながら突き進む。廊下に出るなり駆け足になり、階段を下りて校舎の玄関を抜けると、脇目も振らずに駐輪場へと向かった。
 自転車はさきほど道路脇に放置してきたが、復元の原理からすれば当然戻ってきているはず。
 やがて簡素な駐輪場の屋根の下、吹きさらしにされた多数の自転車の中から愛車を見つけた僕は、鍵を外して車体を引っ張りだした。
「……助かっててくれよ」
 サドルに跨りながら、これから向かう先を想像する。
 いま頃、吉備乃学院にほど近いあの横断歩道では、見るも無惨な光景が広がっているかもしれない。
 それを思い浮かべるだけで、指先に震えが走るほど恐ろしかった。でも僕は行かねばならないのだ。一人だけ逃げ出すわけにはいかない。
 きっと彼女も、同じように現場に向かっているだろうから──

 一五分かけて目的の場所まで自転車を走らせていく。その途中、サイレンを鳴らしたパトカーや救急車が次々に僕を追い越していった。
 言いしれぬ不安が腹の底から湧き上がってきたが、ブレーキは許されない。
 通行人に接触しないよう病院の敷地内を抜けて、目的地に近づいていくと、遠巻きに見ても人だかりができているのがわかった。
 さほど幅の広くない道路の先。野次馬で作られた人垣の向こう側では、非常事態を告げる赤ランプが回転している。
 一体、どうなったのだろう。その結果を見るのが恐ろしくて、鼓動がドラムロールのように鳴り響き、膝が震えてきた。
 誰もせいになっていませんように──祈るように目を閉じると、あの小さな背中が目蓋の裏に浮かんでくる。
 何度でも称賛する。あのとき彼女は立派だった。事態の深刻性を素早く察知して、せきずい反射のごとく子供たちを救おうとした。
 打算や計算なんて何もない。そんな姿に僕は感銘を受け、自分もそうありたいと思った。だからどんな結末になったとしても、目を逸らしてはいけない。彼女がそこから逃げ出さない以上、責任の半分を背負う覚悟でいなければならない。
 どの道、ここで回れ右したとしても、家でニュース番組にくぎけになるのだろう。それくらいなら……。
「──子供は無事だって」
「えっ」
 不意に後ろから声をかけられ、慌てて振り向いた。
 すると野次馬の中に、吉備乃学院の制服に身を包んだとびきりの美人がいた。
「何よ、聞こえなかったの?」
 彼女はな顔で繰り返す。
「子供は無事。トラックは横断歩道の直前でハンドルを切り、道路脇の電柱にしようとつして停まったそうよ。……あまりスピードが出ていなかったから、ドライバーも大した怪我けがはしてないって。車はあの通りだけどね」
 そう言って指を差した先には、路肩に乗り上げ電柱にめり込んだ、無惨なトラックの姿があった。
 遅れて気付く。車体から漏れ出したオイルの、刺激性のあるにおいがかすかに漂ってきていた。アスファルトに広がった黒い染みに、警察官が白い粉のようなものを振りかけているようだ。
「事故の瞬間は、わたしも見てないけどね」
 彼女は脱力したような表情で続ける。
「横断歩道に到達する前に、ドライバーが目を覚ましたんでしょうね。それが自然に起きたことなのか、外的な要因によるものかは不明だけど」
「良かった……。大したことがなくて、本当に」
 心の底から僕は言った。何はともあれ大惨事はまぬがれたようだ。緊張の反動からか、深く溜息までついてしまう。
 胸を撫で下ろしていると、彼女は何故かきびしい目つきをしながら、人混みをけて隣に寄ってきた。
「……あなた、何かやったでしょう」
「えっ。何もできるわけないよ」
「噓をつかないで」
 何やらじとっとした視線を浴びせられ、僕は肩をすくめてしまう。
「いや、噓なんてついてないよ。こっちはいま現場に来たばかりで」
「関係ないわ。時間停止が解かれる直前に、あなたトラックの助手席で何かしていたでしょう? あのとき何をしてたのよ」
 言いつつさらに距離を詰め、彼女は僕のそでぐちをつねるように引っ張った。
 いやいや近い。明らかに近すぎる。彼女の髪のシャンプーの匂いだろうか、何やら甘い香りがこうをくすぐってきて、
「白状しなさい」
「わ、わかった」
 これ以上接近されるとどうにかなってしまうかもしれない。たまらず降参して全てを話すことにする。
 こほん、と目を逸らしながらせきばらいをして、
「……でも本当に、事故を防げたのは運が良かっただけだよ。僕がやったことなんて多分、何の効果も」
「いいから早く!」
「はい」
 熱視線でかしてきた彼女に負け、諦め混じりに語り出した。
「あのさ、〝不在連絡票〟って知ってる?」
「不在……?」と彼女は首を傾げた。「留守中に宅配便が届いたとき、ポストの中に入っているアレのこと?」
「うん」と僕は首肯した。「僕が探していたのはそれなんだ。運転席の脇の物入れに書類ケースがあって、そこに運良く入ってた」
「てことは……不在連絡票に書いてあった電話番号に連絡したってこと? でもあれって、事業所のフリーダイヤルとかじゃないの?」
「いや、違うんだ。もちろんそれも記載されているけど、ドライバー直通の携帯電話番号が書いてあることもあって──」
 種明かしをすればこういうことだ。
 停止世界で行われた全ての行為は、時が動き出した瞬間にリセットされる。だからブレーキを踏んでもエンジンキーを抜いても、運転席からドライバーをろしたとしても結果は変わらない。
 けれど僕らの記憶だけは、何故かリセットされないのである。
 つまり停止世界で得た情報については──個人名や電話番号などを記憶していれば、現実世界で活用することが可能になる。
 あのとき、僕にできた唯一の手段は、時間が動き出した瞬間に自分の携帯電話を取り出し、ドライバー直通の番号へと電話をかけることだけだった。
 ただし猶予は九秒。
 ダイヤルボタンを一度でも押し間違えれば、それで終わりだった。
 幸い、今回は電話をかけることには成功したが、着信音にドライバーが気付いたかどうかは疑わしい。いいや、気付いたとしても間に合ったかどうか……。
 だから事故を防いだ要因は、他にあるに違いない。通行人のめいとか、ハンドルの向きがわずかに逸れていたとか、ドライバーが自発的に目を覚ましたとか。あるいはそれら全ての要素の積み重ねによって、かろうじて危機は回避されたのだ。
「──だから僕の手柄なんかじゃないよ。そこまでうぬじゃないし、楽観的にもなれなかった。いまだって信じられないくらいだ」
「……あっそう。なるほどね」
 聞き終えた彼女は少し距離をとり、腕を組んでこちらを見据えるようにした。
「確かに事故が起きなかったのは、あなたのおかげじゃないかもしれない。けれど、わたしよりは断然マシだった」
「いや、そんなことないよ」
「誤魔化さないでよ。恥ずかしい話だけど、わたしはただパニックになってただけ。冷静だったあなたからすれば、さぞ滑稽に見えたでしょうね」
「待ってよ。滑稽だなんて」
「あなたはやるべきことをやり、でもわたしは何もできなかった。何一つこの結果に寄与していない。これは正しい評価よ。違う?」
「えっと……」
 彼女は真面目すぎるのだろう。だから自分を責めようとしている。でもそんな必要があるようには思えない。僕だって彼女がいなければ、あの発想に辿り着く前に諦めていただろうから──
「あのさ」
 柄にもなく、はげますようなことを言ってみた。
「僕はむしろ、素敵なことだと思ったんだ。あんなふうに誰かのために必死になれるだなんて、すごく綺麗だなって感心してた。あこがれたと言ってもいい」
「なっ」
 すると彼女の頰が、夏祭りの雪洞ぼんぼりみたいに「ぽっ」と火照った。
 一拍おいて言葉を間違えたと気付く。綺麗だと思ったのは彼女の姿勢だ。そのこうけつな精神に敬意を表したのだ。決して外見のことではない。
「待ってくれ、違うんだ」
 慌てて言葉をつくろった。
「綺麗って言ったのは心で、容姿のことじゃなくて」
 それも違う。
 容姿も実際に綺麗なのだから、否定は失礼になってしまう。
「いやその、心だけじゃなくて全部。全部のつもりで言ったんであって」
「ちょっ、あなた、何を口走ってるの?」
 彼女は困惑して下を向いてしまった。耳まで赤くなりながら、コートの襟口にあごを沈めて小さくなってしまう。
「うん。本当に、何なんだろうね。あはは」
 笑って誤魔化そうとするが、多分もう手遅れだろう。きっとこっちの顔まで真っ赤になってしまっている。正直、もう逃げ出したいぐらいだが……。
 でも何かフォローをしておかねばならない。彼女にキモいとか変なやつだとか思われたくない。今後一切会ってもらえなくなるのは嫌だ。かといって、続ける言葉は何も頭に浮かんでこないが……。
「あのさ」
 それでも声をかけようとしたところで、
「もういい」彼女はぷいっと顔をそむけた。「とりあえず成果だけは認めてあげることにする」
「え……? 成果って何の?」
「覚えてないの?」
 そう言って横目だけちらりと向けてきた。
「パトロールのことよ。経緯はどうあれ、無駄じゃなかったみたいだから」
「ああ……」苦し紛れにそんなことを言った気がする。「そうだね。うん」
「だからたまにならパトロール、付き合ってあげてもいいわ」
「ほ、本当に?」
 それってつまり、また会ってくれるということではないか。心に羽が生えて飛んでいきそうになっていると、
「よろしくね、相葉孝司くん」
 何やら改まった調子で彼女は僕の名前を呼んだ。同年代の女子に名前を覚えられるなんて、いつ以来のことだろうか。
しのみやとき
「えっ?」
「わたしの名前よ。覚えておいて」
 照れくさそうに彼女は言って、さっと踵を返して背中を向けた。そのままずんずん歩道を歩いていってしまう。
 一人取り残された僕は、しばし呆然となった。
 いつしか野次馬たちの姿もまばらになっていた。トラックを回収するためにやってきたレッカー業者が気ぜわしそうに作業をしはじめても、僕はその場に立ち尽くしたままだった。
 篠宮、時音──?
 彼女の後ろ姿は、とっくに見えなくなっていた。なのに鼓動の音は大きくなる一方だ。
 何故ならその名は、中学三年生のとき、背中を追い続けた名前だからだ。
 予備校で受けた模試の順位表。その上位に必ず載っていて、ついに一度も勝つことができなかった名前だ。
 どれだけ努力をしても決して追いつけなかった──歯ぎしりしながら呟いたこともある苦々しいあの名前。過去に抱いていたコンプレックスまでもがよみがえってきて、握りしめた拳がぶるぶると震え出す。
 篠宮時音……。それはかつて心の底からうとましく思っていた、目の上のタンコブの名前だったのだ。

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映画「初恋ロスタイム」
2019 年 9 月 20 日(金)公開
出演:板垣端生 吉柳咲良 石橋杏奈 甲本雅裕 竹内涼真
主題歌:緑黄色社会「想い人」
監督:河合勇人
脚本:桑村さや香
https://hatsukoi.jp/
©2019「初恋ロスタイム」製作委員会


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