第23回電撃小説大賞 受賞作!
3/15(金)ロードショー、映画『君は月夜に光り輝く』。
映画の公開を記念して、原作小説の冒頭約80ページを7日連続で大公開します!
命の輝きが消えるその瞬間。少女が託した最期の願いとは――。
桜の季節と、リノリウムの温度
1
坂道の両脇に、桜の花が咲いていた。そこを登り切ると、やけに真新しい病院が見えてきた。比較的新しく
これから、見ず知らずの人間に初めて会うと思うと、けっこう緊張した。ましてその相手が女子で、おまけに病気で入院中と聞けば、なおさらだった。
病院のエレベーターを待ちながら、僕は少し落ち着かなかった。
すげー美人らしいぜ、と誰かが言っていた。
名前は、
高一最初のホームルームで、担任の
「渡良瀬まみずさんは、中学の頃から深刻なご病気で、長らく入院されているとのことです。一日でも早く退院して、みなさんと学校生活を楽しめるようになるといいですね」
教室に空いたままの席が一つあった。うちは私立の中高一貫校で、
「
「じゃあ学校には多分出てこれないよな」
「ってか誰よ?」
「中一の五月から来てないらしい」
「記憶にねーな」
「誰か写メ持ってねーのか?」
クラスの奴らが彼女のことを少し噂し始めたが、たいした情報もなかったらしく、すぐにそれはおさまった。
発光病ならたしかに、これから先、学校に復帰するのは難しいかもしれない。それは不治の病として知られていたからだ。
原因はわからない。治療法も確立されていない。
完治することは基本的にない。だからたいていの場合、一生を病院で過ごすことになる。成長が進むにつれ、病気は進行していき、ある日突然発症する。大体は、十代や二十代前半のうちに発症することが多いという。いったん発症すると、致死率は高く、大人になる前にたいていは死んでしまう。症状は多岐にわたるが、特徴的なのは、皮膚に異変が起きることだった。
光る、のだ。
夜、月の光に照らされると、体が蛍光色のようにぼんやり淡く光を放つという。病状の進行とともに、その光は徐々に強さを増していくらしい。それで、発光病と呼ばれている。
……ともかく、渡良瀬まみずという女生徒が教室にやってくることは、多分ないだろう。そう思った僕は、すぐにそんな話は忘れてしまうことにした。
それから数日して、休み時間に、巨大な色紙みたいなものが回ってきた。
「
「なんだこれ?」
「ほら、なんだっけ。発光病の、なんとかさん。みんなで寄せ書き書いて渡すんだって」
ふーん、と思いながら僕は色紙にペンを走らせた。
早く病気が良くなるといいですね 岡田
僕は三秒でさらっとそれだけ書いて、寄せ書きを次に回そうとした。
「わ、岡田、テキトーだな」
「次、誰に回せばいい?」
「このへん全員書いたからな。あ、
「仲は別によくないけどな」
それだけ答えて、僕は香山の席に近づいた。
香山
「香山、起きろよ」
「まさかオレが、美少女だらけの女子寮の管理人に選ばれるなんて……」
寝言だった。どうやら、何かすごく都合のいい夢を見ているらしい。しつこく揺り動かして、現実に引き戻した。
「おろ? 岡田か。どしたよ?」
どちらかというと僕は、あまり彼には近寄りたくないと思っていた。ただ、でもそれは、彼の無秩序なパーソナリティーが苦手とか、そういう問題ではなかった。
僕には昔、香山から受けたある恩みたいなものがあったのだ。だから、僕たちは友人というのとはちょっと違っていた。僕にとっての香山という存在を表す、適切な言葉は恩人だった。
軽口を
「寄せ書きだって。ほら、例の発光病」
「ああ」
香山は僕から寄せ書きの色紙を受け取り、ぼんやりとした目で眺めた。
「渡良瀬まみず、ねぇ」
その香山の口調や表情には、どこか過去の記憶を思い出しているようなところがあった。僕は意外に思って聞いた。
「知ってるのか?」
「いや……昔ちょっとな。今は渡良瀬なんだな」
ぼそっと独り言のように香山は言った。「まぁ、書いとくわ」と言われたので、僕はそのまま自分の席に引き返そうとした。
「岡田、最近どうだ?」
香山が背中越しに声を投げてきた。
「何がだよ」
「大丈夫か?」
「大丈夫だよ」
僕はイラつきを抑えながら返事をした。
「お前、たまに病んでるからな」
何かを見透かすような口調で香山が言ってきた。
「僕は正常だよ」
余計なお世話だよ、と思ったが言わなかった。
「こないだから、みんなに書いてもらってた寄せ書きも完成したので、今度の休日に、誰かにこれを持って行ってもらいたいと思っています。私より、生徒の誰かが持って行った方が、渡良瀬さんもきっと喜ぶと思うので。誰か、行きたい人はいますか?」
芳江先生は二十代前半、わりと綺麗な人だったけど、教師になって日が浅いせいか、ホームルームの進め方にはまだどこかぎこちないところがあった。
そんなこと言われても「面倒臭い」以外の感想が湧いてこない。挙手する奴なんていないだろう。誰もがそう予想した。となると、次は芳江先生が誰かを指名する流れになる。どうか自分だけは当たりませんように。そんな感情を隠しもせず、皆が一様に顔を伏せていた。
そのとき。
香山が、すっと手を挙げた。みんな驚いて、一斉に彼の方に顔を向けた。
「オレ、行きますよ」
「あ、じゃあ、悪いけど、お願いしていいかな」
そのときの香山の表情は、どこか不思議な色を帯びていた。何かそこには、悲壮な決意みたいなものがあった。喜んで志願したとは、とても見えなかった。
……そんなに嫌なら、言い出さなきゃいいのに。なんで香山は行くなんて言ったんだろう? そのとき僕は、少し意外に思ったりした。
それから週末になって、日曜日、僕は急に香山に電話で呼び出された。
「頼みがあるんだ」
僕たちの間に普段、休日に会うような習慣はまったくなかった。だからそれは、それなりにイレギュラーなイベントだといえた。
面倒臭かったが、言われた通りに彼の家に向かった。
「風邪引いたんだ」
そう言いながら玄関先に出てきた香山は、パジャマ姿で、マスクをしていた。
「少し熱があってさ」
でも全然熱があるようには見えなかった。なんだか病気のコスプレでも見せられているような気分だった。
「で、頼みって?」
僕は少しイラつきながら彼に続きを促した。
「ああ、そういうわけで……。渡良瀬まみずのお見舞い、行けなくなったんだ」
「それで、かわりに行けって?」
確認するように僕が言うと、香山は「ああ」と短く答えた。それから彼はいったん引っ込んで、渡すべきプリントやら何やらの一式を持ってきた。「頼むよ」と言いながら彼は僕にそれを押しつけた。
香山はそれ以上の会話を拒むように背を向けて、家の中に戻っていった。
正直、何一つ
2
それで僕は、日曜日に、知らない女子のお見舞いに行く羽目になったのだった。
渡良瀬まみずの入院している病院は、終点の駅にあった。いつも学校に通うのとは逆の電車に三十分ほど揺られて、目的の駅に着いた。
駅から病院へ向かい、受付で教わった通りにエレベーターで四階を目指した。リノリウムの廊下を歩き、病室の前にたどり着く。
中に入ると、そこは相部屋だった。女性ばかり、二人の年輩の女性の他に、本を読んでいる若い女の子がいた。きっと彼女が渡良瀬まみずなのだろう。僕はゆっくり彼女に近づいた。その気配に気がついたのか、そいつは本から目を離して、顔を上げた。
一目見て、どきっとした。
たしかに、美少女だった。
美人だけど、誰に似ているとかいうのが思いつかない。射抜くような目つきだった。濃い黒目を、自然に伸びた長いまつ毛や優雅な二重まぶたがふちどり、より印象的に見せている。そして、信じられないくらい真っ白な肌をしていた。
綺麗な鼻すじにすっきりとした頰、小さく水平に結ばれた口元。すらりと伸びた背すじに、均整のとれた体つき。艶のある髪が、胸元にかかっていた。
表情のどこにもズルそうなところがなくて、すごくまっすぐだった。
「渡良瀬さん?」
僕はおずおずと彼女に声をかけた。
「そうだけど。あなたは?」
「岡田卓也。この春から、渡良瀬さんのクラスメイト」
僕は簡潔に自己紹介した。
「そっか。初めまして、渡良瀬まみずです。ねぇ卓也くん、お願いがあるんだけど」
彼女はいきなり僕を下の名前で呼んできた。
「私のことは、まみず、って下の名前で呼んで欲しいな」
そんなファーストネームで呼び合うような習慣は僕にはなかったので、不思議に思った。
「なんでだ?」
「苗字なんて、すぐに変わっちゃうからさ」
と彼女はそんなことを言った。親が離婚でもしたんだろうか? でも、いきなりそこに触れるのも少しためらわれた。
「じゃあとりあえず、まみず、でいくよ」
「ありがとう。私、名前で呼ばれるのって好き」
そう言って彼女は、はにかむように笑った。笑った拍子に彼女の口元から、白い歯がこぼれるように覗いて、僕はその白さに少し驚いた。その、好き、って言い方は妙に人懐っこかった。
「それで卓也くん、今日はなんで来てくれたの?」
「ああ。なんか、渡すプリントとか、寄せ書きがあるみたいで。誰か生徒が届けた方が喜ぶだろうって、先生が」
「喜ぶ喜ぶ」
僕が封筒を渡すと、彼女は、封筒からあの寄せ書きの色紙を取り出して、興味深そうに眺め始めた。
「卓也くんのメッセージ、なんか冷たくない?」
慌てて僕はその寄せ書きを覗き込んだ。自分の書いたメッセージが、色紙の隅の方に並んでいた。
早く病気が良くなるといいですね 岡田卓也
「そうかな? いや……」
別にそんなに酷いメッセージではないと思う。でもやっぱり少し短すぎるし、三秒で書いた適当さがにじみ出ていたのかもしれない。そして、それを見抜けないほど彼女は馬鹿じゃないということなんだろう。
「そうかもしれない。ごめん」
僕は誤魔化すのはやめて、素直に謝った。
彼女は少し驚いたような顔をして僕の方を見た。
「別に謝るほど冷たくもないよ」
不思議な
「もしかして卓也くん、本当は来たくなかった? 無理矢理先生に頼まれたとか?」
実は香山が来るはずだったんだ、なんて本当のことを言うのはなんだか
「いや。僕の意志で来たよ」
「そうなの? よかった」
本当にほっとしたように彼女は言った。頭は良さそうなのに、喜怒哀楽の感情表現がわかりやすいタイプだと思った。
「これ、何?」
話題を変えたくて僕は言った。ベッドサイドのテーブルに、水晶のようなガラス玉が置かれていた。よく見ると、そのガラス玉の中にはミニチュアの家が入っていた。洋風のログハウスだ。窓から漏れ出る明かりの演出が、見る者にかすかな生活感を感じさせた。
「あ、スノードームっていうの。それ、私すごく好きなんだよね」
彼女が色紙を手放して、「貸してみて」と手のひらをこちらに向けたので、僕はそれを手渡した。
「見て。ここに雪があるの」
見ると、ガラス玉内部の家の地面には、雪を模した紙吹雪のようなものが敷き詰められていた。
「なるほどな」
「まだまだ、これからなの。これを、こうして、振るとね」
そうして彼女はスノードームを振ってみせた。すると、紙吹雪がガラスの中で、ぱっと舞った。どういう仕組みか、その紙吹雪は舞い散りながら、ゆっくりと降り落ちていった。
「どう? 雪みたいでしょ」
たしかに、雪みたいだった。
「昔、お父さんに買ってもらったんだ。…………もうお父さんには会えないんだけどね。だから、大事にしてる」
やっぱり親が離婚してるんだろうか。そう思ったけど、聞けなかった。
「これを見ながらね、想像するの。私は雪国で暮らしててね、冬になると雪が降るの。吐く息はずっと白くて。暖炉で暖まりながら本を読んで暮らすの。そういうところを想像して楽しんでるんだ」
ガラス玉の中では、まだ雪が降り続けていた。
それからも、彼女の話は続いた。もしかして話し相手に飢えていたんだろうか? と思ってしまうような喋り方だった。でもそんなに嫌な気はしなかった。話がそこまで退屈じゃなかったのもあったし、彼女の話し方も嫌いじゃなかったからだ。
夕方になってやっと話が途切れた。それで僕は、そろそろ帰ることにした。
帰り際に、彼女が僕に言った。
「ねぇ、卓也くん。またそのうち遊びに来てくれる?」
そう言われて、僕は戸惑ってしまった。でも、彼女のそのなんだか寂しそうな顔を見ていたら、「いや、もう二度と来るつもりはないよ」なんて言えなかった。
「そのうちな」
かわりに、僕はそんな曖昧な答えを返していた。
「それから、お願いがあるんだけど」
「何?」
「アーモンドクラッシュのポッキーが食べたくて」
彼女はちょっと恥ずかしそうに言った。
「ポッキー?」
「本当は病院食しか食べちゃいけないんだよね。それに、お母さんも厳しい人だから、頼んでも買ってくれなくてさ。病院の売店にも売ってないの。頼める人いないんだよね」
それから彼女は、ちょっと上目遣いに僕を見て、「ダメ?」と懇願するように言った。
「ん、まぁ、わかったよ」
と僕はあまり深く考えずにそう返事をして、病室を出た。
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