小説 サイダーのように言葉が湧き上がる

「四月は君の嘘」のイシグロキョウヘイ監督、初のオリジナル劇場作品! 監督自ら書き下ろしたノベライズが登場【映画「サイダーのように言葉が湧き上がる」公開記念試し読み④】
言葉×音楽をキーワードに、少年少女の「ひと夏の青春」を描いたアニメ映画、「サイダーのように言葉が湧き上がる」が7月22日(木・祝)に公開決定!
テレビアニメ「四月は君の嘘」のイシグロキョウヘイ監督による初のオリジナル劇場作品で、歌舞伎界の超新星・市川染五郎と、若手トップ女優・杉咲 花の競演にも注目です!
さらに、フライングドッグ10周年記念作品として、こだわり抜かれた音楽がスクリーンで弾けます。
最もエモーショナルなラストシーンに、あなたの感情が湧き上がること間違いなし!
映画公開前に、監督自ら書き下ろしたノベライズの冒頭部分をお見せします。
映画「サイダーのように言葉が湧き上がる」公開記念試し読み④
自動ドアが開くと、陽だまりの施設内から
陽だまりはコンビニをちょっと狭くしたくらいのテナントに入っている。玄関を進んでまず見えてくるのは、施設内の一番奥にある団らんスペース。四人掛けのテーブルが二セット。壁の角にはテレビとか雑誌なんかがそろっている。
そこではおしゃべり好きなグループが会話に花を咲かせていた。男性陣で一番よくしゃべる
玄関付近のパーティションで区切られたスペースには介助器具がセットされていて、ナミさんとあき子さんが介助作業中だった。
足の悪い
「もどりました」
「あ、チェリーおつかれー。フジヤマちゃんもおかえりー」ナミさんは誰とでも同い年の友達みたいに話す。
「佐倉さん、いつもありがとうございます」介助スペースの向かい側、事務用パソコンがある席から声をかけてきたのは、主任の
「いいえ、別に」と僕は首を軽くふりながら答えた。
「フジヤマちゃん、レコード見つかった?」ナミさんが平行棒に体をあずけながら聞いた。フジヤマさんはナミさんに向いて、大事そうに抱えているレコジャケの口に手をかけた。ゆっくりと口を開く、が、レコードは入っていない。「ほうほう」と静かに首をふるフジヤマさん。
「そっかぁ」とナミさんは残念そうに言った。
フジヤマさんが、いつも座っている団らんスペース脇の三人掛けソファーに向かって歩き出した。僕もそのあとを追う。
「チェリー」と不意にナミさんの声。振り向くと「仕事中はー」と両手の人差し指を耳に向けるしぐさ。
──あ! 僕は急いで耳にかけていたヘッドホンを外した。「おじいちゃんおばあちゃんたち、それじゃ話しかけづらいってば」ってこのまえ注意されたばかりだった……。
追いついた僕は、フジヤマさんがソファーに腰かけるのを手伝った。こういう小さな補助も僕の仕事。ソファーにはほかに誰もいないので、体の小さなフジヤマさんが座っても両サイドはガラ空き。そばのテーブルでは
「また見つからなかったみたいですね」離れた場所から田中さんの声。振り向くと、介助スペースに向かう田中さんがナミさんに話しかけていた。「どこに置いたのか、忘れてしまったんでしょうねぇ……」田中さんの表情がすこし暗くなる。
「主任、フジヤマちゃんのケアプラン、どうしよっか」
「一度ご家族と、相談してみましょう」
「そーだね」
ナミさんの言葉にはいつものフランクさがあるけど、その表情は真剣さを帯びていた。ケアプラン、てなんだろ。でも、なんとなくわかるような。ふたりはきっとフジヤマさんの
「感情や! 少年海より! 上がりけり!」
突然の叫び声に思わずヘッドホンで耳をふさぐ。ナミさんに注意されたばっかだけど、フジヤマさんは不意打ちでこれがあるから……。ほんと、声デカいって……。
「感情や、少年海より、上がりけり……」
こころの声が通じたのか、フジヤマさんは小さな声でゆっくりとつぶやいた。これ、知ってる。俳句だ。
「……えっと、それは」……誰の句だっけ……思い出した!
「
「ほうほう」
「攝津の句には、不思議と動きがありますよね」
「景色に音をつけるとは、……いかに」
「けしきに……おと?」え? どういう意味? ……高度すぎてわかんないって。
「あの、フジヤマさん。今度から声、すこし小さく……」
「あぁ~んだってぇ!?」
「……声を!」
「なにを!?」
「……いいです」
フジヤマさんとの俳句談義は楽しいけど、こうやってハイレベルな内容になると、いつも僕は振り落とされてしまう。もっと俳句のこと、いっぱい知らなきゃ。
それからしばらくフジヤマさんのそばで俳句談義をしていたけど、談義というよりは禅問答的な? つまり、僕は今日もフジヤマさんの俳句問答に完敗だった。
「おいチェリーッ!! いるかぁ!?」とガラの悪い怒声が店内に響いた。入り口の方からだ。
見てみると、ビッグサイズのTシャツに太めのカーゴパンツ、前後ろ反対にかぶったベースボールキャップ、ガニ
「あー、タフボーイきたー」とあき子さんが笑顔で手をふる。
「あ、あき子さん……!」タフボーイと呼ばれたソイツは、さっきまでの気勢がウソのようにしおらしくなって「……ちわす。へへ」と赤くなったほほをポリポリかいた。何歳かは知らないけど、見た目は20歳くらいかな。
「フジヤマさーん。お孫さんが迎えにきましたよー」田中さんのよく通る声が響いた。
フジヤマさんがソファーから立ち上がるのを手助けして、僕はいっしょにタフボーイのもとへ向かった。
「あき子さん……、あの、へへ、まじデート、とか」タフボーイはごにょごにょとつぶやいていたけど、僕に気づいて「あ! チェリーてめえ!」と
あき子さんが陽だまりで働き始めてから急によくくるようになったらしいけど、「『ナミさーん、タフボーイってあだ名、ダサすぎてヤバくないですか?』ってあき子言ってたの、アイツ知らねーんだわ」ナミさん、すごくニヤニヤしながら教えてくれたな。ちなみにこのあだ名の由来は、コイツが着ているTシャツに書かれた《TOUGH☆BOY》って文字だ。今日も着ていて、いままさにその文字が目の前で揺れている。
「ビーバーの野郎どこいんのか知ってんだろ」
「知らない」
「アイツまた俺の愛車に落書きしやがってよぉ」とポケットからスマホを取り出して僕に突き出してきた。顔にあたりそうになって思わずのけぞる。
スマホには、白い車に|《タフボーイ参下!》とグニャグニャな文字が落書きされている写真。かなりデカデカと。
「さん……げ?」さんじょう、上、の間違いだろ。
「ってめチェリーボーイ! なめてっとギッタギタだぞっ!!」
落書きを声に出されたのが気に食わなかったのか、タフボーイの怒りの矛先が僕に向けられた。さらに顔を近づけて威嚇してくる。
「……なめてない」
納得いかない様子のタフボーイだったけど、「アイツに会ったらギッタギタにしてやるっつっとけ!!」と捨て
「佐倉さん、そろそろ17時なので、今日のシフトも終わりですね」と田中さんが声をかけてきた。「あがってもらって大丈夫ですよ」
そっか、フジヤマさんを捜したりでけっこう時間がたってたんだ。
「はい」と返事をすると、田中さんが両手の人差し指で自分の耳をさしながら、困ったような笑顔をしている。──あ。
僕はあわてて、ヘッドホンを外した。
続く
『小説 サイダーのように言葉が湧き上がる』作品紹介
小説 サイダーのように言葉が湧き上がる
著者 イシグロ キョウヘイ
定価: 682円(本体620円+税)
恋×音楽×俳句―。少年と少女の甘くはじけるひと夏の青春が走り出す――。
イシグロキョウヘイ監督自らが書き下ろしたノベライズが登場!
ノベライズでは映画にはないシーンも収録!
17回目の夏、地方都市。コミュニケーションが苦手で、人から話しかけられないよう、
いつもヘッドホンを着用している少年・チェリー。
彼は口に出せない気持ちを趣味の俳句に乗せていた。
矯正中の大きな前歯を隠すため、いつもマスクをしている少女・スマイル。
人気動画主の彼女は、“カワイイ”を見つけては動画を配信していた。
俳句以外では思ったことをなかなか口に出せないチェリーと、
見た目のコンプレックスをどうしても克服できないスマイルが、
ショッピングモールで出会い、やがてSNSを通じて少しずつ言葉を交わしていく。
――最もエモーショナルなラストシーンに、あなたの感情が湧き上がる!
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