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試し読み

十七回目の夏に君と会う――。サイダーのように甘く弾ける、少年少女たちの青春グラフィティ【映画「サイダーのように言葉が湧き上がる」公開記念試し読み③】

言葉×音楽をキーワードに、少年少女の「ひと夏の青春」を描いたアニメ映画、「サイダーのように言葉が湧き上がる」が7月22日(木・祝)に公開決定!
テレビアニメ「四月は君の嘘」のイシグロキョウヘイ監督による初のオリジナル劇場作品で、歌舞伎界の超新星・市川染五郎と、若手トップ女優・杉咲 花の競演にも注目です!
さらに、フライングドッグ10周年記念作品として、こだわり抜かれた音楽がスクリーンで弾けます。
最もエモーショナルなラストシーンに、あなたの感情が湧き上がること間違いなし!
映画公開前に、監督自ら書き下ろしたノベライズの冒頭部分をお見せします。

映画「サイダーのように言葉が湧き上がる」公開記念試し読み③

 フジヤマさんと陽だまりへ向かう途中、アミューズメントコートに人だかりができているのに気づいた。「なんですかね?」とフジヤマさんを見たけど、そんなに興味がなさそう。
 縦にのびる巨大な筒状の吹き抜け、その1階部分にアミューズメントコートはある。広めのイベント会場で、週末はいつもなにかしら催されていた。このまえは車の即売会をしていたな。

 会場では、X状に交差するエスカレーターに面してステージが組まれていて、それを取り囲むように人だかりができていた。エスカレーターに乗っている人たちほぼ全員が会場を見おろしている。人垣の頭越しに見える看板にはファンシーな文字で《オムツ争奪! 赤ちゃんハイハイレース!》と書かれていた。
「はーい! よい子のみんな準備はいいかなー? って言っても赤ちゃんたちわかんないかぁ」スピーカーから元気な女性の声。同時に観客のざわつきも増す。ヘッドホン越しだけど、よく聞こえる。これ、外したらけっこうな大音量なのかも。
 僕とフジヤマさんは人だかりのすこし後ろでその様子を見ていた。観客が多くて──五十人くらいはいるかな──隙間から辛うじてステージの様子がうかがえる状態。
 向かって左側に赤ちゃんが四、五人、横列になって座っている。落ち着きなくあたりを見まわす子。いまにも泣き出しそうな子。後ろにいる男性陣は、お父さんかな。この状況に慣れていないのか、オロオロしている。
 反対側には女性陣。お母さんたちだと思うけど、床にひざをついて前のめりで赤ちゃんに手を振ったり声をかけたりしている。
 ステージ中央にはマイクをギュッと握りしめた司会者らしき女性。さっきの声はこのひとのだったんだな。
 握りしめたマイクを仰々しく構えて「では、スタートしますよぉー?」
 その声に、赤ちゃんたちよりもお父さんお母さんたちに気合が入って見えた。
「位置についてぇ……よぉーい……あっ! ちょっと!」
 人垣の隙間から、さっきまで左側に座っていた赤ちゃんたちがハイハイで通過していくのが見えた。「待って、一斉にスタートじゃないと、ねぇ!」赤ちゃんたちはもちろん止まらない。
 アミューズメントコート一帯が笑い声に包まれた。
「フライング! フライングだってぇ!」いや赤ちゃんにはわからないって。さっき自分でも言っていたじゃん。
「フライング……」僕は小さくつぶやいた。フライングか。
 日本語だとなんていうんだろ。先走り。お手付き。フライ……ング……空を飛ぶ……飛んでいる? フ・ラ・イ・ン・グ……五文字だ。
「フライング……」右手でリズムを取るようにまたつぶやく。──使えるかな?
 スマホケースを取り出して歳時記を開いた。総索引でフ行のページを見てみる。

 ぶよ ぶよ             夏二一七
*ふよう 芙蓉            秋三四〇
 ふよう 木芙蓉           秋三四〇
 ふようかる 芙蓉枯る        冬四五二
*ふようのみ 芙蓉の実        秋三四六
*ふらき 普羅忌           秋三二一
 ふらここ ふらここ         春三二一
 ぷらたなすのはな プラタナスの花   春九五
*ぶらっくばす ブラックバス     夏二一一
 ぶらんこ ブランコ          春五〇
 ふらんど ふらんど          春五〇

 さすがにフライングは季語じゃないか。てかブランコって春の季語なんだ。
「──リー! ──けぇ!」
 ふと耳に意識がいく。歓声に紛れてヘッドホン越しに聞こえるのは……ビーバーの声? それはものすごいスピードで僕に迫ってきて、歳時記から目を離してそちらを見てみると──ヒカルン!?
 瞬間、衝撃が僕を襲った。猛スピードでぶつかってきたヒカルンに押されて自分の体が宙に飛んだのがわかった。
「きゃ!」
 ほとんど同時に、耳のすぐ近くから女の子の声。……誰? ちょっと情報量が多すぎて──ドンッ。
 またも衝撃が襲ってきたけど、それは自分が肩から床に倒れ込んだのだとすぐ理解した。痛い……膝も打ったかも。
 ゆっくり体を起こすと、にぶい痛みがじわじわ全身に広がっていった。顔を上げ、あたりを見まわす。その視界の低さに、いつものモールが見慣れない場所に感じた。
 と、すこし離れたところに、僕と同じように痛がりながら体を起こしているひと。髪が長い──同い年くらいの女の子。さっきの「きゃ!」は、この子の声? ……あ、こっち見た。
 向こうも状況が整理できていないみたいで、ボーッとこちらを見ている。僕の頭はというと、だんだんクリアになってきて、猛スピードで突っ込んできたヒカルン──たぶんビーバーだと思うけど──が僕にぶつかって、はじき飛ばされた僕はこの子にもぶつかって、ふたりして床に倒れこんだ、という状況を推測していた。
 そういえばこの子の顔、肌色よりも白の面積が多い……ああ、マスクか。夏なのに。マスクはたしか……冬の季語、──あ。
 肌色が、ゆっくりと白を侵食していった。
 つけていたマスクの片耳側がするりと外れて、もう片方の耳に辛うじてかかっている状態になると、マスクはユラユラと揺れて、やがてその動きを止めた。肌色は多くなったけど、口のあたりにまだ白が残っている。
 ……歯か。……なんか、金属の光みたいなのが……わかった。
「きょうせいき……」
 自分が無意識につぶやいてしまったと気づいたのは、その子が急に両手で口元を隠してうつむいたから。ほほが真っ赤になって、肩も小さく震えている。
 それからあたふたと立ち上がって小走りで去っていった。
 と思ったら、もどってきて僕からすこし離れたところにかがみこみ、床から長方形のなにかを……スマホだ、ぶつかったときに落としたスマホをつかみあげて、柱や親子づれにぶつかりそうになりながら去っていってしまった。
「チェリー、大丈夫か?」とビーバーに呼ばれて、ふと我に返る。ハイハイレースの歓声が、また聞こえてきた。
 なんかしばらくの間、すごく、だったな。
 見あげると、ビーバーがヒカルンのスタンディとスケボーを両脇に抱えて立っていた。「どけって言ったのに」ビーバーはぜんぜん悪びれていない。
「急に言われても」
「てかなんだよそのヘッドホンのかけ方ぁ。だっせぇ」
 言われるまで気づかなかったけど、ぶつかった衝撃からか、ヘッドホンが頭の上を90度回転してイヤパッドがおでこにあたっていた。「モヒカンスタイル!」とビーバーが茶化してくる。
「ビーバーァ!」複数の叫び声がハイハイレースの歓声をかき消す。見ると、元プリと警備員たちが集団で迫ってきていた。
「やっべ元プリ!」ビーバーの声が遠ざかる。いつの間にかビーバーは逃げ出していて、スケボーをこいで通路を疾走していた。そのあとを叫び声とともに元プリたちが追う。
 体の痛みはいつの間にか消えていた。ゆっくり立ち上がりながら、あの子がスマホをつかみあげていた場所を見てみる。そこにはもう一つ長方形の物が落ちていた。ミントとバニラの配色。
 離れた場所から見てもわかる。僕のスマホだ。
 拾いにいくと、ミントとバニラのすぐ横に、白が見えた。あ、マスク。
 僕はスマホを拾いあげてポケットにしまいつつも、床に寂しく取り残されたそのマスクを見つめていた。あの子、あわててたし、マスクが落ちたことも気づいてないのかも。
 光って見えたな、あの子の矯正器。──きょうせいき。きょ・う・せ・い・き。五文字。
 ポケットにしまったスマホを取り出そうとして、僕は手を止めた。
 さすがに矯正器は、季語じゃないか。

続く

『小説 サイダーのように言葉が湧き上がる』作品紹介



小説 サイダーのように言葉が湧き上がる
著者 イシグロ キョウヘイ
定価: 682円(本体620円+税)

恋×音楽×俳句―。少年と少女の甘くはじけるひと夏の青春が走り出す――。
イシグロキョウヘイ監督自らが書き下ろしたノベライズが登場!
ノベライズでは映画にはないシーンも収録!


17回目の夏、地方都市。コミュニケーションが苦手で、人から話しかけられないよう、
いつもヘッドホンを着用している少年・チェリー。
彼は口に出せない気持ちを趣味の俳句に乗せていた。

矯正中の大きな前歯を隠すため、いつもマスクをしている少女・スマイル。
人気動画主の彼女は、“カワイイ”を見つけては動画を配信していた。


俳句以外では思ったことをなかなか口に出せないチェリーと、
見た目のコンプレックスをどうしても克服できないスマイルが、
ショッピングモールで出会い、やがてSNSを通じて少しずつ言葉を交わしていく。


――最もエモーショナルなラストシーンに、あなたの感情が湧き上がる!

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/321910000698/


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