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試し読み

【祝!直木賞受賞 真藤順丈作品試し読み】『墓頭』(ボズ)⑤

真藤順丈さんが『宝島』(講談社)で、第9回山田風太郎賞につづき第160回直木賞を受賞されました。
これを記念しまして、カドブンでは真藤作品の試し読みを行います。
先月公開しました『夜の淵をひと廻り』にひきつづき、同じく角川文庫の墓頭ボズから5日間連続で公開。

『墓頭』について真藤さんは直木賞発表時の記者会見で、『宝島』の基盤となっている作品と語っています。
双子の兄弟のなきがらが埋まったこぶを頭に持つ主人公・墓頭(ボズ)。
彼が現れるのは、改革運動の吹き荒れる中国、混迷を極める香港九龍城、インド洋孤島の無差別殺人事件……。
自分に関わった者はかならず命を落とす、そんな宿命を背負った男の有為転変の冒険譚をお楽しみください。(第1回から読む

 >>第4回はこちら

 ボズが生まれたのは、山梨県の大地主の家柄だった。ボズの曾祖父にあたるジンゴロウという人物が、油売りの行商と金貸しで身代を築き、婿養子として家督を嗣いだ祖父のソウキチは、県会議員を三期にわたって務めあげた名士だった。家紋は葉付きのはすの花で、本家のお屋敷がある足和田あしわだ村では「蓮のお殿様」とまで呼ばれていた。名家のプライドとはいつの世も厄介なものだ、母親のお腹のなかにいるころは、あな嬉しや嫡子の誕生、といった歓迎の声を聞いていたボズも、産道からひょっこりと出てきてみれば、鬼の子と嘆かれ忌まれ、土地の聞こえを危ぶんだ家人によって土蔵のなかに軟禁された。
「命名することまかりならぬ」と祖母が決めて。
 名があれば、情が定着してしまうから。
 出生届さえも提出されずに。
 この世に無き存在ものとして、生かさず殺さず、人目から隠された。
 だからボズ(と、ひとまずは呼ぼうというわけだ)は、生後しばらくは地元の豊かな自然ともふれあわずにすごした。身近にそびえる霊峰富士も、富士五湖のうちの二つの湖も、街道を抜けたさきにひろがる原生林もボズには無縁だった。ねんねこに隠されて外出することがあっても、顔をもたげて景色を望むことはできなかった。頭からりだしたこぶ、、(あるいは腫瘍)が、ほとほと重すぎたから。

 ボズのこぶは右額から頭のてっぺんにかけて仔象のくるぶしほどにふくらんでいた。こぶに吊られた顔の半分はゆがみ、こぶのふもとには奇岩に圧しつぶされた花のつぼみのような右まぶたがあって、おかげで左右の目の大きさはちぐはぐだった。
 だがしかし、どうだろう。天井知らずに醜悪でどぎつい異貌かおというわけではなかった。もっと醜い赤子なら、よそを探せばいくらかは見つかったはず。単純な美醜の問題にあらず、ボズの顔の造形はなにごとかの、、、、、、調和が、、、致命的に、、、、狂っていた、、、、、。見る者に故もない昏迷と嫌悪をもよおさせ、ことに過敏な目には、窮めつきにおぞましいものとして映った。向きあった者の両目から酸を流しこみ、健全な魂を腐食させるような未知のゆがみかたをしていた。
 誰もが視線を逸らした。
 そんな顔、想像がつくだろうか?
 揺りかごを覗いた人々が、なぜか二度とは覗きなおそうとしない顔。
 犬も吠えるのをやめ、無辜むこわらべは泣き、経験や徳を積んだ産婆や僧侶までもが眼差しをそむける顔。
 奉公人たちはそろって体調不良を訴え、乳母のお乳の出は悪くなった。いとまを乞いたがる者があとを絶たず、だから祖母のフサがじきじきに土蔵に入って、おしめを替えてやらなければならないこともあった。このフサという女性ひとは、古希を数えても家内をとりしきる大奥様だったが、誰よりも外聞や悪声を気にする性質たちで、なにがあっても孫を蔵から出そうとしなかった。カナエの喪が明けないうちから、はよう後妻をめとってちゃんと世嗣ぎを産ませえ、と息子のヤソイチに発破をかけていたようだ。
 では父のヤソイチはどうだったか? 残念ながら実父であってもボズを正視することはできなかった。それでもフサよりはましだったかもしれない。土蔵の奥の揺りかごに閉じ込められたボズを、屋外そとへと連れだすのはヤソイチだけだった。南方戦線から復員したのち、ヤソイチは静岡県の大病院の外科医になっていて、月に何度かはボズを職場にも連れていった。土蔵に閉じ込めることに反対こそしなかったが、それはそれとして、近代合理主義の精神に則ってわが子の精密検査を進めていたのだ。
 だがしかし、できることはかぎられている(CTスキャンも超音波検査もまだ整備されていない五〇年代だ)。こぶを開かなければどうにもならない。南無三、とばかりにメスを入れたヤソイチは腰を抜かしてしまった。これは田舎医者の手には負えない。医師会に上申がなされたが、国内には全く前例がない。ついに世界の学会に協力が要請されるにいたって、推挙されたのがアリ・C・プラブハットだった。
 このインド出身の老医師こそが、ボズの中身、、に立ち向かうことになる最初の人物であった。控えめにいってもこの上ない人材だ。六〇代という高齢にありながら、経験豊富な有数の脳神経外科医だったのだから。はるばる日本にやってきたアリ医師は、手術台に寝かされたボズと向きあうと、狼のような琥珀アンバー色の瞳をロイド眼鏡の奥で潤ませた。赤子のちいさな頭を圧しつぶすほどにふくらんだこぶに、柔らかくを添えながら。

 こぶのなかでは、もう一人の兄弟が死んでいた。生まれることのできなかった、一卵性双生児の片割れが──



(このつづきは本編でお楽しみください)
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