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真藤順丈さんが『宝島』(講談社)で、第9回山田風太郎賞につづき第160回直木賞を受賞されました。
これを記念しまして、カドブンでは真藤作品の試し読みを行います。
先月公開しました『夜の淵をひと廻り』にひきつづき、同じく角川文庫の『墓頭』から5日間連続で公開。
『墓頭』について真藤さんは直木賞発表時の記者会見で、『宝島』の基盤となっている作品と語っています。
双子の兄弟のなきがらが埋まったこぶを頭に持つ主人公・墓頭(ボズ)。
彼が現れるのは、改革運動の吹き荒れる中国、混迷を極める香港九龍城、インド洋孤島の無差別殺人事件……。
自分に関わった者はかならず命を落とす、そんな宿命を背負った男の有為転変の冒険譚をお楽しみください。
○
生まれながらに彼は墓だった──
彼の人生をたどる旅に出るまで、僕が聞かされていたのはその一節だけだった。
血がつながっているにもかかわらず、僕はずっと彼の名前さえも知らなかった。
彼は墓として産衣をまとい、墓として双葉の季節をすごし、数えきれない犠牲者をその人生の供物にして、有為転変の時代を生き抜いたのだ。
あらかじめ断わっておきたい。これから僕が書こうとしているものは、多くの人が望むような美談や成功秘話でもなければ、語り継がれるべき偉人の物語でもない。
これからお目にかけるものは、僕やあなたが暮らしているこの現実において──アジアでは列強の代理戦争がはてしなく長引き、中国の赤き宰相は政策の名のもとに難民と餓死者の数における裏ギネス記録を樹立して、クメール・ルージュはおびただしい人骨を地の肥やしにし、石油成金の首相たちは山岳の民を虐め、砂漠のテロリストがマンハッタンに二機の旅客機を突っ込ませた、この世界において──独裁をおこなったあらゆる抑圧者や、社会の敵とみなされた反逆者たちと肩を並べるほどに、数えきれないほどの死を量産し、目の前にいない他者の人生にまで災厄をもたらした「彼」の一代記なんだ。
誤解を恐れずにいえば、僕だけではなくあなたにとっても無関係ではない、源流にまつわる話になるはずだ。戦争や虐殺でできた傷痕の、完治しない瘡蓋のような現代に生きる僕たちは、誰もが「墓」の末裔にあたるのだ。
もちろん、僕だけでは源流なんてたどれなかった。あまりにも手掛かりが少なかったし、そうでなくても素人調査には限界がある。僕にはナビゲーターがついていたし、それに有力な証言者ともめぐりあうことができた。
すべてのきっかけになったのは父の失踪だったのだが、その件で調査を進めてもらっていた都内の興信所に、海外調査に強い探偵社を紹介してもらった。
「生まれながらに墓だった……意味深なフレーズですね、それは比喩かなにかですか?」
僕についてくれた新実探偵(その仕事柄、匿名に秘する)は、訝しげに目を細めた。手掛かりはその一節だけ、あとは本名も出生地もわからないとあっては、過去の資料や公式記録を調べようもない。新実探偵はのっけから当惑していた。
それでも僕には「彼」のことを知る必要があった。あなたにも覚えがないだろうか? 人には自分でもわけのわからないうちに、ふとした瞬間、ふとしたきっかけで、それまでとはまるで別人になってしまうような、自己をとりまく世界の法則がまるごと書き換えられたかのような、不可逆的な変化が襲ってくることがある。僕にとっては、父が失踪してから──「彼」のことに関わってからがそうだった。
僕はいつのまにか以前の僕ではなくなっていた。ひとなみの暮らしを送ることができず、仕事らしい仕事をすることができなかった。食いぶちをまともに稼ぎだせず、外出恐怖症におちいって、人ごみに出ると吐いてしまう嘔吐癖が染みついた。かといって家に引き籠っていても、たったの一行も文章を書くことができないんだ。
ずっと父の行方を探していたが、そのあいだにも「彼」の存在は、僕のなかでふくらんでいった。それはまるで、体内のどこかに無垢の墓石の形をしたしこりが生まれて、日増しに膨張していくような異物感だった。僕はその重みに、ずぶずぶ、ずぶずぶと溺れていった。それから──そんな苦しさと呼応するように、僕のまわりで異変や災難、不幸な報せがたてつづくようになった。近所をよく徘徊していた夢遊病者が、歩道橋から身投げするところに出くわした。女の子の知り合いがつづけて流産した。僕のiPodにはインストールしていない陰気な歌があふれ、暗い日曜日のような響きをともなって勝手に流れだす。ピアスの穴が緑色に膿みふくれたすえに、右の耳たぶがひとつまみ欠けて無くなった。どうにもできない潮の流れで、僕を乗せた小舟がふらふらと死の領土に吸い寄せられているみたいだった。
「わかりました。お父さんの捜索と聞いてきたけど、こっちの〈彼〉のことも調べるんですね、それでいいんですね? 本名もわからないんじゃ往生するけど、費用さえもらえれば、可能なかぎり調査範囲をひろげることはできますがね」
「よろしくお願いします」
(第2回へつづく)
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