真藤順丈さんが『宝島』(講談社)で、第9回山田風太郎賞につづき第160回直木賞を受賞されました。
これを記念しまして、カドブンでは真藤作品の試し読みを行います。
まずは、2018年11月に文庫版が発売された『夜の淵をひと廻り』(角川文庫)から3日間連続で公開。
同作は、異色のコミュニティ・ヒーロー「シド巡査」が活躍する、国内ミステリー1位(bookaholic認定2016年度)にも輝いた連作短編集。
癖になるダークな味わいの交番警官ミステリーをお楽しみください。



『夜の淵をひと廻り』より「蟻塚」①


 おかげで俺の神経はズタボロなんだよと阿坂あさかは言った。
 警察官だって怖いものは怖いんだよクソったれ。
 お前はよくそうやって、平気な顔をしていられるな?
 われながらこの文章をなんのために書いているかはわからないが、同期の言葉をまっさきに記したのは、ある意味でそれが、この手記の一貫したモチーフのようなものになるんじゃないかと考えたからだ。〝警察官だって怖いものは怖い〟。それはまさしく私たちの偽らざる実感だった。裏通りをパトロールしていて目のトンだ不審者と出くわしたら肝が冷えるし、喜怒哀楽を読みとれないポン中や泥酔者にからまれたら腰の装備に手が伸びる。俺たちはイヌのお巡りさんじゃねえからな、とアサカは言った。俺たちが相手をしている人間さまは、霊長類のなかでもずばぬけてたちの悪い大型の猛獣だから。成人だったら性別に関係なしに身長一・六メートル前後はあるわけだから、ただそれだけでも危険なダイナマイトだ。暴れられて手足が当たったりしたら出血や打撲じゃすまないこともある。立番たちんぼをしていて視線がぶつかるなり、〇・二秒で目を逸らす通行人たち。あいつらがいったいどんな欲望や劣情を隠しているのか、お巡りさんに何を気取られまいとしたのか、想像しているうちにおっかなくなってくることはないか? あいつらが暮らす住居の戸は、その向こうにある〝他者の国〟とのボーダーラインだ。越えたさきは有史上最悪の暴君が治める王国かもしれないし、ありえない奇習がまかり通るアンタッチャブルな秘境かもしれない。世帯の数だけのクソッタレの秘境だ!
 アサカの言うことはもっともだ。私たちは地域住民が怖ろしい。こうしている今もどこかで血は流れている。誰かがあられもない狂気に駆られている。何よりも怖ろしいのは、こちらのまともな神経を、人間らしい理性をねこそぎ食い荒らす猛獣たちが、無条件で私たちに守ってもらえると思いこんでいることなのだ。

 こうして交番業務のかたわらで、動機も目的もさだかではない手記を書きつづるようになったのはいつのころからだったか。アサカと警邏けいらに出ていた時期が含まれるのだから、地域課の警官になって三、四年目といったところだろうか。
 私はどうして書くのをやめられないのか、交番の警官として見たものや感じたこと、遭遇した事件などを書き残すことで、誰かにいずれは読んでもらいたいと思っているのだろうか。だがこれには、同業者の目に留まろうものなら職を失いかねないことも書いてある。作り話じゃないなら違法薬物でもキメて交番に立ってたんじゃないか、と疑われてもしかたがない部分も少なくない。かててくわえて私ほど有能な警官でも、交番業務はとにかく忙しいのだ。学生のころから教師の目を盗んで早弁・仮眠・内職をする技倆わざに長けていた私ほどの男でも、事故や盗難の被害届、拾得物届などをまとめるふりをして日記まがいのものを書きつけるのは、発見されるなり即処分のリスクをともなってくる。だったら非番の日にでも書けばいいじゃんという人が出てきそうだが、こうして制服に身を包んで、交番を書斎にしなければ一文字も進まないのだからそこは許してほしい。とはいえ、警官としてやるべき仕事をおろそかにしたことはないし、筆先だけであることないことを書きつらねてもいない。すべてはみずから体験した事実にもとづく記録であり、そういう意味ではこれを〝シド巡査の事件簿〟と銘打ってもらってもかまわないぐらいだ。それだけじゃない、これはある交番警官の偽らざる所感記録であり、ひとつの時代をふりかえる回顧録であり、公式の記録に残らない街の異変を記した郷土資料にだってなるだろう。読まれて安全な代物ではないが、たぶんだからこそ私は、真っ白なノートを聴衆にしてありのままを訴えるように、ときおり咆えたてるように書きつづけることをやめられないのだ。

 アサカの話だった。彼との警邏には忘れることのできないものが多いが、わけてもある冬のこと。パトカーの窓の外には、雪がちらついていた。
 すこしだけうつらうつらしていた。私をまどろみの浅瀬から引き戻したのは、車載の共通系無線による事件の一報だった。本部より各移動、本部より各移動、山王子さんのうじ本町三丁目十五番地の路上にて傷害事件が発生、刃物で重傷を負わされた被害者は、山王5交番の巡査である様子、各車急行されたし──運転席のアサカ巡査が舌打ちして、
「マジかよ、くそっ、山王5の巡査って誰だよ」


第2回へつづく
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書籍

『夜の淵をひと廻り』

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      真藤 順丈

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