真藤順丈さんが『宝島』(講談社)で、第9回山田風太郎賞につづき第160回直木賞を受賞されました。
これを記念しまして、カドブンでは真藤作品の試し読みを行います。
まずは、2018年11月に文庫版が発売された『夜の淵をひと廻り』(角川文庫)から3日間連続で公開。
同作は、異色のコミュニティ・ヒーロー「シド巡査」が活躍する、国内ミステリー1位(bookaholic認定2016年度)にも輝いた連作短編集。
癖になるダークな味わいの交番警官ミステリーをお楽しみください。

 >>第1回は こちら



『夜の淵をひと廻り』より「蟻塚」②


 顔をしかめながら、サイレンアンプを操作して赤色灯を点けた。私たちがパトロールで乗っているのは交番に配される小型の10系パッソで、無線やパトランプを搭載しているが、車内のほとんどは市販車と大差がない。防犯アクリル板もなく、逃走車の追跡などには向かないが、細い路地でもすいすいと小回りはきくし、駐車スペースのない街路でも使い勝手は悪くない。アサカの運転するパトカーは信号の赤や黄色を無視して、山王子の夜を抜けていった。
 ここ山王子は、西東京のいくつかの主要都市に挟まれたエアポケットのような都市だ。人と影とが渾然となる黄昏時を過ぎれば、まばらな街灯の明かりは街の隅々まで行き渡らなくなる。屋外のグラウンドや野球場、史跡、霊園、城跡公園はすっかり闇に吞まれて、舗道にはカラスよけの網がわだかまり、スピード超過の車のライトがガードレールの反射板をチカチカと瞬かせて、赤くぼやけた蚯蚓みみず腫れのような残像を目に焼きつける。ベッドタウン計画に成功したとは言いがたい公団住宅群は、戸々の灯もまばらで、暗い窓の数だけうつろな空洞をさらしている。パトカーは国道六十七号線から市道に入って生涯学習センターや市立図書館が並んだ交差点を左折する。水のない水路に架かる橋の上が、私たちを呼んだ事件の現場だった。
 他のパトカーが三台、山王子署の刑事課、地域課、鑑識課がすでに着いていた。橋の上にはマル害の血がなすられている。ちょうど私たちと入れ違いに救急車が発つところだった。
「チワワだよ、チワワ」
「違いますよ、トイプードルですよ」
「チワワだって。永崎ながさきさんが飼ってたのはチワワだよ」
 ナガサキは四十がらみで階級は巡査ヒラ、アルツハイマーの母親が亡くなってからは、地域課の婦警に譲ってもらったワンちゃんと暮らしていた。ヘラクレスのような肝臓の持ち主で、酒が強くて涙もろかった。私とアサカは現場の保持をしながらナガサキのことを話した。降りやまない雪があるかなしかの証拠を台無しにしてしまわないように、現場一帯にブルーシートの天幕を張りめぐらせ、立入禁止のテープで囲って、地べたを這いつくばる鑑識課のための動線を確保していく。二月の冷たい夜風になけなしの貴重な体温を剝ぎとられる。現場の制服警官をしきっている巡査部長にこんなときぐらい私語はやめたらどうだといなされたが、何かをしゃべっていなければ、舌や唇が凍りついて駄目になりそうだった。
「おつむが土砂崩れになったようなイカレ野郎だ。拳銃欲しさに警官を襲うなんてどうかしてやがるだろ……」
 アサカはそのあたりから様子がおかしかった。事のあらましは無線で聞かされていた。他の警官が出払っていたので、ナガサキは一人で自転車の警邏に出かけた。夜の十一時すぎ、二十代なかばの若い男に呼び止められて、最寄り駅までの行き方を尋ねられた。職務質問のタイミングをうかがいながら道順を教えていたところで、相手の男がいきなりスイッチでも入ったように、手提げのトートバッグからサヴァイヴァルナイフを出してめちゃくちゃに振りまわした。八方破れではあるがためらいのないナイフさばきだったという。腕に三ケ所、腹部に二ケ所の深傷ふかでを負ったナガサキはさらに拳銃も奪われそうになった。コードを刃先で切断されたが、ナガサキは銃把をつかんで意地でも離さず、引っぱる手がゆるんだ一瞬に、地面に向かって発砲。強奪をあきらめたマル被は逃走、ナガサキはふらふらになりながら一部始終を無線で伝えて、応援要請までしたところで意識を失った。
 恐れ知らずのマル被は、かなりの吊り目に、細いあごと鼻筋、瘦せ型でアーミージャケットを着用。酒臭かったが足元がふらついている様子はなかった。最初から拳銃を奪うつもりで警官を襲ったものと見られる。病院に運ばれたナガサキは意識不明の重体、山王子署の強行犯係および機動捜査隊が、逃げたマル被を追っていた。
「私はシドです。地域課のシド巡査であります」所属と階級を名乗ってから進言した。一介の制服警官の差し出口は喜ばれないが、私ぐらい有能な警官になると、わずかな情報だけでもビビッと脳裏をよぎるものがあるのだ。「マル被は強盗でもやらかすつもりなんじゃないかと思います。ここから徒歩十五分ぐらいの国道沿いに新装開店したパチンコ店があるんですが、売上の回収を朝八時にやります。ところが最近、勝手口に停まった現金集配車をこそこそと観察してる不審な男がいるって、うちの交番に相談があったばかりなんです。すみません、お耳に入れておかなきゃと思いまして。あとはよろしくお願いします」


第3回へつづく
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書籍

『夜の淵をひと廻り』

真藤 順丈

定価 994円(本体920円+税)

発売日:2018年11月22日

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    『墓頭』

    真藤 順丈

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      『庵堂三兄弟の聖職』

      真藤 順丈

      定価 637円(本体590円+税)

      発売日:2010年08月25日

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