真藤順丈さんが『宝島』(講談社)で、第9回山田風太郎賞につづき第160回直木賞を受賞されました。
これを記念しまして、カドブンでは真藤作品の試し読みを行います。
まずは、2018年11月に文庫版が発売された『夜の淵をひと廻り』(角川文庫)から3日間連続で公開。
同作は、異色のコミュニティ・ヒーロー「シド巡査」が活躍する、国内ミステリー1位(bookaholic認定2016年度)にも輝いた連作短編集。
癖になるダークな味わいの交番警官ミステリーをお楽しみください。
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『夜の淵をひと廻り』より「蟻塚」③


 これがもしも刑事課の所属なら、弔い合戦とばかりに捜査に血道を上げるところだが、あいにく私とアサカは地域課だ。現場での役割をすませてしまえば、事件捜査にとどまる理由はない。捜査がしたければ昇任試験を受けなくてはならないが、私もアサカもおたがいにそこまでの意欲を示したことはなかった。
 私がパトカーの運転を代わって、夜の街の警邏に戻った。
 車窓の外に、移ろう夜の風景に、深々と雪が降っていた。

 夜の十二時をすぎて、アサカは寄り目になるほどのこめかみの痛みを訴えていた。
 同僚の傷害事件のショックをひきずっているのはあきらかだった。
 警邏のパトカーの車内では、すぐに口が悪くなるのがアサカという男だ。
 このころはとみにひどくなっていた。自分の神経がいかに傷んでいるか、交番勤めの警官がどんなに危険と隣りあわせかを吐きつらねて止まらない。かなり心身が滅入っているようなので、私はまとめて休暇をとったらどうかと勧めていた。
「あ~だめだ、首の筋までおかしい。寝違えたときの二十倍ぐらいの痛さだ」
「署のロッカーに、塗るタイプの肩凝り薬ありますよ。クリームジェルのやつ」
「でもあれか、ナガサキさんはもっと痛かったか」
「……アサカ、大丈夫?」
 アサカは警察学校の同期だが、年齢は私が三つ下だ。山王子署の地域課にそろって配属になって四年、私がこの仕事でもっとも信頼を置いているのはアサカとのパートナーシップだった。口は悪いが真っ直ぐな警官で、腹に含みをもたない。こうして警邏のパトカーに同乗していて、おたがいに黙りこんでも息が詰まらないのはアサカぐらいだったし、夕暮れや夜明けのきれいな空を見たら素直に得したぜと言える男だったし、仕事終わりにアサカと開栓するビールはささやかだけど馬鹿にできない私の楽しみだった。
「こうやって夜廻りをしていると血のめぐりが阻害されて、手足が眠ったようになってくることはないか? ちげえよアホ、座席の角度がどうのって話じゃねえんだよ。自分のなかのどこか大事な部分が麻痺したみたいに重たくなってくるの」
 アサカがおかしなことを口走りはじめていた。このところの不調のあげくに、ナガサキの事件がなんらかの呼び水になったのか、あきらかに変調をきたしている。窓の外では砂時計のようにくびれた街路樹の枝葉が風で騒いでいた。
 私が運転するパトカーは山王子のロマンティック商店街を抜けて、中華料理のとんとん亭を左折、クリーニング店と焼肉屋と携帯電話ショップのバリサン堂を通過する。バリサン堂のマスコットはファンシーな鬼の兄妹で〝電波オニ立ち!〟のフレーズとともに三本の角を生やしている。安定した人気の銘柄〝いさなビール〟の看板では、勇魚くじらにまたがったグラビアタレントがカロリー50%カットの新商品を宣伝していた。
蟻塚ありづか、ってあるじゃんか」
 アサカはそこで、前後の脈絡もなく言ったのだ。
 私は眉をひそめた。蟻塚?
「……あるね、アフリカとかに。それがどうかしましたか」
「俺には人間どもが、蟻塚に見えることがある」
「あっそう? だったら次の非番には、眼科を予約したほうがいいね」
 地中に巣を作るためにアリが掘り出した土の堆積。こんもりした盛り土。お城や尖塔せんとうやゴジラの糞に見えることはあっても、人の形になることはまずありえない。逆もまたしかりだ。
「こんなこと、お前だから打ち明けるんだ」とアサカはつづけた。「たまに人間ってのは、正気とは思えねえことをやらかすだろ? 突飛なふるまいの度が増して、とてもじゃねえけど理解不能な狂気の塊になりはてることがある」
「アサカ、何を思いつめてるのか知らないけど……」


(このつづきは、本編でお楽しみください)
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