俺と師匠とブルーボーイとストリッパー

【祝・新井賞受賞】「早く脱げ」客の野次は“今世紀最大級の踊り子”のステージで感嘆の声に変わる――桜木紫乃『俺と師匠とブルーボーイとストリッパー』#5
書籍発売前に第13回新井賞を受賞し、話題沸騰中の『俺と師匠とブルーボーイとストリッパー』。2月26日の発売に先がけ、第1章の読みどころを掲載します!
「世界的有名マジシャン」「シャンソン界の大御所」「今世紀最大級の踊り子」というキャッチコピーとは正反対のタレントたちと主人公が出会う場面です。ぜひお楽しみください!
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落ち着いた店内をぐるりと見回したあと、ストリップショーへと移り変わるステージの紹介は短かった。
――続きましては、セクシーダンサー、フラワーひとみさんのステージをお楽しみください。
師匠に背中を
元はジャズメンたちで構成されたバンドが、どこかで聴いたことのあるスローなナンバーを演奏し始めた。ライトの真ん中で、フラワーひとみが肩口を揺らして踊る。
早く脱げ――ダミ声のヤジが飛んだ。
フラワーひとみは、素顔を想像もさせない、鼻の高さから目元の彫りの深さ、赤い唇も、客席にいるときは目立たないホステスだったものが、ライトを浴びるだけでフランス製のマネキンに変わった。ビートのきいた曲では、腰を前後に揺らして体を上下させる。まるで両脚の間に男を挟んでいるような姿だ。ときおり「おお」という声が客席から漏れる。
肩口からするりとガウンを滑らせ、そのまま脱ぐのか脱がぬのかライトで透ける背中には、羽によく似た肩甲骨が上下していた。ひとみの首がゆるりと章介のほうへ向けられる。顎を軽くひねった。師匠が隣で「ライト」と囁いた。
ライトの色をひとみが持ってきたセロファンに変える。ドラムがしゃらしゃらとした砂の音になる。ギターが泣き始めた。
濃いピンク色に染まった踊り子の肌がなまめかしくうねり、乳房が揺れる。ヤジはもう飛ばない。床に落としたガウンの上でちいさなショーツ一枚になった彼女が、片足を耳のあたりまで持ち上げた。指先がショーツをなで回し始めると踊り子は目を閉じ、唇を開く。
ジーンズがきつく感じられ、章介は尻をちいさく左右に振った。悔しさで舌を鳴らしそうになる。あんな年増に反応する自分の、パンツの中身が情けなかった。
その夜二度目のステージで、師匠は見事に同じ失敗を重ね、入れ替わった客から同じようなヤジを浴びた。違っていたのは、ラストの
客が帰った店内の片付けをしている章介のそばに、木崎がやってきた。フロア係がだるそうな仕草で章介の手にあった灰皿を持って行く。
「名倉くん、今日はタレントさんたちを寮まで案内して欲しいんで、上がって」
自分の寝起きしているアパートが「パラダイス」の寮だったことを思い出すのに少し間が空いた。噂が浸透しているのか、タレントたちは滅多なことでは「寮に入ります」とは言わない。木崎も意外だったとみえて、わずかに声を落とした。
「上手く伝わってなかったみたいなんだ。真冬にあの建て付けだしね、後から文句言われるのも何だしさ。無料の寮もありますが老朽化で今はほとんど使われてない、って言ったつもりなんだけど。三人とも、寮があるならそっちで寝起きするって言うんだよ。こんなこと久しぶりでびっくりしてる」
「三人とも、あそこに寝泊まりするんですか?」
「長期滞在用の旅館もありますしご紹介しますよ、って言ったんだよ。だけどさ――」
木崎が不安げな目つきで首を横に振った。無料の宿泊施設を使わない場合は、タレントの持ち出しである。三人は章介に案内してもらうのを楽屋で待っているという。慌てても落ち着いても、結果は変わらない。三人が本当にあのボロアパートで暮らせるかどうか、結果はどうあれ今日は連れて行かねばならないのだった。
「分かりました。じゃあ、早めに上がります」
よろしく頼むよ――木崎はそう言ったあと、表情を穏やかなものに変えて章介の肩を二度叩いた。
「照明、良かったよ。アナウンスは絶品。あの先生はマジックやめて司会業やったほうがいいと思うね」
給料はオーナーに掛け合うから、と言われれば素直に
照明係と一緒に逃げたナンバーワンは、その日章介の耳に入ってきたホステスたちの情報を組み立てると、夫も子供もいたという。彼女がすべてを捨ててついてゆくほどの何が、あの気弱そうな男にあったのか。誰も想像出来なかったと、そこだけはみな感心した。
閉店後、まだ噂話のざわめきが残る「パラダイス」で、夜仕事の長い六十代のホステスが「ここは喜んでやるところだよ」とフロアで噂話に花を咲かせるスズメたちを
――この先痛い思いしながらでも生きて行こうってんだから、長患いが終わったことを喜んでやらなけりゃ。戻ってきたら、そっちが患いだったと一緒に笑ってやればいいのさ。みんなこの世とあの世を行ったり来たりだ。あたしはそんなの何遍も見てきたよ。
ベテランのひとことに納得させられて、フロアはたちまち静かになった。
さて、と楽屋のドアをノックする。中からソコ・シャネルが「はぁい」と返した。
「その後、ネズミは出ていませんか」
「やだ、思い出させないでちょうだい」
師匠はもちろん、ブルーボーイもストリッパーも素顔だ。三人とも、今夜なにごともなかったような顔をして、狭い楽屋に並んで座って章介を見ている。
「マネージャーから、寮のほうに案内するように言われてます。用意はいいですか」
心の準備も、と問いたくなる。
部屋は三つ、ストーブもそれぞれポータブルがひとつずつ置いてあるはずだが、灯油の予備は二十リットル入りがひとつしかない。三部屋で分けて同時に使ったらひと晩でなくなってしまう。
衣装や小道具を楽屋に置いて、みな自分の荷物を手に持った。師匠のバッグには鳩も入っている。氷点下でも生きていられるのかどうか訊ねた。
「ちいさくたたんで、暖かくはしてあげていますがね、どうでしょうね。うちの子は羽を切っていないのでね。早く暖かいところで羽を広げたいだろうと思いますよ」
橋の上で「寒い」「凍える」「死んじゃう」を連発するシャネルと、歯の音が聞こえそうなくらい震えるひとみと、大きな黒いバッグを胸に抱えた師匠を連れて、章介は「パラダイス」の寮へと戻った。
(このつづきは本書でお楽しみください)
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