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【祝・新井賞受賞】男の顔で男の声で言葉と衣装は女もの。見上げるような大男が放った強烈な一言とは? 桜木紫乃『俺と師匠とブルーボーイとストリッパー』#2

書籍発売前に第13回新井賞を受賞し、話題沸騰中の『俺と師匠とブルーボーイとストリッパー』。2月26日の発売に先がけ、第1章の読みどころを掲載します!
「世界的有名マジシャン」「シャンソン界の大御所」「今世紀最大級の踊り子」というキャッチコピーとは正反対のタレントたちと主人公が出会う場面です。ぜひお楽しみください!

>>第1回へ

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 ドアを開けた楽屋の前で、ぷるぷると震えながらソコ・シャネルが中を指さした。
「ちょっとあんた、あれを見てみなさいよ」
 楽屋の中をのぞくと、丸椅子に腰掛けたフラワーひとみが唇から指先へと煙草を移し、あごの先で隅に置かれた段ボールを示した。
「なにか、ありましたか」
「ネズミ」
「ネズミがどうかしましたか」
「ゴキブリよりええやろと思うんやけどな。シャンソン界の大御所が大騒ぎしよるねん」
 章介はおそるおそる段ボールを開けてみた。動物の糞尿ふんにようと、歌手と踊り子の衣装にみた香水のにおいでこめかみが痛み出す。段ボールの中に、まるまると太った親ネズミと子ネズミがびっしり詰まっていた。段ボールの壁側に親ネズミの胴に合わせたような穴が空いている。いつ入り込み、どこから食べ物を調達していたものか。ネズミとネズミの隙間に見え隠れするのは、店で出している乾き物や菓子の袋だ。裂かれ千切られてはいても、あれもこれもなんとなく見覚えがある。店の掃除が行き届かぬゆえの繁殖なら、章介の責任である。
「すみません、すぐなんとかします」
 ガムテープで穴をふさいで外へ持ち出そうとするも、数匹が風の速さで飛び出し、店の絨毯じゆうたんに紛れて見えなくなった。ソコ・シャネルが悲鳴を上げる。じゆもんのように「すみません」を繰り返し、行く手を塞がれたネズミたちの臭い住処すみかを表に出した。店の近くに置いたのでは、この寒さだ。すぐに店内に戻ってきてしまう。
 あきらめの白い息を吐き、章介は寒さをこらえて五十メートル先の川縁かわべりへと走った。段ボールは糞尿で湿った底が今にも抜けそうだ。工場や魚屋が入っていた長屋の立ち退きが終わって、コンクリート護岸工事中の川縁は、川面を美しく見せようと懸命だ。
 章介はひとつ息を吐き、どこに向かってでもなく「すまん」と怒鳴り、川面めがけて力いっぱい段ボールを放った。
 両手から離れたネズミたちは、数メートル先の水面にどぷんと音を立てて、そのまま引き潮の河口へ向かう。部屋に置いてきた骨壺が目の裏に浮かぶのをどうにかしたい。冷え切った皮膚が寒さを通り越して痛みを感じ始めた。
「パラダイス」に戻ると、今度は楽屋の前にタレント三人とマネージャーの木崎がいる。木崎がひときわ涼しい顔で訊ねた。
「名倉くん、問題の奴らはどうにかなった?」
 ぜいぜい息を吐きながら「川に」と答えた。満足そうな表情に、それ以上の含みがないことを祈りながら、仁王立ちしているソコ・シャネルを見上げた。
「あたしね、この楽屋じゃとてもじゃないけど待機なんか出来ないのね。だから、フラワーさんと一緒にフロアに出ることにしたの。三人の順番は、マジック、ダンス、そしてトリはあたしの――」
 ちょっとお待ちを――木崎が割って入った。
「僕の説明が悪かったならごめんなさい。トリはフラワーさんにつとめていただくということで、ご本人にも了解をいただいているんですが」
 そこは譲らぬ姿勢のソコ・シャネルが、じろりとフラワーひとみを見下ろした。
「あんた、そうなの?」
「どっちでもええねんけど、こういうときは店の都合が先に来るやろ。フロアに出るつもりやったら、その怖い顔なんとかしとき」
 チャーリー片西だけが、口を開く人間の方を見ては微笑んでいる。
「では、そういうことで。七時の開店までに、ステージで音と位置の確認を済ませておいてください。シャネルさん、楽譜はバンドリーダーのドラマーに人数分お渡しください」
 木崎はフラワーひとみに向き直り、音楽はどうするのかと問うた。
「スタンダードの曲を三曲か四曲、スローから入ってくれればどんな曲でもええ。うちはこだわらん性分なんや。バンドマンにそう言うといて。ボン、ええか」
 急に話を振られて、慌てて頷いた。にやりと笑った踊り子は、化粧の途中でまだまゆがなかった。
 今夜の演し物は、マジック、歌謡ショー、ストリップの順に決まった。ネズミが出る楽屋で待機しているくらいならフロアに出る、というソコ・シャネルの希望もかなったようだ。
「衣装はどうしようかしら。最初からドレスで接客して、ステージのときだけマラボーを使うのもいいわね」
「マラボー?」
 女装のシャンソン歌手が言う「マラボー」が何を指すのか、こわごわ訊ねた。ソコ・シャネルの唇が四角く開いて再び「そうよ、マラボー」と返ってくる。フラワーひとみが下品な笑い声を立てた。
「ボン、マラはマラでもマラボーや。マラの棒やあらへんで。オーストリッチの羽根マフラーや。なんや、ステージの照明まで任されときながら、マラボーも知らんのか。これやから田舎はあかん。良かったなボン、ひとつ大人になったやないか」
「あたしもカーニバル真子まこみたいにモロッコでちょん切っちゃいたい」
 けど、これがね――ソコ・シャネルが体をくねらせながら親指と人差し指で輪を作り、先立つものがないのだと嘆いた。
「ここのフロアでチップを稼がなあかんな」
「そうね、働かざる者、切るべからず」
「そうと決まったら、はよ化粧せな」
 さっきまで出演の順番でめていたとは思えない調子で、ふたりが顔を見合わせた。章介はほっと肩から力を抜いた。
「開店は七時です。タレントさんの食事は、出番の八時までに近所で食べるか出前を頼むかしていたんですけれど、フロアに出るとなると――」
 開店まであと二時間。ミーティングに出るならあと一時間三十分だ。珍しくチャーリー片西が口を開いた。
「近所にどこか美味おいしいお店はあるんでしょうか」
 章介は「チャーリーさん」のチャまで口に出して慌てて「師匠」に切り替える。
「ラーメンも餃子も、まあまあな定食屋があります。『パラダイス』の名前を出せば多少安くなります」
 三人同時に「ラーメン」とハモった。
「決まりですな、では急いで行ってまいりましょう」
「あら、チャーリーさんは出番八時なんだからゆっくりしてもいいのよ」
「いや、おふたりにお供いたします。道に迷っても何ですから」
 章介は店のマッチの裏に、定食屋までの簡単な地図を描いた。「パラダイス」からは歩いて三分だと告げると、三人とも口をそろえて「三分も」と再びハモる。誰に渡せばいいのか、ゆらりと視線を泳がせると、ソコ・シャネルの赤い爪がするりとマッチをつまみ上げウインクをした。
「メルシー」
 男の顔で男の声で言葉と衣装は女もの――シャンソン歌手は、昨今流行はやりのブルーボーイなのだった。

 バンドメンバーが楽譜を確認し、段取りが決まったあと、章介はライティングの準備に入った。バンドリーダーでドラマーの潤一じゆんいちが章介を冷やかす。
 ――俺の頭までちゃんとライトあてないと、薄気味の悪い絵面になるからな。章ちゃんしっかり頼むぜ。
 バチだけが浮いているステージを想像し、暑くもないのに背中に冷たい汗が流れる。「それも面白いですね」と強がってはみるが、そんなことになったら明日から店の前に「照明係募集」の張り紙が出てしまう。
 照明の、ひととおりの作業は頭に残っている。問題はアナウンスだ。忘年会シーズンのキャバレー「パラダイス」の、午後七時半現在の客入りは八割。二階の「アダム&イブ」も五、六割の席が埋まっている。ショーが始まる直前にはほとんどの席が埋まりそうだ。そこかしこから「三億円」「時効」「丸儲まるもうけ」といった言葉が聞こえてくる。年末に大金の話、それも誰かが丸儲けした「億」という金の話は、ねじれてれて、いい酒のさかなのようだ。
「アダム&イブ」の回廊下部に取り付けた地明かりサスペンションの角度を、継ぎ足したステージの真ん中に合わせてある。マジックはこれで大丈夫だ。チャーリー片西は、マイクの位置と声の拾い加減を確かめたほかは何の注文もないという。
 ソコ・シャネルのステージは、おおかたの曲を舞台上で歌うけれど、盛り上がりによってはラストの曲でフロアに降りるという。薄暗いフロアを練り歩くときは、フォローピンスポットで追わねばならない。
 ――できる?
 ――やります。
 照明の一部をフラワーひとみが指定した色に変えた。踊っているあいだはフォローピンスポットをあて、肌を出し始めたところでパーヨンに変える。ショータイムのトリだ。失敗は許されない。
 普段は多くて二人というタレントを、初めての仕事で三人照らすのだった。自分を「素人」と思ったら負けなのだ。漠然とそんな言葉で奮い立たせたうちに、博打で一生を食い潰した父の 血を感じ取って首をぶんぶんと横に振った。
 ステージから向かって右側の壁近くに設置した照明器具の、首の振り加減を確かめる。息を吐いて吸って吐いて――吸おうとしたところで真横にチャーリー片西が立っていた。いつからそこにいたのか。丸くて小さい顔に柿の種を貼り付けたような目と常に上がった口角は、どんな感情も伝えてこない。
「名倉さん、今日が照明デビューなんですってね」
「ええ、まあ。でもひととおりのことは習っていますし大丈夫です。安心してください」
 章介の見栄みえをどう解釈したのか、チャーリー片西は「うんうん」と頷いた。タレントたちの好意的な視線に慣れていないせいか、続かぬ会話の間が少々薄気味悪く感じられ、章介はぽつりと「問題はアナウンスなんです」と漏らした。
「アナウンスがどうかしましたか」
「紹介するときにトチらないか心配で」
「お話、苦手ですか」
「自信ないです」
 ふんふんと相づちを打っていたチャーリー片西が、するりと言った。
「では、わたしがやりましょう」
 聞き間違いではないかと顔を見る。酔いのまわった漁師や炭鉱マン、背広姿の客とホステスがひしめく店内の喧噪けんそうがぷつりと途切れたように感じ、章介は彼の、会ってから初めて見る自信たっぷりの笑顔に問うた。
「師匠、いいんですか」
「ええ、ギャラの割り増しとか面倒なことを言い出したりはしませんから、ご安心ください」
 小男が天使に見えたところで、ショータイムが近づいてきた。責任者はマネージャーの木崎だが楽屋とタレントの世話、ショーにまつわる細かな準備は章介に任されている。ここで照明係として使いものになれば、居場所も増える。しかし、照明だけでも手一杯なところにタレント紹介も、となればなにか取りこぼしそうで内臓が震える。
 章介は素直にチャーリー片西に頭を下げた。
 スポットの持ち手に引っかけたラックからマイクを手に取った。チャーリー片西がにこやかに頷き、それを受け取る。
 客も席で女の子の尻を触りながら「三億円」の使い途を説きつつショーを待っている。常連がナンバーワンホステスがいないことに気づくのはもう少し後のことだ。まさかあの賢いホステスが、せん病質びようしつで気難しそうな照明係と出奔するとは思わなかったが、逃げるならどこまでも逃げて欲しかった。父が死ぬまで逃げられなかった母親のことを思えば、人間逃げるが勝ちに思えるのだった。

(つづく)


書影

桜木紫乃『俺と師匠とブルーボーイとストリッパー』
定価: 1,760円(本体1,600円+税)
※画像タップでKADOKAWAオフィシャルページに移動します。


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