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【祝・新井賞受賞】鳩は勝手に飛び立ち、トランプは手からこぼれ落ち……“世界的有名マジシャン”の技術炸裂!? 桜木紫乃『俺と師匠とブルーボーイとストリッパー』#3

書籍発売前に第13回新井賞を受賞し、話題沸騰中の『俺と師匠とブルーボーイとストリッパー』。2月26日の発売に先がけ、第1章の読みどころを掲載します!
「世界的有名マジシャン」「シャンソン界の大御所」「今世紀最大級の踊り子」というキャッチコピーとは正反対のタレントたちと主人公が出会う場面です。ぜひお楽しみください!

>>第2回へ

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 八時――
 マイクを片手にしたマジシャンが軽く咳払いをする。章介はチャーリー片西を抵抗なく「師匠」と呼んだ。
「師匠、よろしくお願いします」
 照明を落とした「パラダイス」の店内は、半分になった喧噪がさざ波になって薄れてゆく。飲み込んだつばの音が横にいる師匠のマイクに拾われないかと息を止めた。
 ――レディース&ジェントルメン、えーんどおとっつぁん、あぁんどおっかさん。グッドイブニングおこんばんは〜、グッドアフタヌーンおこんにちは〜。
 フロアが一階二階かまわず拍手で埋まる。一拍置いて、師匠がもったいつけたあと甲高い声を張り上げた。
「本日はキャバレー『パラダイス』へようこそ。年の瀬も迫り、時効を迎えた三億円も無事天下を回り始めました。今宵こよいひととき、遠くラスベガスからはるばるやって参りました、当代きってのマジシャン、チャーリー片西のマジックファンタジーをお楽しみください」
 あちらこちらから「なんだトニーたにじゃねえのか」「誰だ、チャーリー片西って」というささやきが聞こえてくる。呆気あつけにとられているうちに、涼しい顔でマイクをラックに戻した師匠がボックス席を縫って歩き出した。章介は慌ててその背中をスポットで追った。
 一階フロアから二階から、拍手が師匠を迎える。ドラムが低く鳴り響く。ピアノとギターが「オリーブの首飾り」を弾き始めた。その自己紹介アナウンスとは打って変わった、遠慮がちな師匠がステージで一礼した。スポットをあてたまま、師匠を見守る。
「どうも、ただいまご紹介にあずかりましたチャーリー片西でございます。世界的有名マジシャンなので、この国ではあまり活動してはいないんですが、世界へ行くとまぁまぁなんでございます。特にね、ラスベガス。あそこはいいですよ、誰もこっちを見ていないもんですから、紹介されたまま永遠に有名マジシャンでいられるわけです」
 そこで、師匠のよれた上着の裾からどさりと何かが落ちた。笑うタイミングを逃したステージ前のボックス客がどよめく。ホステスたちのちいさな悲鳴が聞こえた。
 師匠の足下で白いものがもぞもぞと動き始めた。
「おやお前こんなところに。まだ早いですよ、困りましたね」
 マイクに向かってそうつぶやいた師匠は、さっと白い落とし物を拾い上げる。
 はとだった――
 師匠の両手に包まれた鳩が羽をもぞもぞと動かしながらだんだんその体を大きくしてゆく。一度、ふわりと羽を広げた鳩の頭をなでたあと、手のひらでくるくると丸めて、師匠は上着の内側へと戻した。
 前の席からさざ波のように笑いが広がってゆく。ステージを見下ろせる「アダム&イブ」からの笑い声も降ってくる。
 なんだこりゃあ――
 呆気にとられる客に向かって、師匠が「すみませんねえ」と言いながら、上着のポケットに手を入れトランプを取り出す。鮮やかな手つきでシャッフル――しているように見えたのはほんの数秒だった。
 師匠は右手から左手へ、落下させながらトランプを移動させるところで、今度はトランプを落としたのだった。途端、今度は遠慮のない笑いが店内を包み込んだ。たいがいのアクシデントには慣れっこのはずのドラマーが、一瞬目をむいた。章介も、一曲のうちに二度も失敗をしたマジシャンを初めて見た。
 師匠は何食わぬ顔で床に散ったトランプをかき集めると、もう一度右手から左手へ、カードを落下させた――が、再びトランプは床に落ちた。
 ギターもなすすべがないのか、曲を絶妙なタイミングで泣きのギターに変えた。泣いてもおかしくない師匠はといえば、黙って落ちたカードを見下ろしている。両手をだらりとさげて、呆然ぼうぜんと床を見ている。
 章介はマイクに手を伸ばしかけた。ここでひとこと「ここまでのステージはチャーリー片西さんでした」と言えば済む。済まないのはその後のことだが、とりあえずこの窮地を切り抜けるにはステージを降りてもらうしかない。
 覚悟を決めてひとつ大きく息を吸ったところで、師匠がポケットから赤いハンカチを取り出した。まだやるつもりらしい。ギターは演奏を続ける。低く、ドラムが戻ってきた。
 この期に及んでステージを続けるマジシャンを、不穏な気配が包んでいる。客席には妙な一体感が漂い始めていた。一度くらい成功の拍手をおくりたいという善意の隣にある、最後まで失敗してほしいという期待だ。
 応援と好奇心に勝ったものか負けたものか、世界的マジシャン、チャーリー片西の手の中で揉まれた赤いハンカチから、バネに似た動きの羽根の花が飛び出した。ぱらぱらとだが、拍手が起こる。花のあとにやっと鳩が一羽ハンカチから顔を出した。
 柿の種そっくりな目がわずかに下がったように思えたそのとき、師匠の上着の襟口から二羽の鳩が飛び出し、一羽は全身を震わせながら羽を広げると、肩にいる間も惜しむように飛び立った。どさりと床に落ちたもう一羽が、夢から覚めたように遅れて飛び立ち、二階の手すりで羽を休ませる。客も章介も鳩に気をとられた。
 スポットの手が遅れたことに気づいたときには、ステージにもう師匠の姿はなかった。慌ててマイクを持とうとしたとき、さっと背後から手が伸びた。
 ステージに立っているときの姿を想像させない声で、師匠が高らかに「マジシャン、チャーリー片西でした。みなさま盛大な拍手、ありがとうございます」とフロアに催促をした。
 最初はぱらぱらと、やがて笑いとともに投げやりな拍手が起こり、その空間に鳩が舞った。さびしいのか面白いのか、もしかすると安堵あんどなのか、名前のつけようのない心持ちが章介に押し寄せてくる。鳩が二羽、マイクを持った師匠の肩に戻ってきた。

(つづく)


書影

桜木紫乃『俺と師匠とブルーボーイとストリッパー』
定価: 1,760円(本体1,600円+税)
※画像タップでKADOKAWAオフィシャルページに移動します。


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