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試し読み

血肉が世界を覆う、超SFハード・バトルアクション! 【小林泰三『AΩ 超空想科学怪奇譚』特別試し読み#5】

2023年8月24日(木)に小林泰三さんの『AΩ 超空想科学怪奇譚』が再刊となります。宇宙から飛来した生命体「ガ」と地球人・諸星隼人、そして人類の存続を脅かす存在「影」による超スケールのSFホラーである本作は、日本SF大賞の候補作になるなど発表当時も非常に話題になりました。『玩具修理者』『人獣細工』『アリス殺し』など、読む者の常識を揺さぶる作品世界を構築し続けてきた小林泰三さん。著者の数少ない長編作品のひとつである、超SFハード・バトルアクション小説をどうぞお楽しみください。 



小林泰三『AΩ 超空想科学怪奇譚』
冒頭部「徴候」特別試し読み#5

「これは左手だ」
 沙織はうなずく。「そして、わたしの夫のものではあり得ない。なぜなら、わたしの夫は左腕を二本も持っていなかったから」
「これは申し訳ないことをしました」唐松は少し焦っているようだった。「きっと同じ場所にあったため、自衛隊員が一体と誤認したのでしょう。すぐに移棺いたします。ということは申し訳ありませんが、ご主人の遺体はこの左腕だけということになってしまいました。にふす手配はこちらの方でいたしますから……」
「左手のない遺体は何体ありましたか?」
「えっ?」
「左手のない遺体です。左手がない遺体はすべて主人の可能性があります」
「まだ続けられるのですか?」
「左手がほぼ完全な形で見つかったからには他の部分も見つかる可能性が高いんじゃないですか? あるいは左手以外は無傷で、今も山の中で救助を待っているのかもしれない」
「諸星さん、希望を持たれるのはわかります。しかし、この事故では助かりようはないんですよ」
「じゃあ、主人の左手以外の部分を見せてください。そうすれば納得します」
「あの……」さっきから二人の近くでもじもじしていた若い看護婦がおずおずと声をかけてきた。「左手に異常がある遺体と言えば、Bの七二番がそれではないでしょうか?」
 唐松はめ息をつきながら、首を振った。「あれは違うよ。確かに左手に異常があったが、あれは先天的なものだ。なにしろ、左手だけが普通の長さの半分しかなくて、小さな指までついていたんだから」
「でも、あの腕は妙な感じでした。透き通るように白くて、すべすべして、まるで胎児のような」
「左手だけ胎児だなんてことがあるものか、それにちゃんと指紋もあった。あれは絶対に先天的なものだよ」
「とにかく、そのBの七二番を見せていただけますか?」
「しかし、あの遺体は明らかに関係ないですよ。ほぼ完全に近い遺体で、左手も残存していたのですから」
「とにかく、見せてください。関係あるかどうかはわたしが判断します。こうして、ここで言い合っていても先にすすまないじゃないですか」
 唐松はあきれたような顔をして歩き出した。沙織と看護婦が後に続く。
「さあ、これがBの七二番の遺体です」
 そのひつぎふたには特徴票以外には何も載っていなかった。持ち物も衣類も発見されなかったらしい。
 唐松は蓋を持ち上げた。ドライアイスの霧が床へ流れ出す。腰にふんどしのように白布を巻きつけたほぼ全裸の男性死体が現れた。血の気はなかったが、損傷はほとんどなく病死と言っても不思議ではないぐらいだった。
 遺体を見た瞬間、三人が三人とも息を飲んだ。
「こんな馬鹿な。……あり得ない」唐松は目を見張った。「これは本当にBの七二番なのか?」
「確かに、Bの七二番です。遺体の特徴も蓋に貼られた特徴票に一致しています。その……左手を除いて」
 唐松は遺体の左手に触れた。それは正常な長さの左手だった。肩やわきの下を探ってみたが、何らかの細工が施された形跡は全くなかった。今この遺体を見る限り、最初からこの状態であったとしか思えない。しかし、唐松はほんの3日前に左手の異常を確認しているのだ。
「理由はわからないが、何かの手違いがあったようです。特徴票や死体検案書を書きなおさなければいけない。ひょっとして、特徴票だけを見てこの遺体に面接しなかった方の中に遺族がいた可能性もある。遺体が確認できなかった遺族すべてにもう一度連絡するように手配しましょう」唐松は慌ただしく、その場を去ろうとした。
「待ってください!」沙織は叫んだ。
 唐松は立ち止まった。
「他の遺族に知らせる必要はありません」沙織は遺体の頰を優しくぜた。
「まさか、だって……」看護婦は目を疑った。
「ご主人ですか?」唐松は四十度近い気温の中で震えていた。
「主人です」沙織は隼人の手を持ち上げ、自分の頰に擦りつける。「可哀相に」
 看護婦は足早にその場から離れた。
「こんなことは考えられない……」唐松は言葉がなかなか見つからないのか、口をぱくぱくと開いたり、閉じたりした。「とにかく複数のミスが重なったようです。どう言っておびすればいいのかもわかりませんが……」
「あなたに謝っていただく必要はありません。なんの責任もないんですから……」
 沙織の目から自然と涙が流れ出す。本来なら、遺体が確認できたことは幸運なことなのかもしれない。だが、夫の遺体が見つからないことにいちの望みを託していた沙織にとって、最後のとりでを打ち砕かれたにも等しいことだった。
「とにかく、指紋の確認をしましょう」
「その必要はありません」
「もちろん、奥さんを疑っているわけではありません。ただ、面接だけで遺体をお渡しするわけにはいかないのです。どうか、わかってください」
「では、早く指紋をとってください! さっきも言ったように、主人のパスケースは受付にお渡ししてありますから!」
 看護婦が別の警官と共に戻ってきた。
「ああ。君、さっきの指紋照合の件だけど、左腕の離断遺体ではなく、こっちの……」
 話を遮るように警官は唐松に耳打ちした。
 唐松の顔色が変わった。
「あの……まことに申し上げにくいことなのですが」唐松はくちごもりながら、沙織に言った。「このような事故があった時には、法律で司法解剖を行うことが義務付けられています」
「せっかく、きれいな体のままで見つかったというのに、主人の体を切り刻もうというんですか?!」沙織の目がり上がった。
「ご理解ください。業務上過失の疑いがある場合は、司法解剖を行って死因を確定しなければならないのです」
「死因なら、はっきりしているじゃないですか!」沙織は泣きじゃくった。「飛行機の墜落です」
「奥さん、ご理解願います」唐松はおろおろと言った。「形式主義だと思われるかもしれませんが、捜査の手続き上どうしても必要なのです」
「遺体なら、他にもいっぱいあるじゃないですか!」
「殆どが離断遺体か、炭化遺体ばかりなんです。司法解剖には完全遺体が望ましいとされています」
 沙織は隼人の手を棺の中に戻した。唐松の方をじっと見る。
 唐松はその場で土下座をした。「すみません。お願いします。必ず。必ず、事故の原因を究明いたします。ご主人のためにも、そして事故で亡くなられた五百人を超える方々のためにも、どうか解剖のご承諾をお願いいたします」
 唐松の土下座には心を動かされない。さっき、暴れる遺族の前で土下座をしたばかりだ。短時間の間に続けて土下座してみせられたのでは土下座の価値も薄れる。ひょっとすると、唐松は連日土下座をし過ぎて、土下座に対する抵抗感がなくなって、簡単にできるようになっているのかもしれない。土下座のインフレだ。そんな唐松のことを思うと、こつけいになって、かえって心が軽くなったような気がした。
 考えてみれば、隼人の死体は早晩、に付すのだ。遺体の形を完全に保つことには、思っているほどの意味はないのかもしれない。わたしがここで意地を張っても、他の誰かの遺体が解剖されることには変わりない。そして、唐松かあるいは別の警官が頭を下げることになる。警察は何も悪くないのに。
 沙織はもう一度、隼人を見た。それは生きている時の姿と何の変わりもなかった。もちろん、眠っているようには見えない。全く生気のない様子はどう見ても死体だった。死体の描写で「眠っているかのようだった」というフレーズがよく使われるが、あれはただのなのだろうか? あるいは自然死でしかも死亡直後にはそう見えるものなのだろうか?
 沙織は隼人の肩をつかむとこんしんの力を込め、肩と頭を数センチ持ち上げた。と、ふっと力を抜き、手を放す。隼人の頭は激しく、棺の底にぶつかり、ごとりと大きな音を立てた。隼人はなんの反応もしない。
 やはりそうなのだ。沙織は思った。これは物体なのだ。かつては隼人の体ではあったが、今この物体には隼人の本質は宿っていない。人為的に冷やし続けなければ、あっという間に腐り、うじにたかられる一個のがいに過ぎない。そう思うと、隼人の遺体は本当に物体に見えてきた。こんなものに執着してなんになろう。
「いいわ」沙織はつぶやいた。
「ありがとうございます」唐松は土下座したまま言った。
「もう、そんなことはやめてください。そんな大げさなことではないんです。死体は物体です。事故の証拠品なんです」
 唐松はゆっくりと立ち上がった。悲しい目で沙織を見ている。気が付くと、看護婦と警官も同じ目で沙織を見ていた。三人とも真っ青な顔をしている。どちらが死体かわからない。
 沙織は視線に耐えきれなくなって、顔をらした。隼人の死体に向き合う。
「死体って、本当に……」沙織は言葉を途中で止めた。
 隼人の冷たい手が沙織の手首を摑んでいる。いったい何が起きているのか、理解できなかった。
 これはきっと、なんとかという死体の反応だわ。まるで、生きているみたいに動くって言うじゃない。
 沙織は筋の通った説明を求めようと、三人を振り返った。
 だが、三人も恐怖の表情のまま、凍りついたように隼人を見詰めていた。沙織はその視線の先を探った。
 隼人は目を見開いていた。少しやぶにらみ気味に天井を見ていたが、やがて大きく見開かれたままの両目の黒目がゆっくりと移動して沙織に焦点を合わせる。顔は依然として、死者の青白さのままだ。
「ゆ、許して、あなた」沙織は身を引こうとしたが、隼人の腕の力は強く、後ろに腰を突き出すような格好になったまま、動くことすらできない。
 隼人はずるりとひつぎの中から上体を起こした。目は沙織の顔を見据えたままだ。
「ぼごあ」隼人は白い液体を沙織の顔に吐きかけた。びっしょりとれた服を伝って、足下から床に垂れて行く。
 沙織の絶叫はいつまでも古びた体育館に響き続けた。

(復活を遂げた諸星隼人……彼を待ち受ける想像を絶する運命とは!? つづきは本書でお楽しみください)

作品紹介



AΩ 超空想科学怪奇譚
著者 小林 泰三
発売日:2023年08月24日

大怪獣とヒーローが、 この世を地獄に変える。
旅客機の墜落事故が発生。
凄惨な事故に生存者は皆無だったが、諸星隼人は一本の腕から再生し蘇った。
奇妙な復活劇の後、異様な事件が隼人の周りで起き始める。
謎の新興宗教「アルファ・オメガ」の台頭、破壊の限りを尽くす大怪獣の出現。
そして巨大な「超人」への変身――宇宙生命体“ガ”によって生まれ変わり人類を救う戦いに身を投じた隼人が直面したのは、血肉にまみれた地獄だった。
科学的見地から描き抜かれた、超SFハード・バトルアクション。

詳細ページ:https://www.kadokawa.co.jp/product/322302000988/
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