2023年8月24日(木)に小林泰三さんの『AΩ 超空想科学怪奇譚』が再刊となります。宇宙から飛来した生命体「ガ」と地球人・諸星隼人、そして人類の存続を脅かす存在「影」による超スケールのSFホラーである本作は、日本SF大賞の候補作になるなど発表当時も非常に話題になりました。『玩具修理者』『人獣細工』『アリス殺し』など、読む者の常識を揺さぶる作品世界を構築し続けてきた小林泰三さん。著者の数少ない長編作品のひとつである、超SFハード・バトルアクション小説をどうぞお楽しみください。
小林泰三『AΩ 超空想科学怪奇譚』
冒頭部「徴候」特別試し読み#4
「ひぃー。ひぃー」社員はじたばたと暴れ、ドライアイスと肉片が周囲に飛び散る。「ど、どうか、ご勘弁を」
「堪忍したるかい!! お前ら、一生
社員はなんとか棺から起き上がったが、勢い余って後ろ向きに倒れてしまった。
「おい、芳と哲。そいつを起こして、押さえといてくれ。俺、思いっきり、腹を
「あー! ああー!」社員は搾るような声を上げた。
「すみません。落ち着いてください」唐松は怒れる男を諭した。「この人がお兄さんを殺したわけじゃない。ただ、たまたま事故を起こした会社に勤めていただけじゃないですか」
「なんやとぉ!」男は真赤な目を
唐松は検視と遺体の確認作業をしているだけで、事故にはなんの責任もない。
沙織がそう言おうとした瞬間、唐松はその場にばたりと倒れ込んだ。いや、倒れ込んだのではなく、土下座を始めたのだ。
男は唐松の頭や背中を何度も踏みつけた。「くそ! くそ! くそ! 兄貴はなあ、この何万倍も苦しんだんじゃ! おまえらなんかは苦しんで苦しんで苦しみぬいて、死んでもうたら、ええんじゃ!!」
「もう、やめてください」沙織は男の腕を摑んだ。
「うっ? なんじゃ、おまえは? こいつらの仲間か?! おまえもいてもうたろか!」
「その人は違います」唐松が立ち上がって男を制止する。「この方は遺族の方です。今回の事故で、ご主人を亡くされたんです」
男は不服げに沙織をぎろりと睨んだ。「こいつの言うとること、ほんまか?」
沙織はこくりと頷いた。男の目が怖くて、声が出なかった。
「ほんなら、まあええやろ。今日のところは許しといたろ」
それだけ言うと、男は出口の方に向って歩いて行った。途中何度も、振り向いては沙織と唐松を睨む。男の家族たちも
「なんて、
「仕方がありません。みんな冷静に考える余裕がないのです。どうしようもない怒りと悲しみをただ周囲にばらまいてしまっているだけなのです。あの人たちの責任ではありません」唐松は青い顔で言った。「それにもしご主人の遺体が見つかったら、あなただって冷静でいられるとは限りませんよ」
沙織は反論しようとしたが、唐松が何事もなかったかのように歩き出したため、慌てて後に続いた。
「それぞれの棺の蓋に中に収められている遺体の特徴票が貼りつけてあります。また、所持品や衣類が残っていた場合、それも透明の袋に入れておいてあります。まずそれらを見て、心当たりのある場合だけ、申し出てください」
ここに来た時はすべての遺体に対面するつもりだったが、検視現場を見て、すっかり意気地がなくなってしまった沙織は唐松の言うことを素直に聞いて、棺の一つ一つを見て回った。
確かに特徴票を見れば、明らかに隼人とは別人である遺体を見なくてもすむ。あのような遺体はできるだけ見たくなかった。見るだけで、かなりの精神的ダメージがある。唐松たち警官の顔色が悪いのも納得できる。彼らの精神は限界を超え、ずたずたになっているはずだ。
性別や年齢が明らかに違うものや、衣類や所持品に見覚えのないものはパスした。また、それ以外にも性別不明の遺体や体の一部だけの遺体もあったが、
体育館の中には沙織の他にも大勢の遺族たちがおり、絶叫や悲鳴が絶えず響き渡っていた。中にはさっきの男たちのように暴れ出すものや気分が悪くなって座り込む者たちもいた。
沙織は比較的落ち着いて、遺体の確認をこなしていた。そして、遺体の約半分の確認を終えた頃、一つの棺の蓋の上の遺品に目が止まった。沙織は声を出すことができず、手を挙げて部屋の隅で別の警官と打ち合わせをしていた唐松を呼ぶのが精一杯だった。
「どうかしましたか?」
「たぶん、これだと思います」沙織はぶるぶると震えていた。
「どうして、そう思われました?」
沙織は遺品を指差した。「この腕時計は主人のものです」
「間違いありませんか?」
「はい」
「指輪も入っていますね」唐松は袋からひしゃげた指輪を取り出した。「結婚指輪ですね。年号は
沙織は頷いた。
「ではほぼ間違いありませんね」
唐松は特徴票を読んだ。
「分離遺体となっていますね。比較的原形を保った左腕と、かなり損傷が酷いおそらく胴体を含む炭化した部分です。どうしますか? 面接できますか?」
沙織は目を
「開けてください」
唐松はゆっくりと蓋を持ち上げた。
もわっとドライアイスの湯気が立ち上る。そこには長さ一メートルほどの黒い塊と左腕が置かれていた。沙織は左腕を握り締めた。何度も力を入れたり、抜いたりして感触を確かめる。
「どうですか? ご主人ですか?」
沙織は無言で左腕を持ち上げた。腕って結構重いものだなとぼんやり思った。切断個所は肩の部分で、骨と筋肉と脂肪組織が
「主人の腕のような気がしますが、確証はありません」沙織は正直に言った。
唐松はもう一度特徴票を確認した。「すでに指紋はとってありますから、ご主人の指紋と照合することができます。万一、ご主人の生前の指紋が見つからなかった場合でも、腕時計と指輪から考えて、この遺体がご主人であることはまず間違いないでしょう」
沙織は目を瞑って、左手の甲に頰擦りした。何かが伝わってくるのではないかと思ったのだ。しかし、伝わって来るものは何もなかった。こんなものかと思った。
「一刻も早く連れて帰られたいとは存じますが、一応指紋の確認がとれてからにしていただけますか? 万が一ということもありますから」
「では早く指紋を調べてください。主人のパスケースは受付に渡してあります」
唐松は他の警官に指紋照合の手続きをとるよう指示をした。
万が一、間違えたからと言って、どういう違いがあるというのだろう? 沙織は
「あのすみません」沙織は奇妙な期待感に包まれていた。「胴体の下側に何か枝のようなものがありますね」
「ええ。でも、あれは枝ではありませんよ。枝などは検視の時にすべて取り除いてありますから。あれはたぶんご主人の腕の骨です。炭化した皮膚のおかげでなんとか一つに
「もっとよく見えるようにしていただけますか?」
唐松は不思議そうな顔をしたが、すぐに胴体を少し持ち上げ、腕がよく見えるようにした。
「確かに腕のようですね。胴体とも繫がっているし」
「納得されましたか?」
「指も残っていますね」
「そう言えば、残っていますね。ご主人は両手とも揃ったということになる」
沙織は首を振った。「そうではありません。だって、これ親指の骨じゃありませんか」
「ええ。そうですよ。だって……」唐松の言葉が凍りついた。親指の位置が示す意味に気が付いたのだ。
(つづく)
作品紹介
AΩ 超空想科学怪奇譚
著者 小林 泰三
発売日:2023年08月24日
大怪獣とヒーローが、 この世を地獄に変える。
旅客機の墜落事故が発生。
凄惨な事故に生存者は皆無だったが、諸星隼人は一本の腕から再生し蘇った。
奇妙な復活劇の後、異様な事件が隼人の周りで起き始める。
謎の新興宗教「アルファ・オメガ」の台頭、破壊の限りを尽くす大怪獣の出現。
そして巨大な「超人」への変身――宇宙生命体“ガ”によって生まれ変わり人類を救う戦いに身を投じた隼人が直面したのは、血肉にまみれた地獄だった。
科学的見地から描き抜かれた、超SFハード・バトルアクション。
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