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試し読み

血肉が世界を覆う、超SFハード・バトルアクション! 【小林泰三『AΩ 超空想科学怪奇譚』特別試し読み#3】

2023年8月24日(木)に小林泰三さんの『AΩ 超空想科学怪奇譚』が再刊となります。宇宙から飛来した生命体「ガ」と地球人・諸星隼人、そして人類の存続を脅かす存在「影」による超スケールのSFホラーである本作は、日本SF大賞の候補作になるなど発表当時も非常に話題になりました。『玩具修理者』『人獣細工』『アリス殺し』など、読む者の常識を揺さぶる作品世界を構築し続けてきた小林泰三さん。著者の数少ない長編作品のひとつである、超SFハード・バトルアクション小説をどうぞお楽しみください。 



小林泰三『AΩ 超空想科学怪奇譚』
冒頭部「徴候」特別試し読み#3

沙織は絶叫した。逃げ出そうとした途端、粘液でずるずるとした床のビニールの上で滑り、しりもちをついた。人々は作業を中断し、無表情なまま、ねっとりと熱く湿った青い霧の中をゆっくりとやってくる。沙織は恐怖にかられ、両手をついた状態でじたばたと暴れまわり、置いてあった布の包みにぶつかった。布の包みははらりと広がり、その中身が露出した。そこには皮膚がなくなり、筋肉と脂肪組織が剝き出しになり、ぐちゃぐちゃに変形した顔があった。目口鼻の位置がばらばらになって、しかも数もあっていない。目が一つに口が三つある。沙織は恐怖と共に怒りが込み上げてきた。いくらなんでも酷過ぎる。人間にこんなことをするなんて、許されていいはずがない。「あんたたち、こんなことをしてただで済むと思ってるの!!」
 それを合図にしたかのように、制服と白衣の人々はわらわらと沙織の周囲に集まってきた。何人かで、沙織の手足を押さえつける。沙織は絶叫し続ける。
「奥さん、落ち着いてください。奥さん」くぐもった声が聞こえた。
 周囲から、数人の顔が沙織をのぞき込んでいた。無表情に見えたのは皆マスクをつけていたからのようだ。一人がマスクを外した。
「奥さん、ここから入られてはこまります。ここは遺体の処置と検視を行う場所です。遺体の確認は正面玄関から入ってください」真っ青な顔をした男だった。
「噓よ! 噓だわ!! 死者に対するぼうとくよ! 遺体をあんなにばらばらにするなんて!!」
「酷い汗だ」男は沙織の額を見て言った。「奥さん、われわれは誓って死者に対する冒瀆行為は行っていない。この状況を詳しく説明すると言ったら、大人しく聞いていただけますか?」
「もし嫌だと言ったら?」
「仕方ありません。公務執行妨害の現行犯で逮捕させていただきます。……とは言っても形式的なものですから、実際には何の手続きも行いません。ただし、警察署で納得がいくまでわれわれの話を聞いていただくことになります」
 沙織はあおけに寝転んだまま、しばらく考え込んだ。どちらにしても話を聞かなくてはならないとしたら、逮捕されない方がいいに決まっている。
「いいわ。その前に手を放してくれる?」
 人々は沙織から離れた。沙織はよろよろと立ち上がる。服がびっしょりとれて嫌な感じだ。
「着替えはすぐに手配します。ひとまず、そこに座っていただけますか?」男は折り畳み椅子を指差した。「わたしは検視担当のからまつと申します。ええと、奥さんのお名前は確か……」
「諸星です」沙織は反抗的に答えた。
「では、諸星さん、説明させていただきます。今回の事故では機体は約一万メートルの高度から落下しました」
「それは先程、別の方からお聞きしました」
「その高さから落下しては人体は原形を保つことすらできません」
「しかし、以前の事故では……」
「あの時は山の斜面に斜めに突っ込んで、地面を削りながら減速できましたが、今回は垂直落下したのです。衝撃を吸収するものは何もありませんでした」唐松の青白いほおに一筋の涙が光った。「しかも落下の瞬間、燃料が爆発を起こしました。それぞれの遺体はばらばらになり、混ざり合い、焼かれたのです。現場からは一応一塊になっていたものを送ってくるのですが、検視の段階で何人もの遺体がごっちゃになっていることが判明することも少なくありません。いや、はっきりとそれとわからないだけで、ほとんどの遺体は何人もの方の合体なのかもしれません」
「では、遺体は最初からこんな状態だったということですか」
「そうです」
 唐松のいうことは筋が通っているように思われた。
「遺体が離断していることについては納得しました。遺体にかけていたのは何ですか?」
「いろいろです。脱臭剤、消毒剤、殺虫剤」
「殺虫剤? 何のために?」
 唐松は足下の床から何かをすくい取った。「これを見てください」手袋の上にやや細長い米粒のようなものが無数に載っていた。「うじです」
 死体には蛆がたかるということは沙織も知識としては知っていた。しかし、そのようなことが実際に起こっているとは想像しづらかった。今まで見たことのあるしんせきの遺体はすべて生前のままの姿をしていた。映画に出てくるゾンビは腐敗していたり、干からびていたりしたが、蛆まで描写していることは殆どなかった。
 沙織の不審そうな様子を見てのことだろうか、唐松は沙織がひっくり返した遺体を持ち上げた。「見てください」
 剝き出しの筋肉と脂肪の間をおびただしい数の蛆がいずりまわっていた。
「こいつら、たたいても叩いても取りきれないんです。肉の奥深くまで潜り込んでいて、次々と湧いてくる」唐松の両眼から涙が溢れ出る。「それでも、我慢強く何度も何度も叩き落す。でも、こいつらは不死身でしぶとくて卵がたくさんあって蠅どもが集まって取っても取ってもまたすぐ湧いてきて蛆だらけで臭くて可哀相で蛆を殺すのだけれどもそれでもこいつらは平気な顔をして何度も生き返っては人間の肉を食らって畜生こいつらが大事な大事な人たちをどろどろにどろどろにして仕方がないので指でほじくらなければならなくなってそうしたら肉に穴が空いて可哀相でこいつらが憎たらしくてでもほっておくとどんどんこいつらは増えてどろどろになって悔しくて畜生め……」はっとしたように唐松は口をつぐんだ。
 沙織は目を見開いて、唐松を見た。唐松はにっと青白い顔をほころばせた。「だから、われわれは殺虫剤を使うのです」
「うっ」沙織は唐松が持っている物体の意味に気が付き、えきとも胃液ともつかないものを吐いた。
「これは失礼しました」唐松は慌てて、遺体を布で包んだ。「申し訳ありません。つい熱中してしまい、あなたが死体に慣れていないことを忘れておりました。でも、これでわかっていただけたのではないでしょうか?」
「ええ」沙織はずるずるになったそでで顔を拭った。
「それでは、いつたん表に回っていただけますか? 正面玄関から入ると、すでに回収して検視を終了した遺体に面接することができます。いや。その前に一度、公民館に戻られた方がいいでしょう。着替えもそちらの方に運ばせますから」
「いいえ。まず遺体に対面します。とにかく自分の心にけじめをつけたいんです」沙織は立ち上がった。立ちくらみがしてよろめいた。
 唐松が手を差し伸べる。
「大丈夫です」沙織はよろよろと外に出た。
 唐松も後に続く。

 玄関に近付くにつれ、また何人かマスコミ関係者が近付いてきたが、みんな沙織の姿と臭いに気が付いた途端にあと退ずさりした。遠巻きに取り囲んで、近付いて来ようともしない。
 の功名ね。
 沙織は事故のことを知って以来、初めて少しだけ愉快な気分になった。
 相変わらず、体育館の入り口からは青い霧が流れ出している。と、その中に何人かの顔が浮かんだ。一様にもんの表情を浮かべ、沙織に何かを訴えかけようとしている。次の瞬間、顔は消えうせ、元のこんとんとした状態に戻った。
 沙織は思わず唐松の方に振り向いた。
 唐松は沙織と目が合うと同時にうなずいた。
 玄関を過ぎると、黒いカーテンがかかっていた。それを潜ると、係員がたっており、沙織にマスクと手袋を渡してくれた。いまさらマスクもないものだわ、と笑い出したいようなこつけいな気分になったが、係員の真面目な態度を見て考え直し、マスクと手袋を身に付けた。
 黒い空間の中でライトに照らされ、白いひつぎが静かに整列していた。霧が波打ち、苦しみを訴える顔が現れては消えて行く。その中に隼人の顔はないかと探すのだが、影がちらちらとして、見定めることができない。
 青い霧の海の中に何人もの人々がいた。遺族らしい。事故や災害があった後、遺体が集められている場所に行った時、遺族はきっと深い悲しみに打ちひしがれているに違いないと、沙織はなんとなく思っていた。だが、ここには悲しんでいるものなどいなかった。いや、悲しんでいないわけではない。別の感情があまりに強いため、悲しみが打ち消されてしまっているのだ。
 恐怖と怒り。
 この世のものとは思えない絶叫がこだましている。沙織が獣の声だと思ったのは彼らの絶望の悲鳴だったのだ。棺を開ける度にどうしようもない恐怖が彼らを包み込む。変形した肉体、それは最も直接的に死の恐ろしさを見せつける。そして、そのような姿になった肉親を見る時、彼らの恐怖を思い、自らおびえるのだ。
 傍らでは、数人の男女が眼鏡をかけた男を取り囲んでいる。
「どういうこっちゃねん、これは!!」取り囲んでいる側の一人が男の胸倉をつかんでいる。「なんで兄貴がこないな目ぇに遭わないかんねん?!」
「今回の事故に関しましては、我が社一同誠心誠意おびさせていただきます。そして、一刻も早く原因を究明……」
「うっさいんじゃ、ぼけ!!」遺族の男は航空会社の社員とおぼしき男を引きり倒した。
 棺にぶつかり、ふたがはずれた。
「見てみぃ! おどれらのせいで、こんなことになっとんじゃあ!!」怒った男は社員の髪を摑むと、棺の中にじ込んだ。

(つづく)

作品紹介



AΩ 超空想科学怪奇譚
著者 小林 泰三
発売日:2023年08月24日

大怪獣とヒーローが、 この世を地獄に変える。
旅客機の墜落事故が発生。
凄惨な事故に生存者は皆無だったが、諸星隼人は一本の腕から再生し蘇った。
奇妙な復活劇の後、異様な事件が隼人の周りで起き始める。
謎の新興宗教「アルファ・オメガ」の台頭、破壊の限りを尽くす大怪獣の出現。
そして巨大な「超人」への変身――宇宙生命体“ガ”によって生まれ変わり人類を救う戦いに身を投じた隼人が直面したのは、血肉にまみれた地獄だった。
科学的見地から描き抜かれた、超SFハード・バトルアクション。

詳細ページ:https://www.kadokawa.co.jp/product/322302000988/
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