2023年8月24日(木)に小林泰三さんの『AΩ 超空想科学怪奇譚』が再刊となります。宇宙から飛来した生命体「ガ」と地球人・諸星隼人、そして人類の存続を脅かす存在「影」による超スケールのSFホラーである本作は、日本SF大賞の候補作になるなど発表当時も非常に話題になりました。『玩具修理者』『人獣細工』『アリス殺し』など、読む者の常識を揺さぶる作品世界を構築し続けてきた小林泰三さん。著者の数少ない長編作品のひとつである、超SFハード・バトルアクション小説をどうぞお楽しみください。
小林泰三『AΩ 超空想科学怪奇譚』
冒頭部「徴候」特別試し読み#1
徴候
「わたし──イエス・キリスト──が地上に平和をもたらすために来たと考えるな。わたしは平和ではなく、戦争をもたらすために来たのだ。なぜなら、わたしは、息子を父に歯向かわせ、娘を母に対立させ、嫁を
『新約聖書』マタイによる福音書第十章三十四節~三十九節
血の如く真っ赤な夏の夕日が山の端に接する頃、
バスの乗客は沙織の他には老婆が一人と、小学校低学年の男の子と女の子を連れた母親らしき女性だけだった。全員、顔を伏せ、一言も
沙織も含め、乗客たちは普段着を着て、荷物も
蟬の声が響き渡る村の中には民家が連なってはいたが、外を出歩く人影は
やがてバスは村の公民館の前に停まった。
「着きました」運転手はギアを操作しながら、
ドアが開け放たれても、しばらくの間は誰も席を立とうとしなかったが、やがて親子連れと老婆は
沙織はまだ決心がつかなかった。
「着きましたよ」運転手はまた低い声で言った。
沙織は運転手に対し、意味のわからない腹立ちを覚えた。「そうですね。着いたようですね」
出口に向い、運転手の後ろを通った時、彼は
その事実が無性に沙織を
沙織は八つ当り気味に大きな音を立てながら、ステップを降りた。
地面はぬかるんでいた。沙織の靴底に
公民館は赤い夕日を浴びて、山を背景に赤黒く浮かび上がっていた。
建物の中は天井から
沙織はしばらく入り口で
返事はない。
沙織は意を決して奥へと進む。廊下を曲がるとすぐにドアがあった。ドアは開け放たれており、その向こうには薄暗く広い部屋があった。部屋の中程に古びた木製の机がずらりと並べられており、数人の警官が離れてぽつりぽつりと座っていた。老婆と親子連れはそれぞれ一人ずつの警官と対面して座り何かを話している。何かの書類を作成しているようだった。警官たちは全員が真っ青な顔をしていた。
沙織は足を引き摺るようにして、一人の警官の前に立った。
不思議なことにこの暑さの中で、汗一つかいていない真っ青な顔の警官は沙織を見るわけでもなく、自分の隣の空間を見つめ、時折声を出さずに笑っていた。沙織は立ったまま咳払いをした。しかし、相変わらず警官は彼女に興味がない様子で、空間を見詰めている。
「すみません。受付はここでいいんですか? わたし、
「そうかい。そりゃあ、愉快だね」警官は初めて声を出した。沙織にではなく、空間に向って。
沙織はわざと大きな音を立てて、警官の前の椅子に座った。何もかもが苛立たしい。
警官はやっと沙織に気付いた様子で、顔の青白さをいっそう際立たせて、にこりと笑った。「どなたですって?」
「諸星隼人の家内です。一〇二四便の乗客の」
警官は不思議そうに沙織の顔を眺めた。「あなた乗ってらしたんですか?」
「まさか!」沙織は声を荒らげた。こんな時にこの警官はふざけているのだろうか。「乗っていたのはわたしの主人です」
「なるほどそうですか。そろそろ来られるんじゃないかと、噂していたところです」警官は先程の空間を見詰め、微笑んだ。「しかし、随分時間がかかりましたね。もう三日も経つのに。早い人はもう連れて帰られる頃合だ」
「知らなかったんです」沙織は唇を
この警官はなぜこんなに落ち着いているんだ。一刻を争う時なのに。
「わたし出張中だったんです。忙しくて、テレビも殆ど見てなかったし……。もちろん事故があったことは知ってましたが、まさか主人が乗っているなんて思いもしなかったんです」
「ご主人が飛行機に乗られることを知らなかったんですか?」警官は静かに尋ねた。「なぜ、あなたに内緒でご旅行をされたんでしょうか?」
「わたしたち……その……別居していたんです」沙織は顔を上げ、歯を食いしばり、警官を
警官はしばらく目を
「なぜって……だって、主人の命がかかっているんですよ!」
「ご主人の命」警官は青白く安らかな顔つきをして、再び目を瞑った。「奥さん、とにかく落ち着いてください。今はもうご主人の命を心配する状況ではないのです」
沙織の目は吊り上がった。「どういうことですの?!」
「どんな事故だったか、ご存知ですか?」
「ええ。知っていますとも。墜落したんでしょ。でも以前墜落事故があった時には何人かが助かったはずです!」
「今回はあの時とは違うのです。あなたのご主人が乗られていた飛行機は高度一万メートルから、ほぼ垂直に自由落下したのです。落下前に機体から投げ出された方の遺体の中には上昇気流に乗ったり、木がクッションになったりして、ほぼ原形を保っている場合もありますが、生存の可能性は……」
「やあおお!!」反論しようとした沙織の口から出たのは野獣めいた叫び声だった。何かの衝動に突き動かされるようにして、沙織は警官の
その時。青い霧が部屋の中に流れ込んできた。むっとする悪臭に沙織はすっかり
警官は目を細め、深呼吸した。青い霧を吸って、警官の顔はますます青ざめた。「人間の臭いです」
「何をおっしゃってるんですか?!」
「人はいい香りが好きですね。香水とか、化粧品とか、
「なんのためですか?」沙織は顔を
(つづく)
作品紹介
AΩ 超空想科学怪奇譚
著者 小林 泰三
発売日:2023年08月24日
大怪獣とヒーローが、 この世を地獄に変える。
旅客機の墜落事故が発生。
凄惨な事故に生存者は皆無だったが、諸星隼人は一本の腕から再生し蘇った。
奇妙な復活劇の後、異様な事件が隼人の周りで起き始める。
謎の新興宗教「アルファ・オメガ」の台頭、破壊の限りを尽くす大怪獣の出現。
そして巨大な「超人」への変身――宇宙生命体“ガ”によって生まれ変わり人類を救う戦いに身を投じた隼人が直面したのは、血肉にまみれた地獄だった。
科学的見地から描き抜かれた、超SFハード・バトルアクション。
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