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試し読み

【試し読み】この呪い、回避不可能。二度読み必須の体験型ホラー!――滝川さり『あかずめの匣』第一章全文特別公開!



 扉が閉まってから、奈緒子はのろのろと立ち上がった。地の底から響くようなうめき声をあげる郁子をなだめ、起こして、連れてくると、居間のソファに座らせる。郁子は不穏状態で、背中を丸めながら「うううう」といつまでも泣いている。どうやら、相当寝づらかったらしい。あれでは食事もまだ無理だろう。
 少し前までは、母の涙にオロオロとしたものだが、今ではすっかり慣れてしまった。したと言った方がいいかもしれない。
 奈緒子はダイニングテーブルの椅子に腰かけると、テーブルの上で腕を組んだ。郁子のすすり泣く声だけが聞こえる。この家はいつもそうだ。泣き声と、怒鳴り声と、呻き声。線香と加齢臭とふん尿にようの臭い――これが死の臭いだと思う。
 この家はゆっくりと死んでいる。自分も含めて。
 カーテンの隙間――窓の向こうには、雪で覆われた田んぼと、死人のような色の山肌。にびいろの空に息が詰まりそうになる。
 いつしか奈緒子はテーブルに顔を伏せて眠っていた。
 目覚めたのは、話し声が聞こえたからだ。
 うっすらと目を開ける。自分のひじの向こうに、ソファで横並びに座る二つの影が見える。誰かが郁子と話している。“窒息の家”での出来事がフラッシュバックする。
 しかしよく聞くと、相手は唯奈のようだ。いつの間に帰ったのだろう。
 ご飯の準備をしなきゃ。だけど身体が動かない。
 二人の会話は、まるで幼い子供が二人いるかのようだった。

「そ……、あか……にと……め……て……? あのおうち……るの?」
「そ……よ。……ずめ……と……ちなの。ずっとあの……ちで……」

 何を話しているのだろう。少し気になって、だけどすぐにどうでもよくなる。火照った身体にテーブルの冷たさが気持ちいい。

「プーさん……もつか……ちゃ……」
「……かも……。そし……い……でき……なって……」
「そんなのやだ!」

 ひと際大きな声にかくせいしそうになる。だけど、意識は波のように、また眠りの海原へと引いていく。久しぶりに安らかな心地だった。もう少しだけこうしていたい。
 夢の中では東京のマンションにいた。春だった。リビングの窓辺でレースのカーテンが揺れ、柔らかな陽射しが射している。唯奈がすぐそばで寝息を立てていた。
 けれど、目覚めたとき目の前の現実は違った。ここは古びた木造家屋で、閉じたカーテンの隙間に見えるのは塗りたくったような闇だ。そして、暗がりにいるのは郁子だけ。
 唯奈がいない。
 奈緒子は寝ぐせのついた髪をかき上げると、電気をけて居間を見回した。
「唯奈?」
 呼びかけるが返事はない。家じゅうを捜して居間に戻ると、郁子に詰め寄った。
「ねぇちょっと、唯奈どこ行ったの?」
 タイミング悪く、郁子は虚脱状態だった。ぼんやりとした黒目がちな目はどこも見ていない。それでも、えきがこぼれる口がわずかに動いたので耳を寄せると、
「あし……いたい。てぇも……」
 ついめ息が漏れた。どうにかしてやりたいが、今はそれどころじゃない。
 玄関へ走る。唯奈の靴がない。外に出たんだ。
 頭が真っ白になった。玄関扉のすりガラスの向こうは暗い。裸足はだしのまま外に飛び出した。砂利道を踏む。庭や家の周辺を見ても、唯奈の影一つ見つからない。
 奈緒子は、その場にうずくまった。
 パニックになった頭で必死に考える。唯奈。唯奈。唯奈。口はさっきから娘の名前を呼び続けている。落ち着け。捜すんだ。協力してもらって。村じゅうの人。唯奈。昨日母がいなくなったところなのに。どう思われるか。唯奈。どうでもいい。唯奈が大切。行先に心当たり。そう遠くへは。唯奈。あの人にも連絡。意味ない。唯奈。唯奈。唯奈――
 そうだ。あの子は昨夜から、プーさんのぬいぐるみを持っていなかった。
 たしか、郁子に貸したと言っていた。その郁子も持っていなかった。ベッドの周辺にもなかったと思う。
 ……“窒息の家”だ。
 ぬいぐるみは、郁子があの家に忘れてきたんだ。
 さっきの会話は、郁子がそのことを唯奈に教えていたのかもしれない。それであの子は、一人でプーさんを捜しに行った。
 奈緒子は玄関に戻ると、車のキーとコートを取って庭へ向かった。車に乗り込んだところで、郁子の存在を思い出す。一刻を争うが、放っておいたら何をするか。
 ハンドルに両手をたたきつけた。再び家に戻って、抱えるように郁子を連れ出す。せめて、されるがままだったことが幸運だった。
 道すがらに唯奈の姿を捜す。家に入る前に見つけられれば――そう願ったのもむなしく、“窒息の家”が見えてきた。表門を抜け、前と同じく敷地内に車を停める。
 タイヤが砂利を踏む音、そして、ドアが閉まる音が響いた。
 玄関扉に向かおうとしたとき、
「な――奈緒子」
 背後から声がかかる。郁子が、車のドアを開けて、外に出ようとしていた。
「唯ちゃん、お、おらんなってしもたんやろ。わ、私も……」
 名前を呼ばれた。意識がクリアな状態だ。――それでも。
「お母さんは車で待ってて。危ないから」
「でも……」
「時間がないの! お願いだから、余計なことしないで!」
 郁子は泣きそうな表情になった。そのまま身体を引っ込めて、自らドアを閉めた。
 奈緒子は家の方を振り返る。玄関扉に駆け寄って開けようとして――あのライターの死に顔が頭をよぎった。
 ……また入るの? この家に。……あんなに怖かったのに?
 もしかしたら、今度は自分が死ぬかもしれないのに?
 奈緒子は、頭かぶりを振った。唯奈が今も助けを求めているかもしれないのだ。ためらっている暇なんてない。あの子だけは、何があっても守らなければ。
 奈緒子は息を吐くと、思い切って扉を開けた。


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