『ゆうずどの結末』が話題を呼んだ滝川さりによる、新たな体験型ホラー『あかずめの
とある村の怪異に関わった4人の物語を通して、あなた自身が呪いの条件を解き明かす物語です。
刊行を記念して、第一章を全文特別公開します!
その怪異は人を閉じ込めて殺す。
すべての真実をあなたは解き明かせるか。
新感覚ホラーのはじまりを、どうぞお楽しみください。
滝川さり『あかずめの匣』試し読み
第一章 窒息の家
1
見えない何かに、首を絞められているみたいだった。
息が苦しい――
だけど、この息苦しさは普通じゃない。
呼吸がうまくできない。
この家に入ってから、ずっと。
「ゆ……
声が、闇に吸いこまれていくみたいだった。八畳ほどの大玄関には床の間があるけれど、黒く汚れたペットボトルや酒の空き缶、アダルト雑誌などで埋め尽くされていた。懐中電灯を左右に振ると、迷宮のようにいくつも部屋が見えるが、光が奥まで届かないので
「ゆ、唯奈……?」
奈緒子は娘の名前を呼んだものの、返事はなかった。思うように声が出ない。音を出せば、この屋敷の奥に潜む何かが飛び出てくるのではないか――そう考えてしまう。
呼吸が荒くなる。白い息が、暗闇に溶けて消える。
息を吸うたびに、
振り返ると、石畳の先にある表門が見えた。門のそばには、奈緒子の車が停めてある。ヘッドライトを
まさか、再びこの家に足を踏み入れることになるとは、夢にも思わなかった。
古びた日本家屋――というより、
大玄関を通り抜けて、次の部屋に入る。通路はなく、部屋同士がつながっていた。十畳ほどの部屋だ。畳は剝がされていて、床板にはところどころ穴が開いている。倒れている
左手には、
「唯奈……どこ、どこ……」
懐中電灯の光が揺れている。手が震えているのだ。
この家に入るのは二度目なのに、恐怖はちっとも和らがない。
ふうう、と食い縛った歯の間から息が漏れた。どくん、どくんと鼓動の音が響く。自分の心音なのに、その音はまるで、この家が巨大な生物で、その体内に入っていくような錯覚を呼び起こした。
……いや、錯覚でないかもしれない。自分はすでに、この家に吞まれている。
いつ死んでもおかしくないのだ。……彼らと同じように。
昨夜見た死体を思い出す。――
青紫色に変色した
死ぬ直前まで苦しんだと伝わってくる
ああなりたくない。だけど、いつそうなってもおかしくない。……この家にいたら。
カチカチと鳴っているのは、奈緒子の歯だった。
“窒息の家”――
この家は、村人たちからそう呼ばれている。
この家にいたら、息が詰まって死ぬから。窒息死するから。
頰に熱いものが伝った。いつしか奈緒子は泣いていた。自分が死ぬかもしれないという恐怖だけではない。七歳の娘が死ぬかも、あるいはもう死んでいるかも――そう考えるだけで、その場に崩れ落ちてしまいそうになる。
「唯奈……どこ、どこっ。出てきて!」
ようやく大声が出た。しかし返事はない。
この静けさの中で聞こえないはずがない。
もしかしたら、もうとっくに、あの子は。
嫌な予感は、一歩進むたびに強くなっていく。
食堂を抜けると、中庭に面した廊下が見えた。月のない夜だった。雑草が生えっ放しの中庭に目を凝らすけれど、唯奈の姿はない。中庭の向こうには、蔵があった。どちらを捜すべきか迷って、前回と同じく廊下を渡る。
その先には、五畳の狭い空間があった。
知っている。この先に、大広間がある。
昨日、あの死体を見つけた場所だ。
見たくない。開けたくない。だけど、確かめなければ。
ひょっとしたら、この中で唯奈が助けを待っているかもしれないのだ。
奈緒子は、一枚の襖の引手に、震える指をかけた。
……きっといる。この中に閉じ込められている。
生きてる。絶対に――
くまのプーさんのぬいぐるみを抱いた、
ぬいぐるみ……そうだ、こうなったのも、全部あれのせいだ。あの人が、あんなものを唯奈に与えなければ。あるいは、母がこんなところに持っていかなければ。
つい思ってしまう。――今この家にいるのも、唯奈じゃなくて、母だったら。
息が苦しい。これは、緊張と恐怖によるものなのか。
あるいはすでに自分は、あかずめに呪われているのか。
奈緒子は、祈りながら襖を開けた。