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試し読み

【試し読み】この呪い、回避不可能。二度読み必須の体験型ホラー!――滝川さり『あかずめの匣』第一章全文特別公開!



 気づけば、自宅の居間でソファに座っていた。
 あの後、奈緒子は何とか郁子を連れて車に戻り、“窒息の家”を離れた。それから目についた近隣住民の家に飛び込んで、たった今見たものを説明した。スウェット姿の家主はすぐに駐在を呼んでくれた。村の助役にも連絡してくれたらしく、駐在以外に数人の男性が集まり、共に“窒息の家”へと向かった。
 彼らがどんな話をして何をしたのかはわからない。奈緒子は“窒息の家”には頑として入らず、じっと唯奈と手をつないでいた。横には郁子がいたが、彼女は魂が抜けたような顔でぼんやりとしていた。
 そして、車にやってきた禿げ頭の老人に「あんたらは帰れ」と言われ――言われるがまま帰宅した。

 電気ストーブがジーッと鳴る音がやけに気になった。時計の針の音が耳にまとわりつく。もうすぐ午後十一時になるところだった。ここ数時間の記憶がひどくあいまいだ。郁子は自室で寝ている。唯奈もだ。奈緒子はふらりと立ち上がると、台所でやたらと冷たい水道水をコップに注ぎ、一気に飲んだ。
 数時間前に見た顔が、頭から消えない。――暗闇にぽっかりと浮かんだ死の形相。今にももんの声が聞こえてきそうだ。胃がむかむかして吐き気がこみ上げてくる。
 間違いなく、昼間の男女二人組だ。やはり彼らは“窒息の家”に行ったのだ。
 そして、男は怪談どおりに窒息死して、女は恐怖の余り錯乱したのだろう。
 奈緒子は、けんに手を添えた。眠れそうになかった。まぶたの裏に、名も知らぬ男の断末魔の表情が焼き付いている。よしんば眠れたとしても、悪夢をみるのは確実だった。
 眠れないのに明日は来る。郁子は朝の五時には目覚めてくるし、唯奈は「お腹が痛い」と朝も夜もろくにご飯を食べてくれない。誰も「休んでいいよ」とは言ってくれない。たとえ死体を見て傷ついても。
 奈緒子は、こぶしをぎゅっと握ると、ソファに振り下ろした。
「ママ」
 ふいに声がして顔を上げる。廊下から、パジャマ姿の唯奈が顔をのぞかせていた。
「どうしたの?」
「いっしょにねてほしいの」
 蚊の鳴くような声だった。
「……そっか。うん、一緒に寝よっか」
 奈緒子がそう言うと、唯奈はぱぁっと笑顔を輝かせた。
 パジャマに着替えると、二人で奈緒子の布団に入った。唯奈は小さな手で、ずっと奈緒子の服のそでつかんでいた。やがて、穏やかな寝息が胸許から聞こえてくる。どうやら、すんなりと眠れたようだ。
 ぽけっと口が半開きになった寝顔は、赤ちゃんのときと変わらない。まだまだ小さな身体を、奈緒子は抱き締めた。起こさないように、そっと。
 目からは、自然と涙がこぼれた。……今更、また怖くなる。
 あの家は何なのだろう。母は、何と会話していたのだろう。
 ただの認知症の症状ならまだいい。だけど、あの家は変だ。何かがおかしい。
 異常だ。
 もう二度と――母をあの家に行かせてはいけない。

 村の助役が家にやってきたのは、翌日の昼過ぎのことだった。
 昨夜集まってくれた男性の一人だ。ダウンジャケットを着た六十代とおぼしき男はやまと名乗り、しわだらけの顔に笑みを浮かべた。
「昨日の夜は大変でしたなぁ。郁子さんにも変わりはないですか?」
 郁子は、朝からずっとベッドにいる。もう一人で出歩くことはないはずだ。
 すると、山路は式台に座り込み、世間話でもするかのように、昨夜の事件について話し始めた。
 死体となって見つかったのは東京から来たライターで、“窒息の家”をネタにオカルト記事を書こうとしていたらしい。死因は窒息死。あの家では珍しいことではないので、奈緒子に疑いがかかることはない。“御家”にも報告済みでいつものように村で内々に処理するので不必要に騒ぎ立てないでほしい――
 まるで行政手続を説明するかのような口調に、奈緒子は待ったをかけた。
「あの……ほ、ほんとなんですか? “窒息の家”に入ったら、窒息死するって」
 山路はきょとんとした顔をして、すぐに「あ、そっからですか」と破顔した。
「奈緒子さんはたしか、昔こん村にお住まいやったと聞いたんで、何となくは知ってるでしょうが……ほんまですよ。あの家には、よぉないもんがんどるんです」
「よぉないもん……?」
「ええ。これまでも何度か“御家”が取り壊そうとしましたが、そのせいでうまくいきません。とう師も拝み屋も逃げ出す。まぁ、近々取り壊しを強行するつもりですが、とりあえずは放置してるんです」
「お、お化けとか……幽霊ってことですか?」
「まぁ、わかりやすく言うとそれですわ」
 奈緒子は、二の句が継げなかった。彼は、村の助役としてここに来ている。つまり、“窒息の家”には幽霊がいて、あの家で人間を窒息死させている――それが村の公式見解なのだ。
 にわかには信じられないが、ふと唯奈が話したあの怪談を思いだした。
「それが――あ、あかずめ、ですか?」
 そう口にした途端、山路の表情が変わった。
 目をカッと見開き、口は一文字に結んでいる。
 怒っている――というより、おびえている表情に見えた。
「……どこでそれを聞きました?」
 低い声だった。
「ず、ずっと昔に、同級生から聞いたことがあったんです。その子は転校しました」
「“窒息の家”で聞いたのではなく? 今日は、それをきにきたんです」
「え? い、いえ……」
 いったい、誰から聞くと言うのだろう。
「……そうですか。とにかく、その名前は二度と口にせんでください。あんたもこの村の人間になるんやったら、との付き合い方を知らなあかん」
 山路の額には、一瞬にして玉のような汗がいくつも浮かんでいた。その様子を見て確信する。彼が言った「よぉないもん」とは、きっとあかずめのことだと。
 そのとき、家の奥から「うううう」とうなり声がした。郁子が目覚めたのだ。山路が奈緒子の肩越しに奥を見て「郁子さんにもごあいさつを」と言ったが、「機嫌が悪いですから」と固辞した。
 それじゃあ、と山路が立ち上がり、玄関扉に手をかける。奈緒子は、その背中に声をかけていた。
「あの!……昨日の女の人は、無事なんでしょうか?」
 振り返った山路は、つまらなそうに言った。
「死にましたよ。ライターと同じ、窒息死ですわ」


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