元「ベイビーレイズJAPAN」の渡邊璃生さん初の小説集『愛の言い換え』が5月2日に発売となります。発売に先駆けて、選りすぐりの傑作書き下ろし3篇を30日間連続で全文特別公開します。
>>前話を読む
◆ ◆ ◆
「(こんな風に優しくされるなんて、初めて……。)」
胸の高鳴りを、感じた。
その日からわたしは、日曜日のミサに参加することが前提の生活を送るようになった。相変わらず、わたしの中に信仰心はない。ただ、青年のことが忘れられなかった。ミサが終わると、一言二言交わす。それだけでわたしは嬉しかった。
青年の名は「清水貴之」。ひとつ年上の大学生だった。背は高く、百八十はあるだろうか。程よく筋肉のついた体に、短めの髪。明るい笑顔は絵に描いたような好青年だ。
「深川さん、おはようございますー。本当に熱心ですね、なんだか俺まで嬉しいです。深川さんは、洗礼、受けたいの?」
初めてミサに参加した日から一ヶ月経つ頃。教会の花壇を覗くと、清水さんが、あどけなさの宿る笑顔でわたしに質問を投げかけた。
「いえ、あの、わたし……っ、その、大学の神学サークルに入っていて! だから勉強したいっていうか……、まだ、まだ洗礼は迷っているんです!」
髪を乱しながら、わたしは清水さんに向き直った。
厚顔無恥にも程がある。神学サークルには、顔も出していないくせに。
「ああ、そうなの。まあ、あれですね、決心がついたときに、すぐ行動に移せるようにしておいて、損はないと思いますよ。」
その言葉を受け、自分の浅ましさに嫌気がさした。清水さんは、わたしの下心を、知ってか知らずか、親切にしてくれる。その聖人のような優しさを、汚してしまっている気がした。だけれど、止まらない。止まることができない。このとき、わたしは生まれて初めて「これは恋なのかも知れない」と思った。恋多き人生を送ってこなかったわたしだけれど、この劣情を「恋」と呼ぶのに、一切の躊躇はなかった。
「あ、もしよかったら勉強、一緒にします?」
「えっ、」
清水さんが、口にする。思ってもみなかった誘いだった。
「え、でも、そんな、申し訳ないです……!」
「いいですよ。きっとふたりでやったら楽しいし、新しい発見もあると思うんです。あ、全然、迷惑だったら断ってもらって構わないんで。」
「迷惑じゃないです、是非おねがい致します!」
「じゃ、次の休みにでも。」
清水さんの言動に、冷静さを欠くわたしがいた。自分が自分ではなくなり、意思が揺らぐ感覚。清水さんが、ズボンのポケットからスマートフォンを取り出す。チャットアプリのアカウントを教え合い、その場は解散したが、帰り道、早速清水さんからのメッセージを受信した。
「深川さん、こんばんは。清水です、改めてよろしくおねがい致します。清水は来週の火曜日と水曜日の昼頃なら大丈夫ですよ。」
その文章を読んで、わたしは人目も憚らず破顔した。視線を感じ、はっと口を押さえる。
清水さんの言葉は、とても丁寧だった。端的に言えば、わたし好みの淑やかな文章だったのだ。神学サークルのチャットルームとはまったく違う、人が読む前提の簡潔ですっきりとしたメッセージは、わたしの心を大きく揺さぶった。
「清水さん、こんばんは。深川です。ご丁寧にありがとうございます。水曜日は少し厳しいので、火曜日だと嬉しいです。」
「火曜日ですね、了解しました。では、場所の方はどうしましょう?」
「オススメのカフェがあるので、そこはいかがでしょう?」
十分ほどかけて、ひとつの文章を送る。清水さんは急かしもせず、落ち着いた返信をしてくれた。
オススメのカフェ、「カフェ・カナン」は最寄り駅の「三波沢駅」から一駅、構内直通にある。モダンな雰囲気は地元住民からも人気があり、大きく柔らかなパンケーキがSNS映えすると、若者からも支持を集めていた。全席ソファーと余裕のある広々とした間取りで、勉強にはちょうどいいだろう。「カフェ・カナン」のHPを送ると、清水さんから「最高!」と台詞のついた猿のスタンプが送られてきた。チャットルームのタイトルが、「勉強会」に変更される。再び、破顔。緊張の中に、たしかな安らぎがあった。二日後が楽しみだった。
(つづく)
▼渡邊璃生『愛の言い換え』詳細はこちら(KAODOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321904000345/