元「ベイビーレイズJAPAN」の渡邊璃生さん初の小説集『愛の言い換え』が5月2日に発売となります。発売に先駆けて、選りすぐりの傑作書き下ろし3篇を30日間連続で全文特別公開します。
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翌日、教会を訪れると、そこには数十人の信徒がいた。大人も子供も仲睦まじく会話する様子に、少し緊張がほぐれた。聖堂入口前にはいくつかの紙があり、運動会のプログラムのようにミサの流れが書かれている。
まず「開祭の儀」から始まり、その次に「言葉の典礼」、「感謝の典礼」、「交わりの儀」、最後に「閉祭の儀」で終わるらしい。
祈りの言葉は別紙に書かれ、聖歌集は背もたれの裏に置かれていた。入堂し、後方に着席すると、前方の席はすぐに埋まった。聖堂はとても美しかった。高い天井を見上げると、そこには天使やキリストの弟子たちが描かれている。祭壇の奥のステンドグラスからは日の光がたっぷり差し込み、祭壇横には聖母マリアやキリストの像が佇んでいた。まさに絢爛豪華な内装に、わたしは圧倒された。
やがて腕時計の針が十時を指すと、ミサが始まった。
神父様らしき男性が、祭壇で挨拶をする。起立を促されるので従うと、わたしたちはいくつかの祈りを唱えた。緊張のせいで声が震えてしまう。真隣の信徒の女性は、紙も見ずにはっきりと祈りの言葉を口にしていた。
問題は、「交わりの儀」で起こった。
「天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
み心が天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をお許しください。
わたしたちも人を許します。
わたしたちを誘惑に陥らせず、悪からお救いください。
アーメン。」
これは「主の祈り」という。わたしはこれを、なんとか滞りなく口にすることができた。だが、ミサにおいて最も重要とされる祈りを口にした緊張感からか、神父様のあるアナウンスを、聞いた直後に忘れてしまったのだ。というのも、「主の祈り」を唱えミサの参加者同士で挨拶をした後、「感謝の典礼」で特別なものに変化したパンを受け取るのだが、それができるのは信徒のみなのだ。
教会内に設置された聖水に、信徒以外が触れてはならないように─ミサにはそういった場面がいくつか存在するようだ。
額に汗が滲む。すでに信徒もそうでないものも、祭壇前に列を作り始めている。厳粛な雰囲気の中、初対面の信徒に聞くこともできず、上擦る呼吸を押さえつけながら席を立ち、信徒の後ろに並ぶ。一歩、また一歩と列は進み、神父様と対面するまで四人、三人、ふたり……。
完全にパニックに陥ったわたしだったが、神父様と完全に対面したその瞬間、ある一言がわたしを救った。
「この方には、祝別をおねがいします。」
「あっ……?」
神父様はそれを受け、わたしの額に指をかざすとなにかを呟いた。わたしは大慌てで、他の人がそうしたように両手を合わせ、頭を少し下げた。
祝別と呼ばれたそれは、十秒とかからず終了した。祭壇を横切り、元居た席に戻る途中、こっそり振り返ると、救世主は同世代くらいの青年だということがわかった。
その後、ミサは何事もなく終了した。教会を出ると、信徒たちは開始前と同じように仲睦まじく会話を始めた。わたしの視線は、自然と先ほどの青年を探す。どこかで期待しているわたしがいた。
「あ、さっきの。」
心臓が大きくはねた。あの青年の声だと、すぐにわかった。髪は栗色で、目の色素も少し薄いように見える。つり目でまゆも短く、健康的な短髪だ。
「あ……、さ、さっきはありがとうございました!」
「いえいえ、どうもどうも。最初はだれでもああですから。また来てください。」
「はい、また来ます。」
つい、そう返した。
青年はにっと笑い、小さくお辞儀をして立ち去った。後ろ姿が見えなくなるころには、彼の印象が「青年」から「好青年」に変わっていた。
(つづく)
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