元「ベイビーレイズJAPAN」の渡邊璃生さん初の小説集『愛の言い換え』が5月2日に発売となります。発売に先駆けて、選りすぐりの傑作書き下ろし3篇を30日間連続で全文特別公開します。
彼女が描くのは、血と暴力を内在した壊れ物の世界と、そこで切実に愛を希求し続ける少年少女たち。誰にも創ることができない、渡邊璃生だけの宇宙を体感してください。
第一話は、表題作「愛の言い換え」です。聖書を媒介によこしまな恋と欲望がさく裂!
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「愛の言い換え」
人がなにかを得ることで、なにかを失ったとき、いつまでも残るのは「信仰」、「希望」、「愛」らしい。
その中で最も大切なものが、「愛」だそうだ。
わたしがそれを知ったのは、約六年前。
中学三年生のとき、クリスチャンの英語教師に聞いた。
信仰心というものを持ち合わせていなかったわたしだったが、なぜかこれだけはよく覚えている。
わたしの名は深川要といって、冴えない女子大生だ。
一応サークルには所属しているのだが、滑り止めのFランク大学にある神学サークルに真面目な生徒はおらず、わたし含めほとんど顔は出していない。
両親とは物心つく前に死別、母方の祖母の家で生活しており、授業のない日はバイトに出て、それもない日は部屋から出ないことが多い。
やることと言えば読書かレポート課題で、趣味もなければやりたいこともない。
そんな人間だった。
その日のわたしは本屋でバイトを終えた後、たまたま帰宅時間を同じくした親友と、食事をすることになった。夏の熱気がまとわりつく体に、クーラーの効いたファミリーレストランは天国のようだった。
「要ちゃんは恋人作りたいって思う?」
どういった会話の流れでこのような問いかけが飛び出したのか、正確なことは覚えていない。
とにかく、親友の佐々木香織は、ドリンクバーのメロンソーダを片手に、わたしにそう質問したのだった。
デミグラスハンバーグを口に運びつつ、わたしは香織ちゃんの問いに答えた。
「うーん、わたしはそういうの、あまり考えてないかなあ。」
本心だった。最初こそ大学での出会いに期待したが、絵に描いたような「チャラ男」や大学デビューのために「がんばってしまった人」しかいない。
「だよねー。聞いてよ、要ちゃん。最近さあ、親がうるさいんだよ。『結婚しろ、結婚しろ』って。」
「あー。やっぱ、この歳になると、親も口うるさくなるもんかなあ。」
「歳の問題かねー。」
香織ちゃんの咥える半透明のストローが、泡交じりの緑色に染まった。
その唇には艶が乗り、暗めの茶髪はカールを作り首元を飾っている。身につけた流行物のワンピースには嫌味が一切なく、少し幼い印象を与えた。対してわたしは黒髪ストレートに茶系の地味な服装。香織ちゃんはわたしと親友を続けてくれるのが奇跡のような女の子だった。求めれば恋人のひとりやふたり、すぐに作れそうな風貌だったが、本人はそれを特に望んでいないらしい。異性のいない友人関係が、わたしには心地よかった。
「あー、やだ、やだ、愚痴っぽくなっちゃった。話変えよ。 要ちゃん、最近大学はどう? なんか、キリスト教のサークル入ってたじゃん。」
香織ちゃんが好奇心いっぱいの表情で身を乗り出した。
「『神学サークル』ね。そんなに顔出してないよ。」
「なーんだ。」
ごく稀にくる通知は飲み会の誘いだけ。面白い話も香織ちゃんの興味を引く話題もない。これでも、英語教師から聞いた話がきっかけであり、勉強するつもりで所属を決めたはずなのだが……。
こうして話を続けていると、窓の外はすっかり夜だった。ファミリーレストラン内から子供の姿は消え、仕事終わりらしいサラリーマンやOLで店内は再び賑わう。会計を済ませ、また会おうと約束を交わすと、わたしたちはそれぞれ帰路についた。
夜になると、わたしは少しだけ安心した。夜は生命を感じない。ひとりよりひとりぼっちであるという孤独感が、わたしは好きだった。
僅かな街灯の照らす夜道を、のんびりと歩く。ぬるい夜風が頬を撫でるので、促されるように振り返ると、わたしはそこに教会を見つけた。現在地から自宅まで残り十分ほどで、バイトに行く際通る道にもかかわらず、わたしは初めてこの教会を認識した。
悪く言えば古く、よく言えば歴史を感じる外観で、広めの敷地は低めの塀で囲われている。石造りの壁には大きな窓が並んでおり、おそらくステンドグラスだろう。十字架の飾られた屋根は低めだがしかし大きく、聖堂の広さが想像できる。門扉の横には、「カトリック三波沢教会」と彫られた石の表札があった。初めて聞く名だった。だがそれ以上に、わたしが興味をそそられることはなかった。
帰宅すると、祖母は食事を終えたようで、台所で食器洗いをしていた。
「ただいま、おばあちゃん。」
「おかえり、要ちゃん。お友達とご飯、どうだった?」
祖母が水を止めて微笑む。
「うん、楽しかったよ。」
「そう。よかったね。」
物心つく頃から祖母と生活していたわたしにとって、母親とは彼女のことだった。周囲と異なる家族像でも、寂しくなんかない。
「お風呂沸いてるから入っちゃいなさい。」
祖母はそう言うと、食器洗いを再開した。
わたしが教会に再び興味を持ったのは、スマートフォンの漫画広告を誤ってタップしたことがきっかけだった。
掲載元のHPに飛ばされる。内容は少女漫画らしく、教会でキスする男女のひとコマが表示される。信徒らしき女性は拒みつつも男性の好意を無視できず、とうとう受け入れてしまい……。
「続きは本編をご覧ください。」と表示され、わたしは我に返った。
「(仮にも神聖な教会で、こんな表現をするなんて……。)」
思わずスマートフォンから目を背け、湯船に顔を沈めた。
だけれど、どうだろうか。
背徳的なこと、一般的に禁止されていることに興味を持ってしまうのは自然ではないだろうか?
入浴中に調べたところ、「三波沢教会」は思ったよりもしっかりとしたHPを開設していた。昭和十五年に完成し、フランス人の神父が設計に関わったらしい。ミサのページを開くと、信徒でないものも歓迎していると明記されており、安堵した。ネットサーフィンを繰り返し、ミサにはロザリオも聖歌集も必要ないことを確認する。わたしは胸を高鳴らせながら、髪を乾かして入眠した。
(つづく)
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