元「ベイビーレイズJAPAN」の渡邊璃生さん初の小説集『愛の言い換え』が5月2日に発売となります。発売に先駆けて、選りすぐりの傑作書き下ろし3篇を30日間連続で全文特別公開します。
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◆ ◆ ◆
「清水さんは、どうしてキリスト教の勉強をしているんですか?」
テーブルに運ばれたフレンチトーストを口にし、わたしは問いかけた。他意のない、純粋な疑問だった。
「両親がクリスチャンなんです。俺は幼児洗礼で、気がついたら信徒だったんですよ。だから、自分のルーツをもっと知りたくなったっていうか……。」
「そうだったんですね。ミサはご両親と参加しないんですか?」
「今ひとり暮らしで、実家から少し離れたところで生活しているんですよ。だからわざわざ示し合せないっていうか。」
「そういうものなんですか?」
「はい、たぶん、そうじゃないかな? ミサでもそんなに頻繁に会いませんし。」
清水さんはそう言うと、フレンチトーストのひとかけらを口に運んだ。その所作はとても上品で、この方は大変育ちがよいのだろうと思った。
家族がクリスチャンでも、信仰心をどう行動に移すかには違いがあるらしい。それを少し意外だと感じたが、きっと大きな問題でもないのだろう。大きな教会なら、いろんな信徒がいるものだ。
「俺、聖職者になりたいんです。」
「神父様ってことですか?」
「はい。」
清水さんが頷く。クリスチャンである好青年がそのような夢を抱くことに、わたしは強く納得した。
「わたし、全然知らないんですが、神父様ってどうやってなるんですか?」
「召命が必要なんですよ。」
「召命?」
「……でも、頂いたことは、ないんです。」
「……? は、はあ……。」
召命とはなにか、疑問を口にしかけたその瞬間、清水さんの表情が暗く沈んだように見えた。思わず言葉に詰まると、
「だから、いつ頂いてもいいように勉強してるんです!」
その顔からは影が消え、いつものあどけない清水さんに戻っていた。きっと気のせいだろう、わたしはそう思うことにし、別の質問をした。
「えっと、神父様になるための学校とかあるんですか?」
「ありますよ! 神学院というんです。高卒以上の資格が必要なんですが、大学を出てからかな、と。」
「へえ、なんだか厳しそう。修道院とは違うんですよね?」
「はい。修道院は修道士や修道女が共同生活をする施設ですね。」
「あ、わたし、修道院のお菓子食べたことあります! クッキーとか、飴とか……。」
「たまにバザーとかやっていますもんね。俺も好きです。あ、バター飴、食べたことあります? なかったらオススメですよ。」
「ないです! どこかに売ってますか?」
「えっと、舟街駅に修道院のお菓子の専門店があるんですよ。そこにあったかな? あとでURL送りますね!」
「是非、是非!」
気がつけばわたしたちは、勉強のことなど忘れて話し込んでいた。好きなお菓子や本の話、家でどのように生活しているか……。
そうして時計を見ると、針は六時を指していた。
「あ、もうこんな時間……。」
「勉強全然できませんでしたね。」
「すみません、わたし、つい話し込んじゃって……。」
「いえいえ、俺も関係ない話ばっかしちゃってすみません……。でも、また今度勉強しましょうよ。ね?」
「はい!」
香織ちゃん以外との会話でこんなにも晴れやかな気持ちになるのは初めてだった。テーブルに置かれた四杯目のミルクティーを飲み干し、席を立つと、お手洗いに立った清水さんと、カウンターで合流した。会計を済ませようと財布を出すが、すでに清水さんが支払いを済ませていたようだ。
「えっ!? そんな、悪いですよ!」
「こういうときは素直に甘えておけばいいんです。それじゃ、行きましょう。」
申し訳なさが募る中、清水さんはそう言い、駅までわたしを見送った。
電車に揺られながら、ぼんやりと今日のことを思い出す。初めて読んだ、聖書の文章。愛がどのような力を持つか、聖書がどのような意味を持つか。すべてを理解できたとは言い難いが、清水さんの下で、清水さんの言葉を聞き続ければ、自ずと答えが見つかる気がした。
窓からは夕陽が差し込み、わたしの影を長く長く伸ばしている。電車に乗って、三波沢駅まであと五分のところで、チャットアプリがメッセージを受信した。送り主は、もちろん清水さんだった。
「お疲れ様です。本当に楽しい時間をありがとうございました。勉強はまた次の機会にしましょう。では、また日曜日のミサで。」
「お疲れ様です。こちらこそありがとうございました。そうですね、また休みの合う日にでも。では、またミサで。」
この日、わたしの頭は清水さんでいっぱいになった。
電車を降りても、駅から出ても、歩いて家に帰る最中も、お夕飯を食べても、お風呂に入っても、ベッドに入っても、眠りについても。
わたしにとって、扉は清水さんだった。
わたしにとって、砂は清水さんだった。
わたしにとって、風は清水さんだった。
わたしにとって、音は清水さんだった。
わたしにとって、水は清水さんだった。
わたしにとって、光は清水さんだった。
困っていたときに助けてくれた男性。
わたしにとって、それだけで十分だった。
(つづく)
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