元「ベイビーレイズJAPAN」渡邊璃生さん初の小説集『愛の言い換え』が明日5月2日に発売。その中から選りすぐりの傑作書き下ろし3篇を30日間連続で全文特別公開します!
>>前話を読む
◆ ◆ ◆
「新ちゃん、おかえりぃ。」
新が帰宅すると、揺れるビニール袋の音を聞きつけてか、珍しく蒼介が玄関まで出迎えにやって来た。くたびれたスウェットに裸足で、よたよたと頼りなく歩く。新は肩を落とした。
「お前なあ、鍵くらいかけろって。」
「んへへ、ごめん、ごめん。」
ポケットの中で握られた鍵は、今日も役目を果たすことなくキーフックにかけられた。靴を脱いでキッチンへ向かうと、蒼介が背後にぴったりくっつき、左肩に顎を乗せて言う。
「え、新ちゃん、僕の猫杏仁は?」
買い与えられるのが当然であるかのような口調だ。しかし新は怒らない。肩を上げて蒼介の顎を退かせ、
「ヒモにくれてやる猫杏仁はない。普通の杏仁で我慢しろ。」
杏仁豆腐とスプーンを蒼介に押し付けた。
「わあ、ありがとう、新ちゃん。」
蒼介は人懐っこい笑顔を浮かべ受け取った。軽い足取りでリビングのソファーに座り、杏仁豆腐の蓋を開けた。新のくつろぎスペースだったそこは、彼の指定席兼寝床と化し、菓子の袋や本が散乱していた。そこには新のお気に入りの「じゃがいもスライス(のりしお味)」の袋も残されている。
「あー、もう、部屋ぐちゃぐちゃじゃん。お前、俺のお菓子勝手に食うなよ。」
見かねた新が、キッチンのゴミ箱に捨てる。そのままビニール袋から冷凍炒飯を取り出し、ひとつは冷凍室へ、ひとつは皿に出した。シンクには使用済みの皿が積まれている。片付けのことを考えてか、新は苦笑いを浮かべた。
「……そういえばさあ、蒼介ぇ。職場でこんな話聞いたんだけどお。」
「んー?」
杏仁豆腐を食べながらテレビを見る蒼介に、新はキッチンから電子レンジを操作しつつ話しかけた。
「なんか、『レインコート男』とかこの辺出るらしくてさあ。ほんと、内容が都市伝説。口裂け女とか、そんな感じ。呪文唱えたらさあ、消えんのかなあ。口裂け女はなんだっけ。」
「『ポマード』?」
「そうそう、それぇ。」
解凍時間を確認していなかったのか、新は相槌を打ってゴミ箱から一度捨てた袋を取り出し、裏面を確認して再びスイッチを入れた。
「まあ、そんなんがいるって、気をつけろとか言われちゃったよ。」
「ふうん。……まあ、都市伝説にかかわらず夜道は気をつけなよ。新ちゃん、帰り遅いんだから。」
「お前が言うなよ、馬鹿。」
軽く返して、新は冷蔵庫を開けた。あったはずのドリンクヨーグルトがどこにもない。麦茶を用意して出すと、キッチンからリビングを覗き、蒼介の前のテーブルの上になにもないことを確認する。
「……蒼介、なんか飲むー?」
すると蒼介は、キッチンから見えるように青と白のパッケージの紙パックを頭上で揺らした。
「ヨーグルトあるから平気ぃ。」
「やっぱりか! だから、それ俺のだろ。」
「んー。」
また次の休みに補充しなくてはならない。新は麦茶をしまい、温まった炒飯をテーブルに出すと、座布団に腰を下ろして「いただきます。」とスプーンで口に運んだ。テレビのリモコンを片手に、チャンネルを変えニュース番組をチェックする。ゲストのタレントがキャスターと共に、銀星街に接近中の大型台風を取り上げていた。
「あ、日高心菜だあ。」
蒼介が身を乗り出し、新の頭に顎を乗せる。
「あー、蒼介好きそう。えくぼちゃんだもんな。」
「そうそう。笑顔がかわいい子って癒されるじゃん。」
「まあ……、っンぐ、」
「新?」
蒼介の言葉に答える余裕が新にはなかった。汗の滲んだ青白い顔で、空の皿をテーブルに残しトイレに向かう。足取りは危うく、呼吸は荒い。立つのが辛いのか壁に手をやりながら、ドアノブに体重をかけゆっくりと中に入った。便器に顔を突っ込み、人差し指と中指を口に入れる。
「……ねえ、それやめたら?」
「だって物入ってる方が吐きやすいしっ……う、……テレビ見てていいよ。」
いつの間にかそばに来て背中をさする蒼介に、新は小さく答えた。
(つづく)
▼渡邊璃生『愛の言い換え』詳細はこちら(KAODOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321904000345/