元「ベイビーレイズJAPAN」の渡邊璃生さん初の小説集『愛の言い換え』が5月2日に発売となります。発売に先駆けて、選りすぐりの傑作書き下ろし3篇を30日間連続で全文特別公開!
>>「愛の言い換え」
>>「蹲踞あ」
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ダイバー
「ねえ、新ちゃん。明日、街に怪獣が現れたらどうする?」
「なんだよ、それ。」
閉じたまぶたの裏、昨夜の会話を思い起こす二階堂新。
「そんなの、すぐ逃げるに決まってるだろ。」
意味のないたとえ話ばかりする幼馴染・富田蒼介。彼の柔らかい笑顔にそう返し、自身も呆れた笑みを浮かべる。
何気ない会話、何気ない日常。それらが壊されるという想像に、新は大した恐怖を抱かないようであった。しかし彼らの住む街・銀星街(通称である。正式名称はだれも覚えていない)は工業地帯で、排ガスと汚染水で汚れた街であったし、少なくとも新にとって大切な故郷でも思い出深い街でもないのだから、当然と言えば当然なのだ。
よどむ思考の中、新が視線の上のバルブを捻り、咥えていた蛇口から唇を離した。舌を這わせ、ガソリンで汚れた口元を舐める。そうして蛇口を咥え、バルブを捻った。
ホースの先の機械は無機質な轟音を響かせ、その間にはわずかな嚥下音が聞こえた。
そこは「C・エレメント社」。
使い古しのガソリンを飲む、それが彼らの仕事だった。
とうに慣れ切った苦味と、喉を刺すような痛み。楽な仕事ではないが学歴を必要としない上、高給であったため、社員は多かった。
終業時間を迎えると、新たち社員は更衣室でガソリンの臭いが染みついたつなぎを脱ぐ。自由な歩行と会話が許される時間。家族に頼れない者、身寄りがない者も多く、更衣室での会話を楽しみに出勤する社員も存在した。
「あいつ、すごいんだよ。二時間くらい蛇口から口離さねえの。」
と新入社員に耳打ちする社員。会話は新の真横で行われていたが、気に留めず着替えを続ける。
「(『ファミワ』のカップ麺飽きたんだよな。……そういえば、蒼介が『猫杏仁』食べたいって言ってたっけ。なんか猫の形したやつ。あれ『セゾン』にしか売ってないじゃん。家から遠いから嫌なんだよな。自分で買えよ、馬鹿。)」
新は蒼介のわがままに辟易していた。いわゆる「ヒモ」である彼は、一銭も稼いで家に入れない。その癖家事もせず、可愛げもない。今年で二十五になる元クラスメイトに、可愛げなどあっても仕方がないのだが。
「おい! 聞いてるか、二階堂。」
先ほどの社員だ。
「あ、はい。すみません。聞いてませんでした。」
「だから……、こんな噂があるんだよ。」
ため息をつきながら、彼は語り始めた。
一週間ほど前─土砂降りの夜に、銀星街で不審な男が目撃されたらしい。「ランド・グリーン社」のレインコートを着た「レインコート男」。あくまで噂だが、刃物のようなものを持ち、だれかと言い争う声が聞こえた。明朝、その場を訪れると、貸倉庫だったそこは荒れ果てていたと。
「お前の家、西区だろ? 『レインコート男』はその辺で目撃されたらしい。まだニュースにはなってないけど、なにかあってからじゃ遅いからな。気をつけて帰れよ。」
「あ……、はい、ありがとうございます。」
新は軽く流し、着替えを終えて職場を後にした。
「(『レインコート男』ね。小学生が好きそうな都市伝説だな。ニュースになってないなら、なんで性別とかレインコートの会社とかがわかるんだよ。アホらしい。)」
新が外に出ると、夏の終わりの空には星が鈍く輝いて見えた。
コンビニエンスストア・ファミリーワゴンに入ると、手に持ったスマートフォンの通知音が鳴る。確認すると、ロック画面に「猫杏仁食べたいです。」と蒼介からのメッセージが表示された。タブを横にスワイプし、メッセージアプリを開く。
「もうファミワ入ったから無理。」
「おねがいします。猫杏仁食べたい食べたい食べたい。」
「うるさい。」
その返信を最後にアプリを閉じ、スマートフォンのサウンドをオフにする。
冷凍炒飯をふたつカゴに入れ、冷凍食品コーナーから立ち去りデザートコーナーを横切ると、杏仁豆腐が目に入った。手に取り数秒眺め、
「(まあ、代わりのもん買っていかないとうるさいからな。)」
と冷凍炒飯の上に載せた。
会計を済ませ外に出ると、風がやけに冷たい。帰宅を急いだ。
(つづく)
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