元「ベイビーレイズJAPAN」の渡邊璃生さん初の小説集『愛の言い換え』が5月2日に発売となります。発売に先駆けて、選りすぐりの傑作書き下ろし3篇を30日間連続で全文特別公開します。
>>前話を読む
◆ ◆ ◆
「待って!」
春海はひかりを追いかけた。この機を逃したら、もう二度と彼女に会えないかも知れない。現実的に考えてありえないのだけど、とにかく彼はそんな面持ちで、声の震えを殺して言った。
「こ、この後、二十時から打ち上げ花火やるんだ。見に行こうよ。」
「打ち上げ花火? うーん、見に行きたいけど、ごめん。わたし……。」
「おねがい。ぼ、僕、明日の夜には東京に戻らなきゃいけないんだ。ひかりちゃんと花火、見たいんだ……。」
「……ごめんね。」
「一回くらいしなくても大丈夫だよ。それに僕、一回も『蹲踞あ』したことないけど、なにも起こらないし。……ね?」
「……なんでそんなこと言うの!」
「!……ひかりちゃん?」
春海は、これ以上なにも言えなかった。ひかりの瞳が、今にも零れ落ちそうなほど潤んでいる。顔から血の気が引いた。
「どうしてもしなきゃならないの! 春海くんがどうとか、関係ないの! おまじないなの、わたしにとって大切なの!」
「ご、ごめん、」
咄嗟に出た謝罪の言葉は、しかし反射でしかなくて、ひかりもそれを見抜いたのだろう。
「帰る。ついてこないで!」
こう言い残し、彼女は走り去った。
春海は追いかけなかった。伸ばした手は行き場を失い、だらりと下げられた。
春海はたったひとり、重い足取りで帰宅した。
「春海くん、おかえりー。ひかりちゃん、どうだった?」
帰宅した彼を出迎える、無邪気な母の声。母に対する甘えからか、春海は「どうもしないよ。」とぶっきらぼうに返した。
「……パパー、春海くん振られたってー。」
「違うよ!……うるさいなあ。」
上着も脱がずに自室へこもった。机にカバンを、ベッドに身を投げ、枕の中で深いため息をつく。
「(……なんであんなこと言っちゃったんだろ……。)」
後悔、怒り、悲しみ、悔恨、すべてが混ざって痛みとなり、心臓を何度も刺す。スマートフォンのチャットアプリを開いて、謝罪の文を打ったが、結局送信はできなかった。
深夜二時、通知の鳴らないスマートフォン片手に、春海は眠りに落ちた。
翌朝、酷い頭痛で目を覚ます。スマートフォンのロック画面には十二時と表示されていた。
顔を洗いリビングに入ると、トーストの匂い。母親が昼食をとっていたようだ。
「おはよう……。」
「おはよう。遅かったのねー。」
「食べていい?」
「どうぞ。」
焼きたてのトーストが載った皿を母から受け取って、春海はマーガリンを塗った。
トーストをかじる音と、お昼のバラエティー番組の笑い声。春海が切り出した。
「ねえ、お母さん。友達に謝るとき、なんて謝ったらいいと思う?」
「そりゃ、『ごめんなさい』しかないでしょ。」
母親はコーヒーカップに口をつけて、突き放すように言った。
「でも、なんていうかさ。その子、なんていうか……、僕にはわからない習慣、みたいなのがあってさ。それを、馬鹿にしちゃったっていうか……。」
「なら誠意を見せるしかないね。」
「誠意?」
「それは自分で考えな。もう大人なんだから。」
「……そうだよね。……うん、わかった。ありがとう。」
春海はトーストを口に詰め込むと、「ご馳走様!」と言って皿を洗い、身支度をして外へ出た。
(つづく)
▼渡邊璃生『愛の言い換え』詳細はこちら(KAODOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321904000345/