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試し読み

バチスタ裁判、開廷。検察組織にメスを入れる、医療×司法エンタメ! 試し読み②「氷獄」

医療と司法の正義を問う、リーガル×メディカル・エンタテインメント!

7/31(水)発売の海堂尊さん・著『氷獄』より、表題作の試し読みを特別公開。
『チーム・バチスタの栄光』のその後を描いた、待望のシリーズ最新作をお楽しみください。

 二〇一九年、あの激動の日々から十年の歳月が流れた。
 二〇一一年の東日本大震災を経て、福島では相も変わらず壊れた原発が放射能を垂れ流し、一向に問題解決の出口は見えないにも拘わらず、各地で原発は再稼働を始めている。
 だが政府の誘致政策が功を奏し、来日客は増加の一途だ。
 そんな中、日本国の穏健かつ人道的な象徴であり続けた名君である天皇陛下は、自国民を
 蔑ろにする政策を推進する政権が、自分を慇懃無礼に利用することを拒否し、自分の治世を表す平成という元号を、自らの手で終わらせることを決意した、のかもしれない。
 一九八〇年代、利益追求にかけてはダボハゼのように貪欲な米国が主導した新自由主義は、中南米の国々に一時の見せかけの繁栄をもたらした。だがやがて手酷い惨禍をもたらし、各国を破産に追いやることになる。
 未来の利益を先食いして現在の好景気を謳歌しようという、自己破産体質の政策を、三周遅れで採用した日本は、若者の未来の稼ぎを前借りして米国に貢ぎつつ、自分のお友だちだけに大盤振る舞いすることで、見せかけの栄華を誇っている。
 来夏にはこの国の首都は、オリンピックという馬鹿騒ぎ一色に染め上げられ、それを花道に、国民の未来を食いつぶした売国奴は悠々と引退するのだろう。
 この国の、未来展望のなさにはつくづく絶望してしまう。
 だが、それでも私は、何とか生き延びることができた。
 五十路の声を聞いた今、私は勤め先の弁護士事務所の代表となり、若手弁護士を二人抱えている。
 私は机の袖に置かれた、ふたつの段ボール箱を眺める。
 それは私が弁護士仕事を始めるにあたって対応した、ふたつの案件の関係資料だった。ひとつは人に誇れるような弁護をした事件。もうひとつは人に言えないような弁護をした事件。このふたつの事件を経験したおかげで、私はこうして生き延びたのだ。
 私がとったのは従来の法曹界の常識を覆す、掟破りの手法だった。そう聞くと人は、私が遣り手だったのだな、と思うかもしれない。
 だが現実は真逆で、私は他の分野から放逐された新参者だった。だからこそ法曹界の常識に囚われず、思うままに突き進み、従来の壁をぶち破ることができた。
 当然、私の独力ではそんなことはできない。
 私には人運があった。その人たちの言葉に耳を傾け、ハーケンを打ち込みながら未踏のルートを一歩一歩たどり、この地にたどり着いたのだ。
 だが過剰な謙遜は、物事の本質を歪めることになる。私が現在の地位を築くことができたのは大勢の人たちの助力のおかげだが、自分の意志がなければここに到達できなかったのもまた真実だ。
 私は椅子に深く腰をかけ、腕組みをして目を閉じる。
 そうして、ふたつの事件のきっかけになった当時の出来事を思い出す。
 その物語は今から十一年前、二〇〇八年の春に幕が上がったのだった。

   02 初接見  2008年4月23日(水) 東京・小菅

 都心からは、東京メトロ日比谷線が東武伊勢崎線に接続しているので、直通で半時間。
 小菅駅は高架の上にある。階段を下りて改札を抜けると、目の前に六時間百円の貸しロッカーが、時の流れから取り残されているみたいにぽつんとある。駅前の小径を左にしばらく歩き右折すると、道なりに細い水路があり、細長い木製の板を敷き詰めた遊歩道がある。釣り禁止、という看板が目を引く。こんな浅い水路で釣りをする物好きがいるとは思えないのだが。
 遊歩道をたどると遠目にモダンな、高層の建物が見えてきた。多くの市民にとって、名前はニュースでよく聞く場所。そして滅多にお世話になることのない、いや、お世話になりたくない場所。あれが名高い東京拘置所か、と私は遠望して呟く。
 通常の拘置所は高さ五メートルの外塀で囲まれているが、東京拘置所は外塀で覆われていない。周辺住民からの要請で威圧感を与えないよう配慮されているのだという。
 工事の音がする。一部の棟に工事用のシートがかかっている。
 外周の改築工事は二〇一二年の完成を目指しているという。
 ついにこの仕事に就けたのだ、と思い感慨深かった。

   *

 三ヵ月前。弁護士資格を取り意気揚々としていた私は、たちまち厳しい現実をつきつけられた。大手弁護士事務所に応募したら色よい返事が返ってきた。面接も好感触で採用は決まったも同然と思っていたら二週間後、採用見合わせの葉書がきた。残念に思いつつ次の大手事務所に応募した。ところが今度は最初からけんもほろろの扱いだった。
 法科大学院を卒業しても皆が司法試験に合格できるわけではない。だから一発合格した私は高く評価されるはずだと思った。裏の事情が判明したのが、三軒目の大手事務所を受けた時だ。
 その時に面接担当者が言った。
「日高さんは大手の弁護士事務所への就職を狙っておられるようだけど、無理ですから」
 なぜですか、という当然の質問をすると、担当者は答えた。
「あなたは初め、マイルド法律事務所に応募されましたね。アレがいけなかったんです」
 怪訝な表情をした私に、面接担当者は続けてこう言った。
「あなたは弁護士資格を取る前、お勤めの会社で上司の不正を告発して解雇されましたよね」
「解雇ではなく、自己都合による退職ですが」
「でも実質は解雇でしょう。実はそうした対応を指導した顧問弁護士事務所が、他ならぬマイルド法律事務所だったのですよ」
 そう言われて唇を噛んだ。迂闊だった。
 私は会社の上層部のシステムなど、まったく理解していない若造だった。

>>第 3 回

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