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試し読み

【佐藤浩市、渡辺謙W主演!】映画「Fukushima 50」ノベライズ『小説 Fukushima 50』試し読みスタート

2020年3月6日(金)に、いよいよ映画「Fukushima 50」が公開されます。映画公開を記念し、1週間にわたってノベライズの試し読みを配信! 忘れてはならない「あの日」の真実を知ってください。

  プロローグ 2014年春

 行く手に、誘導灯を振る作業員の姿が見えた。
 ざきとしは、柔らかくブレーキを踏むと、その作業員の横へと車を進めた。
「……おひとりですか? 恐れ入りますが、通行証をお願いします」
 車の窓越しに、関係者にのみ配布されている通行証を見せると、作業員は「ありがとうございます」といんぎんあごを引き、手動でゲートを開いた。
「ごくろうさまです」笑顔を返すと、伊崎はアクセルを踏む。
 車が再び、走り出す。
 なんて、天気のいい日だろう。うららかな春の陽気に花が咲き、にわかに色づき始めている。一見、どこにでもありそうな美しく長閑のどかな田舎町だ。
 しかし今、ここに人の姿はない。
 福島県ふたとみおかまち。帰宅困難区域に指定されているこの町には、復旧が進んでいるとはいえ、いまだ人々は戻ることができていない。
 ──『原子力明るい未来のエネルギー』
 車が、そう書かれた大きなPRゲートの下をくぐった。
 同時に、そこかしこに残る、3年前の、あの日のざんがいともすれ違う。
 崩れ落ちたまま朽ち果てた家屋。寸断された道路。手入れをする者もなく雑草だらけになってしまった公園。ありとあらゆるものが、あの日のまま、取り残されている。
 明るい未来の指し示していたものがこれなら、なんと皮肉なことだろう。
 苦い思いとともにハンドルを握りながら、伊崎はふと、考えた。
 ──きっかけは、たぶん、ちょっとしたことだったのだ。
 例えば、岩盤にできた数ミリにも満たないごく小さなれつ。大きなエネルギーが蓄積された海底の地盤は、その亀裂を端緒として連鎖的な断裂を起こし、あっという間に全長500キロに及ぶ破壊へと成長した。この急激な断層破壊がマグニチュード9・0に及ぶ膨大なエネルギーを一気に放出し、あの破滅的状況をもたらした津波を生み出した。
 それと同じことが、伊崎がいた福島第一原発──いちエフでも人為的に起こされていた。
 核燃料の中に収められたウラン235。その原子核に中性子が衝突すると、核分裂が起こり熱エネルギーが生まれる。中性子は、別のウラン235の核と衝突し次なる核分裂を誘発する。この連鎖的な反応が、原子炉がエネルギーを生み出す源だった。
 そう考えれば、根っこは同じだったのだ。どちらも同じ連鎖反応であって、どちらも結果としては人間が制御できないものだったのだから──。
 もちろん、それは結果論だ。今から振り返るなら、誰だってその是非を無責任に論じられる。
 ただ、結果はどうあれ、原子炉技術者プラントエンジニアである伊崎たちだからこそ確実に言えることが、ひとつあった。
 それは、俺たちはあのとき、ただひたすら奮闘したのだということ。
「……なあ、そうだろう?」
 誰にともなくそうつぶやくと、伊崎は道端に車を停め、エンジンを切った。
 不意に訪れた静寂の中、ハンドルにもたれてフロントガラス越しに見上げる空に、満開の桜だけが舞っている。
 富岡町、もり公園。辺りには車はない。すれ違う人もいない。
 伊崎は静かに、目を閉じた。

  2011年3月11日朝

はる、お父さん、今朝もまだダメ?」
 母が、台所の玉のれんから首だけを出して、心配そうに言った。
 遙香は、手にしていたわんはしをそっと置くと、「うん」と小さくうなずいた。
「昨日の続きがやりたかったんだけどね。あの人、とっとと出てっちゃった」
「そう……」母が、掛ける言葉に迷ったように、あいまいな頷きだけを返した。
 父、伊崎利夫は、とう電力の福島第一原子力発電所に勤務するエンジニアだ。
 当直長という責任ある役職に就いているらしいが、そのせいで、遙香と家で顔を合わせる機会があまりない。ましてや昨晩はあんなことがあったのだから、とっくに出勤していると思ったのだが──。
 父は朝、居間にいた。
 遙香は思わず「あっ」と小さく声を発すると、誤魔化すように、そっと無言で父の斜め向かいに座った。父は、口をへの字に結んだまま、まるで遙香がそこにいないかのように、険しい目つきのまま朝のニュースをじっと見ていた。
 改めて、遙香は思った。私ももう24だ。子供じゃないし、私の人生を決める権利は私にある。ましてや、あの人のことをお父さんにとやかく言われる筋合いはない。
 今こそ。消化不良で終わった昨日の話にケリをつけなければ──。
 よし、と自分に頷くと、遙香は話を切り出した。
「あのね、お父さん。昨日の話なんだけど……」
「行ってくる」
 しかし、遙香の言葉を無視するように、父は、東電のジャンパーを乱暴に羽織ると、足を踏み鳴らして居間を出て行った。
 ──それから約1時間が経ち、今に至る。
 はあ、と遙香は短いためいきを吐いた。一体、いつになったらわかってもらえるのだろう。
 そもそも、いつになったらきちんと話す機会をもらえるのか。
 こんなにもらちが明かない状態が続くのだったら、いっそ、駆け落ちしてやろうかな。
「朝ごはん、終わった?」
「あ、ごめん。今食べる」母の声に我に返ると、遙香は冷めたご飯を頰張った。
 美味おいしい。こんなに腹が立つのに、こんなに米が美味うまいなんて、どういうことだ。
 それに、机の上の灰皿もなんだ。禁煙中と言ってる癖に、いつまでもウジウジ残し続けやがって。テーブルの上で邪魔なんだよ──。
 次々と理不尽な怒りが込み上げる。
 それらごと胃のに収めるように、遙香は黙々と飯粒を飲み込んだ。
「お母さん、ちょっとご近所に行ってくるから。お茶碗、流しに浸けておいてね。おじいちゃん起きてきたら、おしるだけ温めてあげて」
「わかった」
「それとね、遙香」
 仏頂面の遙香に、母が言った。
「きっと、時間が解決するから。ね? ゆっくり待とう?」
 時間が解決する? ゆっくり待つ? 確かにそうかもしれないけれど、そもそもこんな持久戦をいられるのもすべて、あの親父のせいなんだ!
「だったらいいんだけど!」
 遙香は、大声で怒りを吐いた。

(第2回へつづく)


書影

周木 律『小説 Fukushima 50』(角川文庫)


周木 律小説 Fukushima 50』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321910000667/


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