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試し読み

歌野晶午×江戸川乱歩――もし「押絵と旅する男」が現代にいたら、何と旅をする?/歌野晶午『Dの殺人事件、まことに恐ろしきは』試し読み①

江戸川乱歩の名作がハイテク機器によって現代風に生まれ変わったら……

『葉桜』の鬼才・歌野晶午による翻案ミステリ短編集『Dの殺人事件、まことに恐ろしきは』
10月24日(木)の文庫版発売を記念して、「スマホと旅する男」を全文公開します!
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「押絵と旅する男」

魚津へ蜃気楼を見に出掛けた帰り。私は、同じ車両に乗り合わせた異様な風采の男が、巧緻な押絵を汽車の外に向けていることが気になっていた。理由をたずねると、男は自分の兄にまつわる不思議な話を語り始める――。幻想小説の金字塔。

 * * *

 アーサー・C・クラークによると、十分に発達した科学技術は魔法と見分けがつかないそうなのだが、するとあの日私の前に現われた摩訶不思議な男女は、魔法や妖術の類いによる幻などでは決してなく、長旅で疲れた白日の夢の中に生まれたものでもなく、最先端の科学技術によってもたらされた現実だったのか。それとも、やはりこの世には科学が決して入り込めない領域というものが厳として存在し、私はふとしたはずみで結界の向こう側に迷い込んでしまったのであろうか。
 ある夏の終わりのことである。一週間も十日も続けて猛暑日をもたらした太陽は分厚い雲の奥に姿を隠しているというのに、立っているだけで首筋から背中からネトネトした汗がしみ出してくるという異常に蒸し暑い日で、それは長崎へ端島を見に出かけた時のことだった。軍艦島という俗称で言ったほうが通りがいいだろうか、かつて海底炭鉱で栄え、閉山後島全体が廃墟となった、長崎半島西方沖に浮かぶ人工島である。
 私は廃墟マニアではない。わが国の産業史に興味があるわけでもない。流行り物に弱いのだ。最新のディズニー・アニメが公開五日間で百万人を動員したと聞けば劇場に駆けつけ劇中歌を合唱し、ラーメン屋の前に行列ができていたら並ばずにはおれない。軍艦島が世界文化遺産に登録され、連日の報道に接するうちに、一度この目で見てみたいと心がうずき出した。
 その背中を押したのが、世界遺産登録を記念して行なわれることになった、プロジェクションマッピングのイベントである。漁民が岩礁の間で露出炭を拾っていた江戸時代にはじまり、明治後期からの大規模な埋め立てと炭鉱の事業化、戦争、世界一の人口密度を誇った高度成長期、そしてエネルギー革命により役割を終えて人々が島を去っていくまでを、CGで再現して軍艦島の廃墟の壁面に映し出し、在りし日を偲ぼうというのだ。たんなるビジュアル・エンターテインメントではなく、芸術や学術とのコラボレーションでもある。
 船上からの鑑賞ということで人数制限があり、チケットの入手は困難をきわめた。しかし強い思いが通じたようで、私は五十倍超の競争を勝ち抜き、勇躍長崎に乗り込んだ。はやる気持ちを抑えきれず、出港の五時間も前に長崎港に到着するという入れ込みようだった。
 ところが船が出なかった。たしかに台風は来ているが、まだ沖縄本島の南ではないか。風も少々強いが、暴風というほどではないではないか。係員に詰め寄ったのは私だけではなかったが、生命にかかわると言われたら、返す言葉がない。
 幼き日、手にした紐がするりと指を離れ、風船が天に昇っていってしまった時、こんな気分だったように思う。私は港のボードウォークにへたり込み、オブジェとして置かれている巨大な錨に背をもたせかけ、両膝を抱え込んだ。
 深緑の海面に波が立っている。それが桟橋に打ちつけ、体に降りかかるほどの飛沫があがるのならあきらめもつくのだが、チャプチャプ揺れる程度なので、やるせなさがつのる。一週間通しのイベントだったのだから、昨日や一昨日を選んでおけばよかったものを。最終日には特別な映像が用意されているかもしれないと、あさましいことを考えた罰だろうか。
「雲が速いこと速いこと」
 その声に、私はボンヤリ顔をあげた。一人の男がボードウォークの端に立っていた。
「体が感じているよりも、風はずっと強いんだよ。それにここは湾内、防波堤の外とは波が全然違う」
 空は灰色の雲で覆われ、といっても刷毛でペンキを塗ったようなベッタリとした空ではなく、ある部分は薄墨のよう、ある部分は黒に近くと、幾重にも層をなし、そういう立体的な雲が水平線の彼方で生まれては、みるみる近づき、頭上を通り越し、山の向こうに消えていく。
「軍艦島は残念だったけど、どうしてどうして、ここにも世界遺産があるんだぞ。右手をごらん、クレーンがたくさん立ってるけど、キリンのようにスラリとしたのが並ぶ中、一つだけずんぐりしたものがあるだろう? 手前の方の薄緑色のやつだよ、T字形で、ヘッドが紅白に塗り分けられている。あれが世界遺産のジャイアント・カンチレバークレーン。嘘じゃないってば。明治時代から使われてるんだぜ。そう、お飾りで置かれているのではなく、今も現役で稼働しているんだよ。そんな機械、ほかにある?」
 男は、一歩間違えば海中にドボンというギリギリの場所に立ち、対岸の造船所を向いてしゃべっている。脇や後ろに人はいない。少し離れたベンチに老人が一人坐っているが、連れのようには見えない。
「あの橋も実に優美じゃないか。白くて、細身で、なんだか白鷺みたいだ。世界遺産? じゃないよ、女神大橋は。できて十年くらいしか経ってない」
 男は港口にかかった長い斜張橋を指さす。私に対して説明しているようではない。公衆の面前で独り言つアブナイ人なのかと、私はソロソロと腰を浮かし、この場を離れるタイミングをはかった。
「左手の公園の向こうにずらりと窓が並んでいるよね。七階建て? 八階? 海辺のマンションかぁ、さぞ高いんだろうなあと思ったんだけど、違うんだよ。お高いことには変わりないけど、あれ、船だよ。よく見たら煙突がついてて、煙がたちのぼっている。クルーズ船って、あんなにデカいものなんだ。マンションでも、あんなに大きいの、そうそうないぞ。それが海に浮かんで走るって? スゲー! さすが戦国時代からの国際貿易港、何もかもスケールが違う」
 男の手にスマートフォンがあるのが見えた。顔の横に掲げ、松が枝埠頭に停泊している大型客船の方に向けている。なるほど、動画を撮影しながらナレーションを入れているのかと私は納得した。
「わざわざ来たのなら、ほかで元を取らないと」
 男が不意に振り返った。これは私に向けての言葉らしい。
「地元の方ではありませんよね?」
 眼鏡のフレームに指を添え、私の顔と、かたわらのボストンバッグを見較べる。航空会社のタグがつけっぱなしになっていた。
「今日のために休みを取ったのに、やれやれです」
 私は頭を掻いた。
「僕たちはこれから市内をめぐりますが、よかったら一緒にどうです?」
 男は、初見では三十代半ばに思われたのだが、こうして正面から見てみると、もう少し若そうだった。この蒸し暑いのに背広にネクタイ姿で、髪を、最近流行のではなく、昭和ふうの七三に分けていることで、実年齢より老けた印象を与えているらしい。肌はツルンとしていて、染みも皺も見あたらない。
「どこに行くんです?」
「とくにどことは決めていません。とりあえず路面電車に乗り、適当なところで降りようかと。路面電車というものは概して、その街の重要な施設や人が集まるところをつないで走っているものなので、うまく活用すると、乗っているだけで結構な観光ができちゃうんですよ。海外でも使える旅行術です」
「じゃあとりあえず適当なところまでご一緒しましょう」
 私はバッグを持って立ちあがった。Bプランは用意していなかったし、こういう出会いも旅の楽しみである。
「東京からなんですね。僕たちは魚津です。魚津、わかります? 富山県です。富山自体印象薄いもんなあ」
 男は自嘲気味に笑い、ボードウォークをターミナルビルの方に歩きはじめる。荷物はロッカーにでも預けているのか、手ぶらである。
「飛行機に乗ったのは東京ですけど、自宅も職場も大和です。神奈川県大和市、知らないでしょう?」
 荷物タグの〈HND〉の文字を指先でつつき、私も笑って応じたのだが、その一方で妙な感覚にとらわれていた。
 連れがいないにもかかわらず、男は先ほどから「僕たち」と繰り返している。この場にいないだけで冷房のきいたところで休んでいるのかと思いきや、待機しているとしたらここである可能性が高そうなターミナルビルを男は素通りし、橋を渡って港を出ていく。
 変に思いながらあとをついていくうちに、もう一つ奇妙なことに気づいた。男は歩行中もスマートフォンを離さないのである。歩きスマホでSNSやWebブラウジングをやっているのではない。指で操作するわけではなく、顔の横に掲げて歩いているのだ。
 男は港でも同じようにスマホを掲げていたので、歩きながら街並みを動画撮影しているのかと最初は思ったのだが、よく見るとスマホの画面を前方に向けていた。スマホは前面にもカメラのレンズがついているが、それは主として自撮りに用いるサブカメラで、解像度が低い。通常は解像度の高い、つまりきれいな画が撮れる背面カメラを使用するものなのだ。しかし男は背面カメラのレンズを自分の方に向けている。非常なナルシシストで、歩いている自分の姿を撮り続けているのだろうか。
「これですか?」
 男は突然足を止め、にこやかな表情で振り返った。
「これが気になるのですね?」
 男はスマホを振る。そんなことがあろうはずはないのだが、心を読まれたのかと、私はひどくドギマギした。
「喜んで紹介しますよ。港でお目にかかった時から、ああこの方は僕の行動が気になっているなと感じていました」
 男は不思議な言い回しで、スマホを持ち替えて私の正面に掲げた。五・五インチの大型画面に若い女性が映っていた。
 日本人形のような黒髪、細くキリッと締まった眉、ボッテリ施した睫エクステ、パッチリ開いた双眸、なだらかに膨らんだ頬、花びらがめくれたような上唇、プックラとした下唇、卵のような顎――グラビアから飛び出してきたような非常にまとまった顔立ちだったため、アイドルの写真を壁紙にしているのかと思ったところ、
「こんにちは」
 スマホのスピーカーから、そう声がした。画面の彼女の唇も動いたように見えた。

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〈第2回へつづく〉
ご予約はこちら▶歌野晶午『Dの殺人事件、まことに恐ろしきは』|KADOKAWA

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