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試し読み

人気アイドルになった幼馴染と付き合いたい!「スマホと旅する男」の思惑は/歌野晶午『Dの殺人事件、まことに恐ろしきは』試し読み③

江戸川乱歩の名作がハイテク機器によって現代風に生まれ変わったら……

『葉桜』の鬼才・歌野晶午による翻案ミステリ短編集『Dの殺人事件、まことに恐ろしきは』
10月24日(木)の文庫版発売を記念して、「スマホと旅する男」を全文公開します!
>>前話を読む
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「熱暴走しちゃったか。パソコンやデジタルテレビも、夏場室温が高すぎるとフリーズしてしまいますが、あれと一緒です。けどまあ、都合がよかったかも。彼女に聞かせたくない話もあるし」
 男はスマホから手を放し、あちちと振った。妙なことを口走ったようだったが、私は別のことに気を取られていて聞き流してしまった。
 西浜町で二人が降りたあと、乗客は、私と男、向かいのロングシートの老婆、運転席の真後ろの子供の四人だけになっていた。台風が近づいているとはいえ、外はまだ十分明るく、市の中心部を走っているというのに、この寂しさはどうしたことか。いや、モヤモヤの理由はこれではない。
 次は賑橋とアナウンスが流れる。男の話はかなり長かったのに、駅は一つ二つしか進んでいない。自動車事故が発生し、軌道にまで影響がおよんでいるということはない。この車内同様、道も閑散としており、電車はスムーズに走っている。なのに駅が非常に遠い。この車内だけ時間の流れが遅くなっているような印象である。
 だが、人の存在と時間の概念が普通でないとして、その原因はわからないし、それに、この違和感をもたらしているものはほかにもある気がする。
 モヤモヤとして固まらない黙考は、男が話を再開したことで打ち切られた。
「ヴィーナスが箕下純子であったとわかった時の興奮は、こうして話していてもまざまざとよみがえってきます。蚤の市で手に入れた煤だらけの油絵を洗浄したらゴッホのサインが出てきたような、とでも言いましょうか。いえ、証拠探しの達成感よりむしろ、アフロアフロとからかっていたリンゴのようなほっぺの女の子が妖精のように美しく変貌した驚きのほうが大きかったですね。
 純子に会ってみたいと僕は思いました。懐かしさからではありません。ツーショットを撮り、サインをもらい、どうだ幼なじみだぞすごいだろうと、知人に吹聴して歩こうというのでもありません。
 ヴィーナスについてあれこれ調べ、写真や映像にひたるうちに、どうやら僕はヴィーナスの虜になってしまったようでした。ついこの間まではマイヨジェンヌをグロスとしてしか見ておらず、メンバーの誰一人として名前と顔が一致していなかったというのに。往時も、箕下純子とは毎日手をつないで登校していたのについぞ淡い恋心を抱いたこともなく、むしろブスチビアフロと邪険に扱っていたというのに、突然彼女が恋しくなってしまったのです。人に対する気持ちというものは、何をきっかけに変わるのでしょうかね。日がな一日ネットで新たな画像を探し求め、床に就いては、経田の港や片貝川の河川敷で劇的な再会をはたすという夢を見、食事も喉を通らないほどでした。
 しかし、いったいどうしたらヴィーナスに会えるのでしょう。十年前に生き別れとなった幼なじみの者ですと芸能事務所の受付で涙にむせべば、感激の対面をさせてくれますか? ファンレターを送ったところで、段ボール箱に山と届いたものに一通一通目を通してくれるとは、とても期待できません。テレビ局やコンサート会場で出待ちしますか? 屈強な警備員のガードを突破できるとでも?
 いやいや、あきらめることはありません。合法かつ確実に接触できる手段があるではありませんか。〈サラダ祭り〉です。ご存じですよね?」
「マイヨジェンヌが新曲を出すごとに行なっているイベント」
 男の目力に釣り込まれるように私は応じた。次は公会堂前だとアナウンスが流れる。男の子が降車ボタンを押し、ピョコンと立ちあがる。
「そうです。CDシングルの初回限定盤を買うことで、もれなく参加できるイベントです。マイヨジェンヌの新曲披露ライブがあり、彼女らの雛壇トークがあり、運動会やじゃんけん大会が行なわれることもありますね。そして最後に握手会が。ライブや運動会やトークショーは客席から見るだけですが、握手会ではメンバーと直接ふれあえるのです。抽選で選ばれたファンのみがということではなく、サラダ祭りに参加した者はすべて、メンバーと握手する権利を有しているのです。しかも、握手の相手は主催者により任意に割り振られるのではなく、希望するメンバーをこちらから指名できるのです。ヴィーナスを指名すれば、彼女との対面がかなうのです。折しも新譜のリリースが近づいていました。まさに天の配剤です。
 ですが焦ってはいけません。普通にショップでCDを買い求め、サラダ祭りに参加したところで、握手できるのはたったの三秒という決まりなのです。僕のことを憶えているかと一言尋ねるひまさえありません。じゃあCDを百枚買えば三百秒握手できるじゃないかとなりますが、三百秒間通して握手できるわけではなくて、三秒間の握手を百回行なえるだけなのです。一回握手したら列に並び直し、それを百回繰り返す。これでは積もる話などできません。
 ところが世の中うまくできているもので、特別限定盤という上位商品がありまして、価格は通常限定盤の十倍もするのですが、これには一回で三十秒間握手できるVIP券が封入されていまして、しかも複数枚買った場合は、いちいち並び直さず権利をまとめて行使できるというオプションつきなのです。百枚買えば、五十分間通してヴィーナスと一対一の時間を過ごせるのですよ。
 この特別限定盤を、僕は六枚手に入れました。なにその中途半端な数は、どうせなら百枚ドーンといっちゃえばよかったのに、金を惜しんだか、なんて言わないでくださいね。特別限定盤は僅少で、抽選販売なんです。高額商品であるにもかかわらず、倍率は五十倍とも百倍とも言われていて、六枚手に入れるだけでも、それはもう大変な努力が必要だったのですから。冗談じゃなく、努力ですよ。まっとうに申し込んでも一枚手に入るか入らないかなので、IT技術者の力を存分に発揮し、購入申し込みのサイトに侵入してゴニョゴニョしたわけです。
 さあこれで準備万端、僕は六枚のVIP券を握りしめ、勇んで〈サラダ祭り23〉の大阪会場に乗り込みました。以前、某ロックフェスで行ったことがあった会場でしたが、その時より盛況で、三万人はいたでしょうか、こんなに混み混みで、整理番号が大きい自分に握手の順番が回ってくるのかと不安になったほどです。
 ライブ、トーク、料理対決とプログラムは進行し、待ちに待ったメーンエベント、握手会となりました。各メンバーの前には先の見えない大行列で、二時間は待たされたでしょうか。けれど、三秒しか握手できない一般ファンを先に終わらせるというシステムなので、長く待たされるということはVIPであることの証しであり、悪い気分ではありませんでした。それに、こんにちはと笑いかけ、僕のことを憶えているかと尋ね、一度食事でもどうかと誘い――順番が回ってきた時のシミュレーションを繰り返していると、ほんわかしあわせな気分に包まれたものです。
 そして、ついに僕の番がやってきました。消毒スプレーで手を清め、暗幕の下がったゲートを抜けると、目の前のテーブルに長い黒髪の子が坐っていました。鼻から上の可憐さに較べてセクシーな口周り――ヴィーナスその人です。ステージ上にいた時には豆粒にしか見えなかった彼女が、今、等身大でそこにいるのです。
 僕はテーブルの縁ギリギリにまで接近し、彼女に手を差し出しました。彼女も手を差し出し、首を少しかしげてニコッとほほえみました。二人の指と指が、掌と掌がふれあい、あたたかな感触がジンワリ伝わってきました。かつて二人はこうして手をつないで登校していたわけですが、あの時の薄くてかさついた掌とはまったくの別物、マシュマロのような弾力と滑らかさで、僕のほうが一回り大きな手をしているというのに、なんだか逆に包み込まれている感じで、握手しているだけで癒されるようでした。
『こんにちは』
 陶然としていると、彼女のほうから声をかけてくれました。僕はすっかりうろたえてしまい、
『いいお天気ですね』
 などとトンチンカンなことを口走ってしまう始末でした。あれだけシミュレーションしたというのに、無様なことです。けれど彼女は、
『いいお天気ですか? あたし朝早くからずっとカンヅメだから、わからなくって』
 と、やさしく応対してくれたのですから、どれほど嬉しかったことか。僕は勇気をもらいました。
『ええと、僕のこと、わかります?』
 気を取り直して話しかけました。
『いつも応援ありがとうございます』
 彼女のほほえみが一段と輝きを増しました。
『浅葱です』
『はい?』
『魚津の浅葱です』
『ウオヅアサギさん?』
『じゃなくって、富山の魚津から来た浅葱です。浅葱太造』
『うわぁ、富山からですか。遠いところをありがとうございました』
『ですから、魚津の浅葱太造です』
『太造さん、いつも応援ありがとうございます』
『浅葱太造ですって、浅葱太造』
『はい、太造さん』
 話が噛み合わず、彼女の笑顔が翳ります。僕もこういう事態は想定していなかったので話の接ぎ穂を失ってしまい、口をモゴモゴさせていると、持ち時間の三分が来てしまい、スタッフの剥がしにより、ブースを出されてしまいました。
 離れて十年になります。箕下純子は僕を忘れてしまったのでしょうか。僕も大人になり、面立ちや背恰好はかなり変わっています。引越し先や芸能界で新しい知り合いができれば、幼なじみの名前も忘れてしまうかもしれません。しかし魚津という生まれ故郷である地名にも無反応というのはどういうことでしょう。
 僕は肩を落として魚津に帰りましたが、このままでは終われません。季節がひとつ変わったのち、マイヨジェンヌの第二十四弾シングル『サンタとマリア』の特別限定盤を買い求め、〈サラダ祭り24〉の名古屋会場に乗り込みました。もちろん今度もサイトをハッキングしたわけで、VIP券を九枚手に入れることができました。
 ミニライブ、トークショー、人間すごろくとプログラムが進行し、握手会になり、三時間待ったのち、僕に順番が回ってきました。
『浅葱太造です』
 ヴィーナスの手を握るなり、名乗りました。今回はまったくあがっていませんでした。
『いつも応援ありがとうございます』
 彼女はにこやかに、しかし判で捺したような台詞を口にしました。
『魚津の浅葱太造です』
 僕は繰り返し言いました。
『太造さんですね。いつも応援ありがと――』
 彼女は言葉を止め、ほほえみをおさめました。
『僕のこと、思い出しました?』
『ええと、前にも来たことあります? 福岡? 仙台?』
『大阪です。じゃなくって、もっと前から僕のことを知ってるでしょう? 魚津にいた時』
『魚津?』
『三小だったでしょう? こうやって手をつないで一緒に登校したじゃない』
 僕は握手する手に力を込めました。彼女は小首をかしげました。
『本名は箕下純子でしょう?』
『え?』
『綽名はアフロ』
『ちょっと! この人、どうにかしてください! 変な人! 気持ち悪い!』
 ヴィーナスが僕の手を振り払い、椅子を倒さんばかりの勢いで立ちあがりました。僕は、すぐそこにいた係員に両肩を掴まれ、そのままブースの外に押し出されました。
 まだ時間は残っていると抗議しても、メンバーに不快な思いをさせたら即退場という決まりだ、チケットにも明記してあると、受け容れられません。押し問答していると、スタッフが一人また一人と集まってきて、中には屈強そうな警備員もいたため、僕は撤退を余儀なくされました。
 ヴィーナスが箕下純子であることは間違いありません。本名と綽名に敏感に反応したのがその証拠です。なのに知らんぷりをするとはどういうことよ。おまえとはもう住む世界が違う、なれなれしくするなというわけかい、あぁん?
 ヴィーナスはアイドルです。みなにしあわせを届ける女神です。特定のファンと親しくしたのでは、ほかのファンをふしあわせにしてしまいます。それに、アイドルとしてふるまっている時には、本名も過去もいりません。ヴィーナスはヴィーナスであり、素顔をさらすことでファンを幻滅させてしまいかねません。中の人などいないのです。
 そう思えるのは時間が経った今だからであって、あの時は無視された屈辱で頭に血がのぼっていました。とにかく箕下純子であることを認めさせ、懐かしいの一言を言わせないことには腹の虫がおさまらなかったのです。
 僕はまたハッキングして手に入れたVIP券を手に、東京のサラダ祭りに乗り込みました。
 けれど会場に入れませんでした。VIP券は転売を防ぐため、特別限定盤の購入に際して名前や住所を登録しなければならず、イベントの入場時に身分証明書による本人確認が行なわれるのですが、浅葱太造がブラックリストに載せられてしまっていたのです。名古屋でのトラブルを受けての措置でした。
 人違いでしょうとすっとぼけましたが通用しません。今後は言動を慎みますと神妙になっても、地方から出てきたのですという泣き落としもだめで、ならばと開き直り、こっちは客だ高い金を払ってCDを買ったんだどうしてくれる訴えるぞとヤクザまがいに凄んでも、逆に、こちらから警察に被害届を出しましょうかといなされ、僕は勝ち目がないことを悟りました。
 だからといってあきらめられたわけではありません。嘘をつかれ、悪人扱いされ、どれだけ傷ついたことか。田舎出の洟垂れ娘の分際でお高くとまりやがって、ガツンと言ってやらないと気がすみません。
 いや、それは表向きの理由ですね。僕はヴィーナスを好きになってしまったのです。間近で見、握手をしてから、その思いはますます強くなっていました。なのに金輪際彼女と会えないなんて耐えられません。どうせかなわぬ恋とあきらめろ? 相手がただのアイドルなら、あきらめもつきましょう。でもヴィーナスは、雲の上の人ではあるけれど、かつては地上で一緒に過ごしていた仲なのです。手が届く存在なのに、あきらめろ?
 しかし彼女から引き離されてしまいました。テレビやグラビアで眺めることはできますが、一度彼女の手を握り、吐息を感じてしまった以上、見守るだけでは心は満たされません。
 僕は嘆きました。吠えました。泣きました。人込みの中で声を出してしまったかもしれません。泣き疲れて横になっていると、瞼の裏側に彼女の姿が浮かび、それがまた新たな涙を連れてきました。
 恋しいヴィーナス、愛しのヴィーナス。寝ても覚めても彼女のことばかりで、何も手につきません。ヴィーナスに恋心が芽生えた当初も頭の中を彼女に占拠されていましたが、あの時は希望がありました。今はゼロなのです。
 絶望の日々がどれほど続いたでしょうか。食事もろくにとらないので、体には力が入らないし、目の焦点が定まらない、耳の聞こえも悪く、昼夜の感覚も失った、朦朧とした状態に僕はありました。しかしそれは雑念が取り払われた、一種のトランス状態でもあったのです。
 恋しいヴィーナス、愛しのヴィーナス、今すぐ会いたい、毎日話したい、夜どおし抱きしめたい、欲しい、欲しい、君が欲しい、恋しいヴィーナス、愛しのヴィーナス、僕のヴィーナス、僕だけのヴィーナス――。
 ああ、その顔は、もうお気づきですね。はい、僕が彼女をさらいました。僕が彼女を殺しました。殺してしまいました」

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〈第4回へつづく〉

ご予約はこちら▶歌野晶午『Dの殺人事件、まことに恐ろしきは』|KADOKAWA


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