KADOKAWA Group
menu
menu

試し読み

次々と暴かれる六人の罪。犯人の目的は何か――浅倉秋成『六人の噓つきな大学生』試し読み⑦

     4

 アラームが、鳴っていた。
 誰も指摘できずに一分以上が経過してから、ようやく九賀くんが止める。僕らは三回目の投票に移らなければならなかった。
「全部……デマだよね」
 尋ねるのではなく、断定するように言ったのは嶌さんだった。嶌さんは全員が沈黙する会議室で一人立ち上がり、ホワイトボードのマーカーを手に取った。会議の進行役となっていた九賀くんに生気が戻るのを待つように、祈るような視線を送る。
「……そう、デマだ」
 僕は嶌さんに続いて、むなしい言葉を口にする。嶌さんは僕の言葉を受け取って頷き、僕は暗示にかかったふりをするように、また彼女に対して頷く。
 袴田くんに対する告発は、まだしもデマの可能性を十分に考慮できた。袴田くんの所属していた野球部で自殺者が出たのが事実であったとしても、いじめの主犯格が袴田くんであったとは限らない。しかし九賀くんへの告発は違った。印刷されていた書類の印象が、あまりにも重い。幸せな勘違いを挟む隙もない。
 は、本当だったのだ。
 封筒を開けた張本人である森久保くんは、意外にも九賀くんの写真に対してこれといったリアクションは見せなかった。告発の内容をあげつらって悪しざまに語るくらいのことはするのではないかと思っていたのだが、険しい表情でテーブルの上に視線を落とすだけ。犯行直後の罪悪感と達成感がちょうど同じ量だけ訪れて感情が相殺されていたのかもしれないし、九賀くんの評価を地に落とすことに成功したのでこれ以上の攻撃は不要だと判断したのかもしれないし、告発があまりに想定外のものであったために面食らっていたのかもしれない。
「……矢代なんだろ」
 袴田くんが背もたれに体を預けたまま、核心を突くように尋ねた。
「みんな、どう思う? 俺は矢代以外に犯人は考えられないと思ってる」
「いい加減しつこい……」矢代さんはさすがにもう笑っていなかった。不快そうに眉まゆをひそめて、「仮に私が封筒を用意していたとして――っていうか、仮にどんなことをしていたとしても、人殺しよりは明らかにマシでしょ」
「……それ、誰のこと言ってんだよ」
 袴田くんは下品な笑みを浮かべてから、
「――九賀のことか?」
 僕は思わず袴田くんのことを?責した。彼に睨み返されると怯みそうになったが、しかし絶対に折れてはいけない瞬間であった。僕は観葉植物の陰から僕らを狙っているカメラを四台、指を差して示してみせると、
「全部、隣で鴻上さんたちが見てる。録画もされてる。ここまで選考に残してくれた人事の人たちのためにも、お互いのためにも、品性を欠いた発言は、慎むべきだ。矢代さんも」
 袴田くんはカメラのレンズを視線で素早く拾うと、自分の言動を省みるように反省のため息をつき、目を小さく伏せた。矢代さんは目を閉じていた。
「……投票しよう」
 意思ではなく義務感からといった様子で、九賀くんがそう言った。
 乱れた髪を手で整えたのだろう。いくらかましな様子になった九賀くんだったが、顔の青白さは隠せていなかった。目元だけはどうにか厳しく整えている。しかし血液を数リットル抜かれたのではないかと思うほどに一つ一つの動きから繊細さ、そして力強さが失われていた。
 投票の結果は、おおよそ森久保くんの狙いどおりのものとなった。

 ■第三回の投票結果
 ・波多野2票 ・嶌2票 ・九賀1票 ・森久保1票 ・袴田0票 ・矢代0票 
 ■現在までの総得票数
 ・九賀6票 ・波多野4票 ・嶌4票 ・袴田2票 ・矢代1票 ・森久保1票

 二回目の投票では最多の三票を集めていた九賀くんへの票が、わかりやすく減った。ゼロ票にならなかったのは、封筒の中身はデマだと信じ切ると断言した嶌さんのおかげだ。彼女の祈るような一票が九賀くんの首位の座を守ったが、投票タイムはまだ三回残っていた。果たして九賀くんが最後まで首位の座を守り続けられるのかどうかは、怪しいところであった。
 三十分ごとに投票をしようというアイデアは、決して悪いものではなかったと、今でも思う。それでもそれは当然ながら、自然状態で議論が進むことを想定した場合の話であった。
 この投票システムは、かの『封筒』と悪しき相互作用を生みつつあった。投票タイムが来るごとに人気の流れが可視化され、僕らの心に焦りが生まれる。生まれた焦りが封筒に手を出したくなるような空気を作り、開いた封筒の効果が見事にまた可視化されていく――地獄のようなサイクルが完成しつつあった。
 犯人の用意した封筒は、許されない悪魔の道具だ。しかしそんな卑劣なアイテムが結果的に九賀くんの独走を食い止め、僕の背中を押してくれているのは偽れない事実であった。九賀くんの票は、おそらく元には戻らない。すると次点は四票を獲得している僕と嶌さんということになる。ささやかな手応えにあまりにも下品な喜びを感じてしまいそうな自分が、情けなかった。
 ついぞ誰も指摘をしなかったが、今回の投票では九賀くんの得票が減ったことだけではなくもう一つ、奇妙な点があった。封筒に手を出す――という決して褒められるはずではない行為に及んだ森久保くんに、一票入ったのだ。
 入れたのは、矢代さん。
 自分が用意した封筒を上手に活用してくれたご褒美か。そんな勘ぐりをしてしまう自分が、やっぱり情けなく、しかしそれ以上に投票の意味がまったくわからず、不気味であった。票を入れてもらった森久保くんですら彼女の投票に驚いた様子ではあったが、それを咎める権利は誰にもなく、またその理由をただしたいと思うほど、会議室は活発で健全な空気にもなかった。
 残り、約一時間半――まだ議論の時間はたっぷりと残されていた。
「議論に戻ろう……九賀くん」
 僕の言葉に九賀くんが反応する前に、紙を破くような音が室内に響いた。あろうことか、袴田くんが自分の封筒を開こうとしていたのだ。
「何……やってるんだよ」
「こうするしかないだろ、波多野」袴田くんは思いのほか強力だった糊を剝がすのを諦め、封筒の上部をそのまま引きちぎろうとし始める。「俺は犯人が許せない。犯人はたぶん矢代だと思うが、証明する方法はない。ならどうするか……この選考を再び九賀の大好きな『フェア』な状態にするには、答えは一つだけだろ。封筒は全部、。これだけだ」
 胸を撃ち抜かれた気分だった。袴田くんの考えが理解できなかったからではない。むしろその逆で、彼の考えが、彼の立場からすれば、最も合理的で納得のいく意見だと思えてしまったからだ。封筒が二つしか開けられていないからアンフェアなのだ。全部開けられれば、会議室には再びフェアな議論が戻ってくる。
 でも、それは――
「違うだろ……明らかに間違ってる」
「ビビるのはわかるよ、波多野。でも俺からしたらこうする他ないんだよ。もうこうなったら、俺と九賀の内定はないだろ? 挽回するためには、これしかない。反則技を使う選手が出てきたゲームを公正なものに戻そうとするなら、全員が反則できるようにルールを変えるしかないんだ。さっき嶌が言ってたように、封筒を開ける行為は自分の写真の在りかを晒さらしてしまうリスクを伴う。でも残念ながら、すでに封筒を開けられた俺に失うものはない……だろ? この封筒の中に誰の写真が入っているのかはわからないが、これをその『誰か』のために隠匿し続けるほどお人好しにはなれない。俺だって好きでやってるわけじゃないんだ。選考方法が変わるまではここにいる六人……全員で仲よくスピラに入れたらって本気で思ってたよ。お前らのことは嫌いじゃなかった。本当に、本当にな」
「だったら尚更、開けないでくれよ! 同じ目標に向かって進んできた仲間じゃないか。僕らは互いのことを何日も、何週間もかけて、すでに十分に理解できていたじゃないか!」
「理解できてなかっただろうが! だからびっくりしてんだろうがよ!」袴田くんは悔しそうに唇を嚙んだ。「違うか、波多野? 俺が怖いだろ? なあ? 怖くなっちゃっただろ? そんなもんだったんだよ、俺たちの関係は。お前たちに見せていた顔が俺のすべてじゃなかった。それは認めるよ。だから俺も考えを改める。俺に見せていた顔だけが、みんなの顔のすべてじゃない。六人の中には俺みたいなやつがいて、九賀みたいなやつがいて、そしてこんな『封筒』を用意する最低最悪の下衆がいた。そんなもんだったんだよ、俺たちは。とにかく俺は封筒を開ける。中からお前の写真が出てきたらゴメンな」
 嶌さんも袴田くんを止めようとしたが、その気になれば封筒はほんの数秒で開くことができた。中から出てきたのは僕の写真――ではなかった。安堵していることを悟られぬよう一度ぎゅっと目を閉じ、自己嫌悪と悲しみと黒い好奇心の隙間を縫うようにして、テーブルに広げられた紙を覗き見た。

(つづく)


書影

浅倉秋成『六人の噓つきな大学生』
定価: 1,760円(本体1,600円+税)
※画像タップでAmazonページに移動します。


浅倉秋成『六人の噓つきな大学生』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322005000377/


紹介した書籍

関連書籍

MAGAZINES

小説 野性時代

最新号
2025年3月号

2月25日 発売

ダ・ヴィンチ

最新号
2025年3月号

2月6日 発売

怪と幽

最新号
Vol.018

12月10日 発売

ランキング

書籍週間ランキング

1

気になってる人が男じゃなかった VOL.3

著者 新井すみこ

2

はじまりと おわりと はじまりと ―まだ見ぬままになった弟子へ―

著者 川西賢志郎

3

今日もネコ様の圧が強い

著者 うぐいす歌子

4

地雷グリコ

著者 青崎有吾

5

ただ君に幸あらんことを

著者 ニシダ

6

雨の日の心理学 こころのケアがはじまったら

著者 東畑開人

2025年2月17日 - 2025年2月23日 紀伊國屋書店調べ

もっとみる

アクセスランキング

新着コンテンツ

TOP