2020年東京オリンピックのボランティア募集が9月26日13:00~スタートします。このボランティアをめぐって、「ブラックでは」との指摘がSNSから膨らみ、新聞やテレビでも取り上げられるほどになっています。
カドブンでは、ボランティアの募集開始に合わせて、角川新書『ブラックボランティア』(本間龍著)の「はじめに」を公開します。応募の前にぜひご一読ください!
はじめに 酷暑下で展開される未曾有の「やりがい搾取」
開催まであと2年ほどとなった現在でも、2020東京五輪の準備は、上手く進んでいるとは思えない。開催費の暴騰、エンブレム盗用疑惑、新国立競技場建設を巡る混乱、地方自治体からの木材拠出、選手村用地の不当譲渡疑惑などが重なり、祝賀ムードには程遠い。さらには招致活動における賄賂疑惑がブラジル検察に認定されるに至り、開催の大義さえ消失してしまった感がある。
招致時に叫ばれた「復興五輪」のかけ声は、建設業界を中心に、五輪特需に沸く東京への人手と資材の集中を生み、もはや被災地の復興を遅らせていることが明らかになっている。
それでも、開催準備は進んでいく。どれだけ問題があろうと、不名誉になろうと、経済原理に組み込まれたこの巨大商業イベントは止まらない。戦後から連綿と続く、一度動き出したら止まらない公共工事の悪癖と同様である。その中で、私がもっとも大きな問題と考えているのが、本書で扱う「無償ボランティア労働搾取」である。
どのようなイベントも、その現場を支えるスタッフがいなければ成り立たない。野球やサッカーの試合、大小様々なコンサートでは、入場整理や経路誘導、警備、物販、駐車場管理など、その仕事は多岐にわたる。それらの仕事に従事するスタッフは、すべて有給で雇用されている。利益創出を前提とする商業イベントが有給の雇用関係で成り立つことに、疑問を唱える人はいないだろう。
にもかかわらず、同じく巨大な商業イベントである東京五輪が、11万人以上と予想されるボランティアをすべて無償、つまりタダで「使う」ことを前提としているのはなぜなのか。本書はその理不尽を伝え、オリンピックという美名に隠され、搾取される人を1人でも減らしたいと願って記すものだ。
華やかに見える五輪の舞台裏は、膨大な数の無償ボランティアによって支えられている。しかし、そもそもボランティアとは「志願する・自主的な」という意味であり、そこに「無償」という意味はない。であるにもかかわらず、ほとんどの人々がボランティアイコール無償と思っているのは、ボランティアをタダで使いたい側の絶え間ない偽情報の刷り込みによるものだ。
ボランティア学の専門家、山田恒夫氏によれば、そもそもボランティア活動とは、「自発性」「非営利性」「公共性」が中核的特徴だという(『国際ボランティアの世紀』14ページ)。だとすれば、50社(18年6月現在)からなる国内スポンサーから巨額の資金を集め、スポンサーの利益を至上主義とする東京五輪は、ボランティア活動の定義から外れることは明白である。あまりにスポンサー利益を重視し過ぎた結果、2018年の平昌五輪では、アスリートが所属する企業や出身校での壮行会すら公開できない事態が発生したのだ(2章で詳述)。
それほど現在の五輪は非営利の真逆、究極の「営利活動の場」である。まず、五輪の総本山IOC(国際オリンピック委員会)の運営自体が、世界的有名企業からのスポンサー料で成り立っている。
最高ランクのスポンサーであるワールドワイドパートナーは13社(18年5月現在)。これらの企業は、各々5年間で約500億円のスポンサー料を拠出すると言われ、つまり、IOCは五輪がない年でも最低1000億円以上の資金を有しているのだ。IOC委員は全世界で100人しかいないから、どれだけの金満組織か想像に難くない。
今回の東京五輪では、50社のスポンサーから4000億円以上(非公表のため推定)の協賛金を集めていると考えられる。にもかかわらず、ボランティアをタダで使おうとしている。日給1万円を10日間、11万人に支給したとしても110億円にしかならない。いったいいくら浮かそうとしているのか。
私は広告代理店の博報堂で18年間、営業を担当していたため、広告業界の仕組み、お金の流れを理解しているつもりだ。その経験を活かし、これまで原発推進側とメディアの癒着関係や、最近では広告が政治に与える影響、特に電通の役割について調べ、発表してきた。本書では、国―メディア―電通という巨大なトライアングルが国民を謀ろうとする企てを追及してみたい。
私は五輪そのものを否定する立場ではない。4年に一度、世界中の若者が集ってそのトップレベルの技術を競うことに文句があるわけではない。そうではなくその権威を借り、一部の者たちが私腹を肥やし、その手段の一つとしてボランティアを利用しようとしていることに強い疑問を感じているのだ。すでに新聞社などの大手メディアも抱き込まれ、議論されて当然の問題が封殺されようとしている。そんな現在の翼賛体制に異を唱える必要があると考えた。
自分の意思でボランティアに参加するのはもちろん構わない。だが、その舞台裏がどういう仕組みになっているのか知ってから参加を決めても遅くはないのではないか。スポーツ貴族たるJOC(日本オリンピック委員会)と組織委、そして実施を一社独占で担当する電通の社員たちの多くはいずれも年収1000万円以上の高給取りだ。五輪ボランティアがすべて自費参加なのに、彼らは一銭も自腹を切らない。なぜなら、彼らにとってオリンピックとは利潤を得るための「業務」であり、自己犠牲を伴う「おもてなしの場」ではないからだ。
そしてこのボランティア募集は、実は非常に大きなアキレス腱にもなりうる。平昌オリンピックでは2万人のボランティアのうち、待遇に不満を募らせて2000人以上がボイコットしたというが、酷暑の東京大会でも同様のことが起きるかもしれない。そうなると、あらかじめ不測の事態を見込まなければならないから、必要人数はもっと増えるはずだ。
実はわが国の歴史で短期間に大人数のボランティアを集めて稼働させたのは、私が調べた限りでは、98年長野オリンピックの約2万5000人が最高とされている。1964年の東京大会ではまだボランティアという概念がなく、そのため人数の記録もない。
しかし、今回は公式発表されているだけでも、必要人数は11万人である。
オペレーションだけでも想像を絶するが、なんといっても避けられない最大の難関は、夏の酷暑だ。東京五輪は、7月24日の開会式で幕を開ける。それに先んじて予選が22日から始まり、8月9日まで続く。その後のパラリンピックは、8月25日~9月6日に行われる。米国3大ネットワーク(ABC、CBS、NBC)に配慮したせいで真夏の開催が決まったからには、ボランティアの命と健康に負担を強いてでもやり遂げなければならないのだ。そもそもボランティアは労働基準法とは関係なく、休憩その他の規制にまったく縛られない。だがそのようなことが許されていいはずがない。
五輪スポンサーとなった大手メディアは、この根本的問題をほとんど扱わない。数多くのスポーツジャーナリストたちも、この問題を追及すると業界から干されてしまうため、大きな声をあげない。だが、自らの保身に汲々とするその姿勢は、何も知らずにボランティアに応募しようとする多くの人の善意に対する背信行為ではないか。
本書は、酷暑の五輪開催と無償ボランティア募集について、様々な角度から検証していく。五輪利権の構造とボランティア搾取について、いくらかでも判断の材料になれば幸いである。
(このつづきは本編でお読みください)
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◆著者プロフィール)
本間 龍(ほんま りゅう)
1962年生まれ。著述家。1989年、博報堂に入社。2006年に退社するまで営業を担当。その経験をもとに、広告が政治や社会に与える影響、メディアとの癒着などについて追及。原発安全神話がいかにできあがったのかを一連の書籍で明らかにした。最近は、憲法改正の国民投票法に与える広告の影響力について調べ、発表している。著書に『原発広告』『原発広告と地方紙』(ともに亜紀書房)、『原発プロパガンダ』(岩波新書)、『メディアに操作される憲法改正国民投票』(岩波ブックレット)、『広告が憲法を殺す日』(集英社新書、共著)ほか。