本日8月8日発売の「小説 野性時代」2018年9月号では、本城雅人『流浪の大地』の新連載がスタート!
カドブンではこの試し読みを公開いたします。
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調査報道班キャップの那智は伝説の記者と呼ばれた叔父が残した資料を解明するうちゼネコン工事の不正へと近づいていく――。
カジノリゾート建設の闇に記者たちが挑む!
実力派作家、「小説 野性時代」初登場。
プロローグ
中世の邸宅にありそうな観音開きの木製扉の外で、那智紀政は椅子に座って待たされている。
携帯電話で時間を確認した。指定された時刻までまだ二分あるが、那智は十五分前にこの屋敷に到着したので、ずいぶんと長い時間ここにいる気がする。
厚い絨毯が敷き詰められた廊下からは物音ひとつせず、人がいる気配すら感じられなかった。事前に調べたところ、この南麻布の屋敷は、昭和三十年代に日本の商社の役員によって建てられた当時としては珍しい洋館で、その後は政治家や有名スポーツ選手などが住み、今は米国のニューイングランド・リゾート、「NER」とも呼ばれるホテルリゾート会社の所有になっている。
建築当時の外観を残しながら、中は現代風にリフォームされていた。調度品はアンティークで統一されており、壁には印象派の絵画がかけられている。今、那智が座っている場所の真上は吹き抜けで、ステンドグラスを嵌められた天窓から調光された柔らかい陽が差し込んでくる。
ここには同じ東西新聞の調査報道班で、日本初のIR(統合型リゾート)を取材してきた同僚と来た。正面玄関で警備員に「中に入れるのは一人だけです」と止められたため、彼は外で待っている。「誰が来てるのか出口を見張ってるよ」彼はそう言ったが、この屋敷には正面以外にも要人が極秘に訪問できるよう、地下を含めて複数の入り口があるという噂だ。
扉の外で待っているということは、今、NERのイーサン・ロジャース会長は接客中なのだろう。那智は取材したある人物から「情報源に会わせる」と言われ、この住所を指示された。話の流れから推察すれば「情報源=ロジャース会長」なのだろうが、ホテル王、そして現代のカジノ王とも呼ばれるロジャースが、自分たちに情報を流していたとはにわかに信じがたい。
案内してくれた秘書らしき日本人には、通訳の有無を尋ねた。「もちろんいますし、会長は日本語も少しは話されますので心配なさらなくても大丈夫です」と言われた。それでも大物である相手を尊重し、できるだけ英語で話すべきだろう。日常会話くらいなら出来るが、簡単な質問はノートに書いてきた。ノートを開いてもう一度質問事項を確認し、深呼吸をして心を落ち着かせる。
もう一度、時間を見る。矢庭に扉が開いた。ボディーガードにもなりそうな体躯の外国人が出てきて、「カム・イン」と招かれた。
誰も帰らなかったということは最初から来客などなかったのか。室内に入ると、すぐ目の前で濃紺に太い白のストライプが入ったスーツを着たイーサン・ロジャースがほどよく足を開いた姿勢で立ち、出迎えてくれた。
艶のある銀色の髪は緩やかに波を打ち、耳を完全に隠すほど伸びている。口を覆う髭も写真で見た通りだった。
英語で挨拶しようとしたところ、「来ていただきありがとうございます」と少々たどたどしいが、しっかりした日本語で、握手を求められた。
「はじめまして。東西新聞の那智紀政と申します」
日本語で自己紹介し、大きな手のひらを握り返す。
「どうぞ」
イーサン・ロジャースは半身になり、手を広げて促した。
室内はバンケットルームほど広く、中心に豪華なシャンデリアが飾られていた。手前に十席はある一枚板のダイニングテーブルがあり、奥に革の応接セットがある。
応接セットには、灰色のスーツを着た男が背を向けて座っていた。日本人らしきその男の後ろ姿に見覚えがあった。男がゆっくりと立ち上がり、身を翻した。
「あっ」
那智は声を上げた。
この男がスミスだったのか、俺たちの情報提供者だったのか――。
だとしたらあれほどこと細かな情報を得られたのも理解できる。だが意外性の方が強すぎて、すぐには実感が湧かなかった。
第一章 国内IR第一号
カモメの群れが水辺を低く横切っていく。海はわずかに波頭が立っているが、波音も鳥の鳴き声も陸地まで届くことはない。
聞こえてくるのは沖に広がる茫漠とした埋立地に、杭打ち機が打設する金属音だけだった。この現場では今、軟弱な地盤の基礎工事が行われている。
作業小屋から現場を眺めていた新井貴は、ヘルメットを被って外に出た。階段を降りて現場に入ると、作業員の何人かから「こんにちは」と挨拶された。
ここにいる全員が薄茶色の作業服を着ているが、声を掛けてきたのは、この共同企業体現場を仕切るJVスポンサーの鬼束建設の社員たちだ。
工事に携わっている総人員からみれば鬼束建設の社員はほんの一握りで、あとは組成企業である「JVサブ」として出向している他社の社員、もしくは下請けの作業員である。
挨拶した中でも、ヘルメットに現場責任者を示す二本のラインが入った増田達也が、「お疲れ様です、所長」と新井をかつての肩書で呼んだ。
「よしてくれよ、そんな言い方をされたら作業員が普通に仕事をできなくなるじゃないか」
案の定、「所長」と聞いた下請けの社員たちは、急に緊張した面持ちになり、何人かは一息ついていたのをやめて仕事を再開した。
「工程」を守ることは「コスト」「安全」「品質」とともにゼネコン現場の四大原則の一つだが、普段とは異なるペースで仕事をして、あとで不具合が生じれば取り返しがつかなくなる。仕事をする時は集中し、休む時は休む。決められたペースで作業を続けるのが、現場では一番大切なことだ。
「新井所長は自分にとっては永遠に所長ですよ。自分がここまで来られたのは、若手の頃にびしばし鍛えてもらったお陰ですし」
昔と同じ若々しい顔で増田は言った。彼と初めて会ったのは十二年前、新井が所長として中国・上海に赴任した時だ。
上海にはたくさんの部下が派遣された。有名大学の土木科出身者が揃う鬼束建設とあって、優秀な人材が送られてきた。新井は役員に頼み、転職前に勤めていた中堅ゼネコンの亜細亜土木にあった「試用期間制度」を採用してもらった。「赴任した最初の六カ月間は家族を呼ばないでほしい」とホテル暮らしを命じ、海外現場に向いていないとみなした社員は試用期間の間に日本に戻したのだ。
増田はその中でも珍しく、新井が六カ月を待たずに駐在を認めた一人だった。新井の人材評価の基準では、建築知識はそれほど重要ではない。世界に日本の建設技術を知らしめたいという大きな野望を持ち、現場に出たら下請け作業員と気持ちを一つにして建物が出来上がっていく感動を共有できるかどうか……。自分の人生のすべてを、仕事に捧げられる情熱的な人間でなければ、千人以上の下請けが働く現場の統率が取れないし、ましてや日本のゼネコンが海外で戦っていくことはできない。
そうやって上司と部下の信頼関係が出来ている現場は、仕事が滞ることなく進捗し、次の現場に移動してもうまくいく。亜細亜土木時代からマカオやシンガポールで実績を残し、軟弱地盤の専門家として「シールド屋」と呼ばれてきたのは、地盤が弱くて水圧が激しい地下だろうが、逆に硬い岩盤だろうが、確実かつ安全に掘削していける技術者が、自分の下に多くいたからだ。工事の成功は、どれだけ優秀な部下や下請け作業員が集まってくれるかにかかっている。そこまで行くには毎日、着実に作業を積み重ね、達成感によって心を共有していく以外、他に方法はない。
増田が、まだ顔にニキビの跡が残る鬼束建設の若い社員に「ダイスケ」と注意した。彼は下請けの作業員たちの作業を手伝おうとしていた。増田は首を左右に振って、やめるよう促した。何度も注意されているのだろう。ダイスケと呼ばれた社員は手伝うのをやめた。
「一人工をやってどうするって、自分も、新井所長によく注意されましたね」
増田は苦笑いで昔を振り返った。
「俺も亜細亜土木に入社した頃は、先輩にそう注意され、下請けの作業員が困っているのをなぜ手伝ってはいけないのかと疑問に思ったよ」
「所長にもそんな時期があったんですか」
「俺の方が増田より未熟だった。けど仕事を学ぶうちに先輩がなぜ怒るのか分かってきた」
大きな現場になればなるほど、一人が一人分の仕事をしているだけでは工期に間に合わなくなる。ゼネコン社員の役割は下請け作業員を動かすことだ。規模によっては一人で百人、千人を指揮しなくてはならず、理想を言うなら自分が「右」と言えば、下請け全員が一斉に右に移動するくらいの統率力が求められる。
「所長から言われた言葉は他にもよく使わせてもらってます」
「なんだよ、恥ずかしいことなら勘弁してくれよ」
「ベイビーですよ。『ベイビーはちゃんと育ってるか』って」
聞いた途端、耳たぶが赤くなった。
(このつづきは、「小説 野性時代」2018年9月号でお楽しみいただけます。)
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