Paraviにて好評配信中の「SPECサーガ完結編 SICK'S 恕乃抄」。7月24日には本作品のノベライズ『SICK'S 恕乃抄』が刊行されました。発売を記念して、「カドブン」にて冒頭部分の試し読みを公開いたします。映像と小説、ふたつの世界に広がる「SICK'S」ワールドをお楽しみください。
これは、いかなる者のDNAであろうか。
善きものであろうか。
あるいは、悪しきものであろうか。
美しい螺旋を描くそれがギュルギュルと動きはじめ、そのある部分が、いままさに覚醒したかのように光を放っている。
呪いと怨嗟は、螺旋を描きながら破滅の未来へと続いていく。
そしてまた、あの悲劇が繰り返されようとしていた――。
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ドゥゥゥゥン!!
夜中というにはまだ少し早い時刻、都心の巨大複合都市に爆発音が轟いた。
江戸時代に埋め立てられた土地の奥深くで、何かが起きたのだろうか。そうではない。地上で大爆発が起きたのだ。
夜景のきれいなホテルや洒落たレストランでの食事、あるいは観劇やショッピングなどで週末の夜を楽しく過ごし、そろそろ帰途につこうとしていた人々が、まるでポップコーンの粒が弾けるように吹っ飛んだ。
間髪を容れず、超高層ビルが爆発する。
崩壊したビルから落下する、コンクリートの塊やガラスの破片。逃げ惑う人たちの悲鳴や怒声がけたたましく飛び交う中、再びの轟音。
ミシミシミシ、グァングァングァン、ドガーン!!
背の高いタワーマンションがぽっきり折れた。まるでお辞儀でもするように、向かいのビルの真ん中に頭からメリメリとめり込んでいく。
路上の車がドゴォォンと勢いよく火を吹いて次々と宙に舞い、地面に向かって弾丸さながらに落下する。
近代的な街は火の海となり、たちまち阿鼻叫喚の地獄絵図となった。
その燃え盛る炎に照らされて、フード付きの黒いマントを羽織った血塗れの女が、瓦礫の中からよろよろと立ち上がった。
ゆっくりと開いた目の中に炎が映って――いや、ちがう。
オッドアイ。右目が、赤く光っているのだ。
その虹彩の色は、朱でも紅でもない。「血」の赤さだ。
彼女の肢体を、何かユラユラとした幽気のような青いものが包んでいる。
背後で、車が爆音を立てて燃え上がった。
その女の正面に立ちはだかるように、銃を構えた自衛隊と機動隊の隊員たちが取り囲んでいる。
「構えろ!」
隊長が号令をかけた。
しかし、赤い右目の女が怯む様子はない。
「オマエラ、全員死ニタイカ」
地獄絵図に相応しい、身の毛のよだつような嗄れ声だ。
「撃て!!」
軽快な発射音と同時に、サブマシンガンの銃口が一斉に火を吹いた。
女の体を覆う異様なオーラが激しく揺らいだ。
「ギャア~~~~~~~~~~~!!」
女がおぞましい叫び声を発しながら両手を大きく振り回し、空を薙ぎ払う。
次の瞬間、異変が起きた。
パシパシパシパシ! 着弾音とともに、女ではなく隊員たちが、全身から血飛沫を上げて倒れていくではないか。
女が空気を操り、弾をすべて撥ね返したのだ。
紛うことなき、スペックホルダーだ。
呻くような死の吐息を吐きながら、百戦錬磨の男たちがあっけなく絶命していく。
「カハハハハハ……」
その時、ふいに時間が静止した。
女は真顔に戻り、じろりと横を向いた。
いつの間にか、黒いセーラー服の少女が入り込んでいた。おかっぱ頭の美少女だ。右手に抱えた黒い達磨の腹には、『地獄』と墨書きしてある。
少女は指を鳴らした左手を上げたまま、女のほうを見てニヤリとした。
「……ニノマエイトぉ!」
女が恐ろしい形相で叫ぶ。
イトと呼ばれた少女は、ウージングアウトしてきたらしい。物理定数が、ほんの少しちがう世界。こちらの世界からは見えないが、あちらの世界からは、マジックミラーのようにこちらの世界が見えている。
「お前に、この世界を破滅させる権利はない」
イトが、居丈高な口調で言い放った。
「ケンリ? ダレガ決メタ?」
イトは答えず、地獄達磨を空中に置くと、両方の親指と人差し指でL字形を作って合わせ、顔の前に四角い枠を出現させた。
「リバース」
そう言うと一方を軸にしてクルンと指を捻り、今度は縦に四角い枠を作る。
すると、またしても異変が起きた。
倒れた隊員たちの肉体から銃弾が弾き出され、死人が次々と目覚めて起き上がっていくのだ。その光景は、映像を巻き戻しているかのようである。
放たれた弾は、すべて元の銃に収まった。
イトがパチンと指を鳴らす。
ヴォン!
再び世界に時が満ち、時間が動きだした。
隊員たちは数分前とまったく同じ体勢で、女に向かって銃を構えている。
それが怒りのメーターのように、女の体を覆うオーラがまた激しく揺らめいた。
「カ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!」
カッと見開いた赤い目が、隊員たちが思わず後ずさるほどの酷薄な青に変化した。
バイアイ――片青眼だ。そして、オーラが赤に転じる。
「無駄だよ。こいつらを何度殺しても、私が、そのたびに蘇らせる」
イトが余裕たっぷりに言う。たったいまやってみせたように、指で作った枠の中の時間を逆転させるのだ。
女が「チ」と舌打ちして、憎々しげにイトを睨みつける。
「マタ性懲リモナク歴史ヲ闇ノ中ニ引キズリ込ムツモリ?」
「パンドラの箱は、もう閉じた。二度と開くことはない」
「ドコマデモ自分勝手ナ女ダナ!」
女が怒鳴る。
「もう飽き飽きなんだよ、お前らにつき合ってんの!」
イトも怒鳴り返す。
「……ヤッパ仕方ナイ。オ前カラ、決着ヲツケル」
「決着!?」
イトが嘲笑する。
「私のスペックはリバース。運命を巻き戻す。私があんたに負けることはないけどね」
「確カニ、アタシノスペックニハ限界ガアル。デモ、ホリックハ不可能ヲ可能ニスル」
不敵な笑みが女の赤い唇に浮かんだ。
が、イトは「はぁ!?」と呆れたように目を剝いた。
「今、ホリックつった? ははっ、お前がホリックを持ってるはずがねえっつーの。テヘペロ」
イトが地獄達磨を顔の位置に抱え上げた。
女の怒りが増幅し、さらにオーラが荒立つ。
イトの周りにも白いオーラがうねり、地獄達磨が血を噴いて開眼した。
「ウウウウ……テヘペロ上等ダ」
女が両手を開いて前方に突き出す。
対するイトは両足を開いて腰を落とし、開眼した地獄達磨を足の間に構えた。
「アアアアアアアアア」
女が左右の手を高く天に突き上げた。上空で、ぎゅるぎゅるぎゅると猛烈な勢いで空気が渦巻いていく。
「怯むな!」
隊長が発破をかけるが、隊員たちの足はその場から動けない。
「ウウウウウウウウアアアアアアアアア」
空気の渦玉と女の唸り声がひと際大きくなった、その時。
スーツにグレイのコートを羽織り、口ひげとあごひげを生やした壮年の男が駆けてきた。
「御厨!! やめろ!」
次の瞬間、イトが勢いをつけて地獄達磨を天高く放り上げた。両眼がカッと光る。
ぶつかりあう二人のオーラに挟まれて、地獄達磨が粉砕された。
爆風に押されて尻もちをついたスーツの男と隊員たちは、驚愕と畏怖の表情を貼り付けたまま身じろぎもできない。
バチバチと音を立てて火花が降りしきる中、青い右目の女とイトは面と向かい睨み合っている。
イトが右手の人差し指で天を、左手の人差し指で地を指して薄く笑った。
女の青い目が、凍りついた湖の冷酷さでイトを見つめていた。