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試し読み

【新刊試し読み】 栗原康 『何ものにも縛られないための政治学』

カネにも、人間関係にも、国家にも、縛られない。
世間の強制の理屈を破戒する!
『村に火をつけ 白痴になれ 伊藤野枝伝』で旋風を巻き起こし、2017年には池田晶子記念「わたくし、つまりNobody賞」を受賞するなど、いま大きな注目を集めている政治学者・栗原康さんの待望の新作『何ものにも縛られないための政治学 権力の脱構成』が、7月20日(金)に発売となります。
道徳を声高に唱える人間ほどまったく非道徳的なセクハラ・パワハラを繰り返し、社会的地位がある者ほど問われるべき責任から逃げ出し、かつ偉そうにそっくり返っている現代。
“自由で民主主義的な社会”であるはずなのに、なぜ私たちはまったく自由を感じられないのか? 息苦しくなるほどに、束縛を感じてしまうのはなぜなのか? 
栗原さんの書下ろし最新作は、いま社会に蔓延している【強制の理屈】に対して、「支配されない状態を目指す」アナキズムの思想家たちの評伝を織り交ぜながら、現代社会の支配のルールを破る【無強制の政治学】を提起する、非常に刺激的な論考です。
発売までもう少し! 栗原節を待ちきれない皆様のために、『カドブン』では「はじめに」(長いので一部省略させていただいています。書籍をお楽しみに)と「目次」を先行公開します。ぜひご覧ください!!

はじめに

革命とはサルがオナニーするのとおなじことだ
たえず逆むきの時間を生きろ

 ところで、サルの伝説というのをご存じだろうか。サルはいちどオナニーをおぼえたら、狂ったようにマスをかきはじめ、餓死するまでやりつづけてしまうという、あれである。すごすぎだ。もちろん、これはあくまで伝説であって事実ではない。サルだってオナニーくらいはするが、べつに死にやしないんだ。じゃあ、なんでそんなことがいわれているのかというと、これは、わたしたち人間の側の中一病とでもいえばいいだろうか。おぼえたてのオナニーにふけり、一日に五回も一〇回も、血ヘドをはいても、力つきて死にそうになっても、ウラァッとなんどもなんどもくりかえしてしまう。その熱狂する身体をサルにみたてているのだ。
 どうだろう? これ大人になると、なかなかできないんじゃないだろうか。だいたいみんな、明日は仕事があるからといって、ほどよく性欲をみたそうとする。だから、そんな大人たちからしたら、毎朝、学校にいかなきゃいけないのに、なにかにとりつかれたかのようにムダに体力をすりへらし、精液唾液をたれながしていた中一のころというのは、もう人間でありながら人間じゃないというか、それをとびこえてサルとしかいいようがないんだ。得体のしれないなにかになっちまっている。ちなみに、ほんもののサルはどうかというと、人間よりもちょっとかっこいい。たまに動物園なんかで、ピャアッとマスをかいているやつがいるのだが、やっと精液をだしおえたかとおもったら、ああ終わった、死んだといわんばかりにグッタリとしてたおれこんでしまう。ピクリともしない。で、さいしょはひやかしでみていた人間たちも、おいおいだいじょうぶかと心配になってのぞきこむと、まってましたといわんばかりにパッとおきあがり、人間めがけて自分の精液をハッシ、ハッシとなげつけるのだ。ギャアア!!! サルの圧勝だ。
 よく考えてみると、人間というのはよわいもので、いつもまわりの視線を気にしてしまう。よりよい明日のために、しっかりがんばって生きていきましょう、みんなにみられていますよと。いちどそうおもわされると、遊びも酒もセックスも、明日のことを考えてひかえめにやりましょう、ストレス解消になるくらいでいきましょうとなってしまう。明日のために、将来のために、いまを犠牲にさせられるのだ。でも、中一のサルたちはちがう。明日なんてどうなってもいい。いま、いま、いま。やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ。いちど時間のながれをたちきって、ムダに体力をつかいはたし、かんぜんに燃えつきるまでやってしまう。そうだ、死ぬまでやってしまえ。死んでもやってしまえ。死んでからが勝負なんだァと。
 そして、いちどでも限界をこえたその身体は、まったくあたらしいものに生まれかわっている。ああ、ひとはこんな快楽もあじわえるのかと、ぜんぜんちがう感覚にかわっているのだ。しかも、その一瞬は永遠であるかのようにもかんじられ、なんどもなんどもおもいだしてはくりかえし、おなじことをやろうとしてしまう。もしかしたら、いやいやそれはダメだ、ハシタナイことなんだっていってくるやつらもいるかもしれない。でも、そんなことをいわれたら、ほんもののサルたちがだまっちゃいない。てめえら、みるんじゃねえ。全力で排泄はいせつ物をなげつける。ハッシ! ハッシ! 食らえ、この支配者ども。なんかぜんぶご破算というか、おしまいという気がする。サルに明日はありゃしない。みるのもみられるのも、もうまっぴらごめんだ。死んだってかまいやしない、ああ死んだァっておもったその瞬間から、真の自由がはじまっていく。たとえ生命はうばえても、自由はけっしてうばえやしない。
 さて、なんでこんなはなしをしたのかというと、本書では、革命のはなしがしたいとおもったからだ。なんだよ、とつぜん革命って、どこのはなしだよとおもったひともいるかもしれないが、革命はそんなにとおい場所のはなしでも、とおい未来のはなしでもない。革命はすでにおこっている。日本でもおきているし、これからだって、なんどもなんどもおきるだろう。革命はかならずおきるのだ。あんまりむずかしく考えなくていいとおもう。サル、おおあばれ。動物園を破壊して、機能停止におちいらせる。すげえでかいことをやるかもしれないし、すげえちっこいことしかしないかもしれない。ほんのつかの間のことかもしれないし、数時間のことかも、数日間、数か月間のことかもしれない。なんであれ、身のまわりの権力がいっきに停止した状態のことだといえば、しっているぞというひとはけっこうおおいんじゃないだろうか。だれにもなんにも統治されない。
 古代から、国家というのは合法的なヤクザみたいなもんであって、家でも田畑でも工場でも、ムリやりそれなしじゃ食っていけない状況をつくっておいて、オレたちがいるからおまえらは生きていけるんだ、じゃあはたらけ、明日もはたらけ、そしてカネはらえといって、税をむしりとるわけだが、そういうのがパーンッとはじけてしまう、失効してしまうわけだ。ぜんぶご破算、おしまいだ。でも、そこまでいくと、こうおもえるようになっている。もう明日なんてどうでもいい。オレはなんにもしばられないぞ。なんでもできる、なんにでもなれる。うれしい、たのしい、きもちいい。うおおお、オレすごい。この感覚というのは、ふだんの時間の感覚がふっとんだということもあるのだろうか、その一瞬が永遠のようにもかんじられ、死ぬまでなんどもなんどもおなじことをもとめてしまう。こういってもいいんじゃないかとおもう。革命とはサルがオナニーするのとおなじことだ。ハッシ! ハッシ! くりかえしやれ。たえず逆むきの時間を生きろ。

(中略)

 はたらくために工場街をととのえましょう、オフィス街をととのえましょう。それにあわせて、住宅街をととのえましょう。そのちかくにはスーパーや飲食店があるといいですね、衣服も薬品も買えるといいですね、スポーツができたり、映画もみられたりするとさらにいいですね。ショッピングモールなんかもあると、ぜんぶそろっていてサイコーですね。ああ、そのためには、それらをつなぐ道路や鉄道がないといけないですね、電気やガス、水道、インターネットがつながってないといけないですね。インフラだ。ひとの生きかたが社会的必要性に還元されるといってわかるだろうか。わたしたちは食べていくために、住むために、食料品をゲットするために、友だちとたのしむために、会社ではたらかなくちゃいけない、マイホームを購入しなくちゃいけない、アパートを借りなくちゃいけない、モールでショッピングをしなくちゃいけない、レジャー施設にいかなくちゃいけないとおもわされている。生きるということが、インフラをつくった国家や企業にカネをしはらうことと同義になってしまっているのだ。
 けっきょくのところカネなのだが、はじめからドーンとおっきな施設をつくられてしまうと、ひとはインフラなしじゃ生きていけない、それをちゃんとつかえるのが生きていくということだ、善良な市民として生きるということだとおもってしまう。これ、おっかないのは、逆のこともいえてしまうということだ。道路を暴走したり、万引きや強盗はもちろんのこと、フリーター、ニート、ホームレス、カネがなくて、まともにインフラにアクセスできない人たちも、犯罪者みたいなあつかいをうけるということだ。おまえらは税金ドロボウなんだ、社会不適合者なんだ。ムダだよ、ジャマだよ、死ねよ、この役たたずと。チクショウ。権力はいまやこの世界のインフラのうちに存在する。

障害物は駆除してわすれろ
たとえ、それが人間であったとしても

 さらにおっかないのは、そういう発想が便利さや、ちょっとした解放感とむすびついているということだ。たとえば、車にのって道路にでたとする。すると瞬時にして、自分の身体が路上のルールにくみこまれてしまう。もうなにも考えずに、体がかってにうごくのだ。アクセルをふんではしらせて、赤、青、黄色と信号の色に反応する。法定速度よりもちょっととばして、ほどよく車間距離をたもってはしり、ビュンビュンはしっていると、なんだかとってもきもちいい。快適だ。で、たまにトロトロはしっている車にでくわすと、むやみやたらとムカついてしまう。ペッペッペー!!! クラクションをならして、てめえ、ちんたらはしってんじゃねえぞとさけんではしる。わたしは数年前まで運転ができなかったので、だいたいつきあっていた子にのせてもらっていたのだが、経験上、どんなにやさしい子でも車にのるとひとがらがかわる。ほんとうだ。
 ちなみに、事故で渋滞したりすると、さらにイライラがとまらなくなる。なに事故ってんだよとか、意味不明なことをがなりたてるのだ。これ、ほんとうはおかしいのってわかるだろうか。だって、ひとが死んでいるのだから。ふつうだったら悲しいだけだ。もちろん統計がとられて、事故がおおいところでは防止策として、ちかくに見通しのよい道路がつくられたりするのだが、これは死者を悼んでとか、そういうことじゃない。市民のイライラ解消のためである。げんきんなものであたらしい道路をはしりはじめると、みんなスムーズな交通に酔いしれる。ああ、なんて自由なんだ、なんて解放的なんだと。道路の目的というのは、物流でも通勤でも、目的地までのひとのながれを最速化することだとおもうのだが、それがすすめばすすむほど、ひとがひととしての感覚をうしなってしまう。よりよい交通を、よりよいインフラを。そのためだったら、障害物は駆除してわすれろ。たとえ、それが人間であったとしても。おっかない。ディストピアだ。
 これだけだと車にのらないひとにはわからないかもしれないので、もうひとつだけ、スーパーのはなしもしておこう。スーパーの場合、目的としているのは商品のながれを最速化することだ。買うほうはなるたけ手短に終わらせたいし、売るほうは食料品とかすぐにダメになっちゃうから、はやく売れてほしいわけである。なかにはいると超便利。入口から出口まで、あるくながれがきまっていて、おおくは反時計まわりだ。右手でとりやすくなっている。そしてグルッとまわると、野菜から生魚、精肉、乳製品とひととおり手にはいるようになっている。なんかレストランのコース料理の順番みたいだ。きょうのメインはなににしようか、ウキウキだ。
 しかも、スーパーには窓も時計もありゃしない。じっさいには、けっこう時間がかかっていても、それをかんじないようになっている。あとはもう車とおなじことだ。しぜんとカゴを荷車にのせて、赤、青、黄色、信号みたいに値段をみて、パッパッパと商品をいれてあるいていく。コロコロ、コロコロころがして、スムーズにながれりゃ、きもちいい。ああ快適だ。もちろん、いらないモノがいっぱいあったりして、ほしいものをさがすのにてまどることだってある。客のなかにはトロトロしていたり、逆もどりしてきたりするやつがいて、ぶつかってムカつくことだってあるだろう。ダメだといっているのに子どもがいらんもんをとってきて、カゴにいれようとしてきたら、もうどなりちらしてけちらすしかない。ちええっ、ちええっ。ようやくレジだ。なのに、これがまたむちゃくちゃ混んでいて、イライラしてしまうときもある。いま何時?
 こうなってくると、もはや足のわるそうなお年寄りが目にはいっていても、だいじょうぶかとか、子どもはつかれているんじゃないかとか、そんな心配をするよゆうはどこにもなくなっている。はやくながれろ、きもちよくなれ。ただそれだけだ。しかも、なんどもかよっているうちに、そんなイライラもなくなってくる。客はなれてくるとロボットみたいに、自動的にほしいものだけとれるようになってくるし、店は売れゆきをチェックして、売れるものだけをおくようになっていく。あなたがほしいもの、まえもって準備しておきましょうと。さらに、さらにだ。イオンとか大型スーパーになると、セルフレジなるものが登場して、自分で支払いをすませてかえれるようになっている。客もはたらけ、いそいでかえれと。わたしなんかは、タダばたらきさせられているようでイヤなのだが、ひとによっては、なんてスムーズなんだ、なんて快適なんだ、ここにはオレがほしいものだけおいてある、しかもならばなくていい、こりゃたまらんとおもうのだろう。
 もちろん、これでいらないといわれて、すげえたくさんの生産者がきられたり、レジうちがクビになったりしているのだが、しったこっちゃない。だって、きもちいいのだから。たぶん、はたらくほうもそれでいいくらいにおもっているのだろう。いつきられようが、いつ大量発注があろうが、いつでも対応できるように準備しておかなくちゃいけない。セルフレジがこわれたら、いつでもなおしにかけつけよう。商品のながれを最速化させろ。労働っていうのは、なにかをつくることに意味があるんじゃない、ながれをまもることに意味があるんだ。よりよい交通を、よりよいインフラを。障害物は駆除してわすれろ。たとえ、それが人間であったとしても。なによりも、ながれをとめるのがわるいことだ。ひととしてやっちゃいけない。インフラをまもれ、死んでもまもれ。それが強迫観念みたいになって、この身体をつきうごかしていく。ああ、もううんざりだ。

革命のさきに権力はいらない、
いつだって、ぜんぶご破算からはじめよう

 やっぱりインフラはおっかない。道路にしても、スーパーにしても、わたしたちがのぞんでいるものが「消費者のニーズ」に還元されて、はじめからきまってしまっている。だいじなのは商品のながれだ。はやくながれろ、きもちよくなれ。じっさい、なにも考えなくてもほしいものが手にはいるわけだから、こんなにラクチンなことはない。なれればなれるほど、自分がどうやって生きるのか、その想像力を手ばなしてしまう。インフラなしじゃ生きていけないとおもうから、そのためだったらなにをしても、なにをされてもかまわない。たえず監視カメラでとられていたってかまわないし、どこにいったか、なにを買ったか、個人情報がすべてつつぬけになってしまってもかまわない。不審者をおいだそう。障害物を駆除しよう。ムダだよ、ジャマだよ、死ねよ、この役たたずと。もっと快適に、もっとハッピーに。もちろんこれ、自分にも負い目みたいになってかえってくるわけで、ながれにのれなきゃ人生のおわりだ。はやくいけ、はやくかせげ。はやく買え、はやくかえれ。いそげ、いそげ、いそげ。いそがないと駆除されるとおもわされる。これは恐怖か快感か。もう肉体的にも、精神的にもまいってしまう。鬼リアルだ。
 でも、さっきもいったように、ほんとは道っていうのは、なににつかってもいいわけだ。イスやテーブルをだして、お茶でもしていたっていいわけだし、囲碁や将棋をしていたっていい、なべをやっていたっていい、酒を飲んでいたっていい、好きなことをさけび、念仏でもとなえ、デモをしたっていいものである。ひとはどんだけはやくはしれるのか、バイクでも車でもむちゃくちゃに爆走してみたっていい。アクセルをふみこんだその足はもう人間じゃない、獣の足だ。ギャアア、ギャアア!!! いきさきもわからぬまま、ただたださけんではしる。うおお、はええ。ひとってのは、こんなはしりをすることもできたのか、オレすごいと。食料をゲットするんだっておなじことだ。獣になったつもりで、山にわけいったっていいんだし、自分でつくったっていい、他人にわけてもらったっていい、みんなでだしあったっていい。スーパーの余りものをもらったっていい、まわりに飢えているひとでもいたら、店にのりこんでかっぱらってしまったっていい。みんなでわけろ、相互扶助。ひとは生きようとおもえば、なんとでもなるのだ。なんでもできる、なんにでもなれる。オレすごい。
 もちろん、いまはインフラ権力がつよすぎて、なかなかそうおもえなくなっている。でも、自分がのぞむとのぞまないにかかわらず、そういうのがバンバンぶっこわれて、あれれ、インフラなしでもなんとかなるぞ、なんでもできる、なんにでもなれる、ああオレすごいと、そういうのに気づかされてしまうときがある。革命状態だ。そして、なんとなくみんなそのくらいはできるとわかっているのだ。だけどざんねんながら、それはいっときのこと。例外状態にすぎないとみなされる。なんでかというとフランス革命でもロシア革命でも、たいてい革命と名づけられているものは、あたらしい権力をたてておわってしまっているからだ。旧来の秩序はぶっこわれました。でも、このままじゃ無秩序です、いまは過渡期にすぎません。そのさきに、あたらしい秩序をつくりましょう。わたしたちがみなさんに、よりよいインフラを提供しますよと。そういって、あたらしい憲法を制定して、自分たちの権力をうちたてる。けっきょく支配だ、収奪だ。
 はっきりと確認しておかなくちゃいけない。あたらしい権力がたちあがった時点で、それはもう革命でもなんでもないんだと。だって、権力なのだから。真に革命的であるということは、権力なしでもやっていけるということだ、インフラなしでも生きていけるということだ。きっと、これまでの革命では、それだけでやっていくための準備ができていなかったんだとおもう。インフラをにぎり、あたらしい権力をたちあげようとする連中をだまらせることができなかったのだ。統治をせおうな。あらゆる権力を脱構成しよう。君主はいらない、政治家はいらない、議会はいらない、選挙はいらない、憲法はいらない、インフラはいらない、オリンピックはいらない。革命のさきに権力はいらない。いつだって、ぜんぶご破算からはじめよう。それをさせまいとするやつらがいるならば、やってやるしかない。オレをみるんじゃねえ、みるんじゃねえ、みるんじゃねえぞォ! みずからの精液唾液をなげつけろ。ハッシ! ハッシ! とめられたって、ききやしない。サルはなんどでも、なんどでもおなじことをくりかえす。どこからともなくきこえてくるよ、みーんなーでなーかよーく、ポポポポーン!!! あの暗闇の記憶がよみがえる。革命とは、サルがオナニーするのとおなじことだ。

この都市のそこかしこに山をつくれ

 さて本書では、過去のおっきな革命なんかにもふれながら、いまいったことをじっくり考えていきたいとおもっている。ひとをカネでふるいにかけて、支払い能力のないやつをいじめぬくこの社会。いまはちょっとくらいカネがあったとしても、つぎは自分の番かもしれないとあせらされて、ひたすらカネにおいたてられるこの社会。おいつめられる、せっぱつまる。くるしい、かなしい、きもちわるい。そんな状態がずっとつづいているのに、しかたがないよねとかいわれているのが現状だ。わたしたちは、そんな社会をぶちぬくことができるだろうか。もちろん、これを意識的にやるのはたいへんなことだ。もしも権力がインフラにあるんだとしたら、そのなかで生きているわたしたちも、自分の生活を、自分自身をうちくだかなくちゃいけないのだから。それこそ、ぜんぶご破算になるまで。自己テロルだ。
 それに、おもてだってインフラ権力にあらがおうとすると、きまってでてくるのが、警察、軍隊、自警団だ。メタクソに弾圧される。おっかない。しかも、がんばってたたかってたたかって、かりに現政権が転覆されたとしても、代わりの政権がインフラをにぎってしまう。さらにたかまるインフラ権力。わたしたちは、それでもといいつづけることができるだろうか。カネ、カネ、カネって、うるせえんだよ。ただしい生きかたなんてない。ムダな生きかただってかまわない、なんの役にもたたなくたっていい。ちぇっ、勝手にしやがれ。オレはなんにもしたがわねえぞ、だれにもなんにも統治されないと。そういいつづけるのが本書でとりあげるアナキストとよばれる人たちだ。まずは、過去のアナキストからまなべることをまなんでみよう。
 ちなみに、アナキズムというのは、語源からいうと、「支配されない状態」をめざすということだ。ああやって生きていくのが常識ですよとか、こうやって生きていくのがかしこいことなんですよとか、そんなたわごと、どうでもいいね。おもうぞんぶん生きたいように生きるんだ。それこそ圧倒的なバカになって、いつでもゼロから、なんにもとらわれずに、全身全霊、好きかってに生きるんだ。そうやって生きようとするのがアナキストだ。もちろん、ちょっとよんでもらえばわかるかもしれないが、たいていのアナキストは失敗に失敗をかさねていて、ただ貧乏のまま一生をおえたり、なにかしようとおもったやさきに警察にパクられてしまったり、ちょっとあばれたらつかまってしまって流刑になったり、軍隊に血祭りにあげられたりしている。
 でも、それでも、なんどでもなんどでもやっちまうのがアナキストってもんだ。だって、それが生きるってことなんだから。ただのいちどでもインフラ権力にとらわれずに、常識なんかにとらわれずに生きることができたなら、そのひとはもうやみつきだ。いざとなったらなんとでもなる、なんでもできる、なんにでもなれる、オレすごい、もっとやれる、もっともっとやれる、死んでもやりたい、死んでからもやりたい。うれしい、たのしい、きもちいい。生きたまま死ね。もちろん、かんたんにつかまりたくはないし、ぶっ殺されたくもない。いたいのもこわいのも、まっぴらごめんだ。だったらやれることはただひとつ。この都市のそこかしこに山をつくれ。権力者からみえなくなれ、不可視になっちまえ。トンズラこそが最大の武器。たまに山からおりてきて、ウキャキャっていいながら、壊してさわいで燃やしてあばれろ。そしていちもくさんに逃げるんだ。革命とは純然たる脱構成のことである。ぼくといっしょに山にのぼろう。きみはサルか、ハオ兄弟!


目次

はじめに

革命とはサルがオナニーするのとおなじことだ たえず逆むきの時間を生きろ / 電気がとまれば、暗闇がかがやく 現世に生きながらにして、あの世に往け / 安倍晋三よりも、道路がだいじ / 障害物は駆除してわすれろ たとえ、それが人間であったとしても / 革命のさきに権力はいらない、いつだって、ぜんぶご破算からはじめよう / この都市のそこかしこに山をつくれ

第一章 社会契約っていつしたの?

ぼくは毎日、過去の天気予報をみています / 一票、一票って、うるせえんだよ / いいよ、選挙無条件ボイコット! / 未来のない運動をやろう 友情とは、コミュニケーションを爆破するということだ / 議会制民主主義とはなにか?──奴隷のくせして、主人のまねごと / 社会契約なんてむすんだことはない、むすんだことにさせられているだけなんだ / 人間の本性はなにか?──ああ、あああっ!!! うおおおっ!!! / 原始人なめんな / 肉は天下のまわりもの シカ人間は空をとぶ、おら、つよくなりてえ / 財産とは奴隷である / 原始人は自由にさきだつ

第二章 自由をぶっとばせ

われわれは都会の原始人だ / 窃盗をするということは、奴隷を解放するのとおなじことだ 義をもってやれ!!! / 負けて、負けて、また負けて──マックス・シュティルナーの人生 / 政治的自由主義──ギャア!!! / 社会的自由主義──マジ、陰険 / 人道的自由主義──なにがクリエイティブだ、このやろう / この世界のすべてがクソなんだ どうでもいいね、どうでもいいね、どうでもいいね / 小さくまえへならえ──新自由主義の精神 / クソしてねやがれ、それが不法占拠の精神だ / 地域アートの役割とはなにか? なにもするな! / 月夜の釜合戦 カマをほろうぜ、好兄弟!

第三章 革命はただのっかるものだ

動物なめんな、さあ生くぞ! / おまえが舵をとれ──バクーニンのパリ・コミューン論 / ルイズの青春──ケケケッ! / ヤカラ上等、友だち、だいじ やりたい、モテたい、バッチこい! / ああ、ああ、ああああああああああ!!!──ルイ・オーギュスト・ブランキの生涯 / やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ 宇宙の命はノーフューチャー / よっ、肝っ玉姉ちゃん! / チクショウ、なんて日だ! / ファック、ファック、人口反対! / あっ、革命がおこってら / アニキッ!アニキッ!アニキ!──パリ・コミューン宣言 / 自分を統治したいんじゃない、だれにも統治されたくないんだ / よわい、よわすぎる! / おら、石油放火女ペトロルーズになりてえ / もしわたしを生かしておかれるなら、復讐の叫びをあげることをやめないでしょう / 人生最高のパンを食らう──てめえら、腹がへってんだろう? ヤッチマイナ!

第四章 革命はどうやっちゃいけないのか

こん棒をもったサルの群れ / 革命家は革命を殺す ギロチン、ギロチンでございます / メシだ、メシだよ、メシ、メシ、メシだ 革命、革命でございます、よーしっ! / おしゃべりはもうたくさんだ 全員暴走、秩序紊乱 / ああ、革命はおわりもうした 粛清、粛清でございます、アーメン! / ツァラトゥストラはこういった みんな警察がキライ / モスクワのクロちゃん / 水におちた犬はうて マフノ、三〇人で三〇〇〇人を討つ / シャラクセエ、黙れこのオタンコナス てめえの腹をかっさばき、肝をえぐりだして食っちまうぞ / 逃げろ、逃げろ、逃げろ トンズラ、すなわち攻撃だ、逃げろ! / よわきをたすけ、つよきをくじき、身をよせるものあらば、貴賤をとわず、すくいの手をさしのべる 主人づらしたやつらは、みな殺しだ / あらゆる支配にファックユー、てめえの掟にアッカンベー アナーキー、アナーキー、パルチザン! / フリーダム!

第五章 ゼロ憲法を宣言する

いつも心に盗んだバイクを / 孤独の歌をうたえ、やっせんぼ! / グスタフ・ランダウアー / いくぜ、戦闘的退却主義 負ける気しかしねえ、チョレイ! / ファックに生きろ、オレ、野蛮人 オレも!オレも!オレも! / 革命とは魔界転生である なんどでも、なんどでも化けてみやがれ / 国民を捨てろ、階級を捨てろ、自分を捨てろ 捨てたその自分さえ捨ててしまえ / 脳天壊了ノーテンフアイラ、脳天壊了 統治をせおうな、ファイラ! / いくぜ、レーテ共和国 わたしはカオスが好きだ / 生きたまま死ね / 神を突破せよ、この世界を罷免してやれ さけべ、アナーキー!

おわりに

主要参考文献

凡例 引用文は読みやすさを考慮して現代表記とし、必要におうじて、漢字をひらがなにあらためている。



(このつづきは本編でお楽しみください)
※掲載しているすべてのコンテンツの無断複写・転載を禁じます。


栗原康(くりはら・やすし)
1979年、埼玉県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科・博士後期課程満期退学。東北芸術工科大学非常勤講師。専門はアナキズム研究。2017年池田晶子記念「わたくし、つまりNobody賞」受賞。


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