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試し読み

【新刊試し読み】張江泰之(「ザ・ノンフィクション」チーフプロデューサー)『人殺しの息子と呼ばれて』

昨年10月に日曜昼のドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』で2回に分けて放送され、後編では番組平均視聴率10.0%を獲得(ビデオリサーチ調べ、関東地区)するなど大きな反響を呼んだ「人殺しの息子と呼ばれて」。本作品は事件加害者の長男が、事件の記憶やその後の凄絶な人生を音声加工なしで語るという衝撃的なものでしたが、その勇気や彼の人生と向き合う姿には全国から大きな賞賛が寄せられました。その内容が今回、彼の後見人などへの取材も追加され、完全版として書籍化。その序章部分をカドブンで公開いたします。

著者・張江泰之氏のトークイベントが決定! この事件を追い続けベストセラーとなった『消された一家』の著者である豊田氏を迎え、番組の意義やその反響について語ります。
日  時|2017年7月25日(水)19:00開始 18:45開場
会  場|紀伊國屋書店新宿本店9階 イベントスペース
参加方法|参加には整理券(先着50名)が必要です。
詳しくはこちらのURLをご参照ください。
https://www.kinokuniya.co.jp/c/store/Shinjuku-Main-Store/20180701150000.html

序章 生きている価値

親父と似ているところがある。それが怖い……

「認めたくないけど、親父に似ているんだと思います。たとえば人と関わるとき、その人と会話をしている自分とは別のところからそれを眺めている自分がいる。自分でそれがものすごく気分が悪いんですね。相手に感情をぶつけていたとすれば、それを冷めた目で見ている。本当にそれでいいのか? 間違っていないか? そんなふうに問いかけてくるわけじゃないけど、自分の中にもうひとり、自分がいるような感覚なんです」
 彼──〝人殺しの息子〟と呼ばれた二十四歳の青年──はそう言った。
 もちろん実名は出せない。だからといって記号では呼びたくないので、この本の中では基本的に〝彼〟と呼ばせてもらう。
 彼は続けた。
「人の弱いところも、すごくわかるんです。この人はたぶん、こういうところでつまずいて苦しんどるやろうなとか、こうしてほしいんかなとか。こういう話を聞かされたときにはこう返したほうがいいんかなとかって。そんなふうに考える自分が、親父とかぶるんですよ。親父に似ていることでの恐怖心はもちろんあります。同じことをしてしまうんやないかなって。そうするつもりはなくても、どこかでリミッターが外れてしまうことが絶対にないとはいえない。一個の失敗を隠すために二個、三個と失敗を重ねていくんかなって思った時期もあったし、そういうところで葛藤するんです」
 彼が背負っているものの大きさにあらためて戦慄させられる言葉だ。

 彼の父親が起こした事件──史上、類をみないほど残虐な犯罪──がどんなものだったかを知る人であれば、これらの言葉の重たさがわかるはずだ。
 特殊な能力というわけではないが、人の心を読み、論理的な思考の組み立てができる明晰な頭脳とでもいえばいいだろうか。
 冷静すぎる目を持つ、もうひとりの自分……。その存在ゆえの不安である。
 彼は言う。
「あいつはそれを自分のいいように使ったけれど、俺はもちろんそれをする気はないです。自分が損をしてでも、人のために何かをしたい気持ちがあります。自分の中に冷めた自分がもうひとりいるということは、認めたくないけど認めて、上手に付き合っていくしかないんかなあって思っているんです」
 本当は口にしたくないはずの葛藤が凝縮された言葉といえる。
〝人殺しの息子〟であることは、誰よりも彼自身が認め、だからこそ恐怖と不安を感じているのにちがいない。
 彼は合計十時間に及ぶインタビューに応じて、言葉を選びながらも本音で答えてくれた。
 彼との〝始まり〟からすれば、とても想像できないことだった。
 彼との始まり……。
 それは一本の電話であり、私がつくった番組に対する苦情だった。
「あなたはあの番組の責任者の方ですか? 俺は、松永太と緒方純子の長男です」と。

私がつくった番組へのクレーム

 正直にいえば、あまり出たくはない電話だった。
 何を目的とした電話なのか、意図がわからず、どんなことを言われるのか想像もできなかったからだ。
 松永太と緒方純子の息子を名乗る人物から電話があることは事前に聞いていた。私が電話を受ける前日にフジテレビに電話をかけてきていたからだ。会社の記録によれば、二〇一七年六月十三日、二十時四十分となっている。
 その電話に出た担当者によると、最初に彼は「遺族の許可もなくテレビでおもしろおかしく事件を取り上げるのはやめてほしい。こうしてたびたび取り上げられることによって関係者が調べ上げられるんです」と言ってきたそうだ。
 その四日前となる六月九日に放送した金曜プレミアム『追跡!平成オンナの大事件』に対するクレームである。
「関係者の方ですか?」と電話受付の担当者が聞くと、ためらわずに「息子です」と答えたそうだ。そこで担当者は、番組責任者である私に回したほうがいいと判断して内線電話を使ってつなごうとしたが、私は不在だった。そのため、翌日、もう一度、電話をかけ直してほしいとお願いしていたわけだ。
「声は低めでおとなしそうな方でした。いたずらではなさそうでした」とのことだった。

「ようやく電話に出てくれましたね」
 第一声はそんな言葉だった。
「あの番組のプロデューサーを担当した張江ですが、どちらさまですか?」
「ずっとかけ続けていたんですよ、なかなかつかまらないから……。テレビの人って、逃げ回って、電話に出てくれない人たちばかりなのかと思いました」
 六月十四日、彼がかけてきた二度目の電話にも私は出られなかった。会議などが立て込んでいたためだ。それも一度ではなく、二度か三度、続いたようだ。
 私にかわって電話に出た番組デスクは「なぜ、プロデューサーは出てくれないのかの一点張りでした」と私に伝えた。そのためこうした第一声になったのだろう。
「逃げ回るなんて……、そんなことはしません」
 こちらがそう言うと、あらためて彼は名乗った。
「俺は、松永太と緒方純子の長男なんです」と。
 二人の逮捕から十五年──。電話の相手がその長男であるなら二十四歳になっているはずだった。メディアに出ることはいっさいなく、これまでは消息不明に近かった。孤独に生きていたとは想像されるが、どこに住んでいるかといった情報はまったくなかった。それだけに相手が本当に二人の長男なのかという疑いがなかったわけではない。だが、それを確かめるすべはなく、こちらの疑問を口にする猶予もなかった。
 彼は切り出した。
「あなたに言いたいことがたくさんあります」
「なんでしょう?」
「なぜフジテレビは、あんな放送をしたんですか。納得がいきません。事件からずいぶん時間が経って、ようやく風化しつつあるというのに……。おかげで俺のことがネット上で叩かれていて困っています」
「というと……」
「ふざけないでください。ネット上では、俺のことを人殺しの息子なのだから、ろくでもない奴にちがいないだとか、消えてなくなれ、とか書かれています。どうしてくれるのですか?」
 はっきりとした口調であり、攻撃的でもあった。言いたいことを告げればそれで終わりというタイプでもなさそうだった。
 午前十一時頃の電話だったので、一般的な仕事をしているのであれば、長電話はしにくい時間帯のはずだが、なかなか電話を切ろうともしなかった。
 どんなところから電話をかけているのか?
 背後の音を聴こうと耳を傾けてみても、特別な音は聞こえなかった。
 私のオフィスは、エアコンが高めの温度設定になっているので、暑がりの私の額には汗がにじんできていて、手にしているスマートフォンの画面もじっとりしてきた。
 放送が気に入らなかったのはわかるが、彼が最終的に何を求めているのか。
 その真意がなかなか摑めなかった。
 攻撃的な言葉を口にすることはあったが、理路整然と彼は話し続けた。その冷静さからも、電話の向こうの彼に、私はどこかでその父親、松永太の姿を重ねていた。

『追跡!平成オンナの大事件』

 松永太が主犯格となったのは、世にいう「北九州連続監禁殺人事件」である。
 あまりに凄惨な事件であるため、当時から報道規制が敷かれていた。
 私が企画の立案から制作まで全責任を負うチーフプロデューサーとして制作した『追跡!平成オンナの大事件』ではこの事件を扱っていた。タブーに挑んだのにも近い番組だった。それも金曜ゴールデンタイムでのことだ。
 金曜の夜といえば、関東では圧倒的にTBSが強く、『爆報!THEフライデー』『ぴったんこカン・カン』『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』という三番組が視聴率で二桁を獲得することが多い。視聴者層としてF3層(五十代以上の女性)が強く、フジテレビとしても指をくわえたままでいるわけにはいかなかった。そこで午後八時からの二時間に金曜プレミアムという枠を設け、ジャンルにとらわれずさまざまな特集を組んでいた。その枠内で私が立ち上げた企画が『追跡!平成オンナの大事件』だった。
 徹底した追跡取材によって、なぜ女たちが凶悪犯罪に手を染めてしまったのかという真相を追い、犯人たちの素顔に迫るのが企画の狙いだった。
 その第一回は、前年の十一月に放送していた。そこで扱っていたのは木嶋佳苗死刑囚の「首都圏連続不審死事件」、上田美由紀死刑囚の「鳥取連続不審死事件」、下村早苗受刑者の「大阪二児餓死事件」、大滝ちぐさ受刑者の「大阪東住吉幼児六年遺棄事件」だった。
 一般の方にも木嶋佳苗死刑囚が起こした首都圏連続不審死事件などは印象が強いのではないだろうか。この事件は二〇〇七年から二〇〇九年にかけて起きており、「婚活」や「練炭」といったキーワードが時代を象徴していた。
「北九州連続監禁殺人事件」は、この企画の第二回で扱った。
 主犯格となるのは松永太のほうだが、この事件ではその内縁の妻である緒方純子の果たした役割も小さくなかった。彼女に何があったのかを追わない限り、この事件の全貌は見えてこない。それが第二回の放送でこの事件を軸に据えた理由だった。
 このときは他に、麻薬密輸の罪によって十年半を獄中で過ごすことになった本多千香さんの「メルボルン事件」なども扱っていた。〝史上最悪の冤罪〟ともいわれている事件である。
 一回目の放送が「残虐きわまりない女性犯罪者たち」にスポットを当てていたのに対し、この第二回は「悲劇の女たち」というテーマにこだわった。
〝実行犯〟である緒方純子を「悲劇の女」と括っていいのかと疑問をもつ人もいるかもしれない。しかし、もし松永太に出会っていなかったら、緒方純子は犯罪などとはいっさい関わりのない人生を歩んでいた可能性が高かった。そういう意味での〝悲劇の女〟だ。
 この放送の視聴率は八・六%にとどまったが、TBSの『ぴったんこカン・カンスペシャル』のほかに、日本テレビは金曜ロードSHOW!で『となりのトトロ』を放送していたのだから善戦といえなくもなかった。それだけ関心は高かったわけだ。

犯人の子供の人生までは考えなかったのか?

 彼からの電話に話を戻す。
「俺は、ネット上で、人殺しの息子なんだから、生きている価値がないとまで言われているんです。どうしてくれるんですか。番組の放送によって、子供の人生がどうなるかといったことは考えなかったんですか?」
 そう言われると、返す言葉がなかった。
「なぜ、あなたは、番組であの事件を取り上げると決めたとき、息子である俺に取材しようと考えなかったのですか? それは、取材者の怠慢じゃないですか」
 それが彼が言いたかったことのひとつだったのだと思う。
「テレビ番組で事件を取り上げるなら、俺を探す努力をするべきだったのではないか」、「テレビ局であれば、俺がどこにいるかは調べられたのではないか」
 そんな言い方もしていた。
 彼の言い分はもっともであり、私はただ聞いているしかなかった。番組の意義などについて話したとしても、それで納得してもらえるとは思えなかった。言い訳じみた言葉を口にしないで、彼の主張に耳を傾け続けた。
 そのためなのか、電話の途中で彼は「あなたも大変な仕事をしていますね。夜は眠れていますか?」といった言葉も口にした。
 もちろん、私に同情しているばかりではなく、こうも言っている。
「約束してもらえますか? もう二度とフジテレビではあの事件を取り上げないことを」
 これもまた、彼が望んだことのひとつだったのだろう。しかし、テレビ局の人間として、そうした要求には応じられない。
「それはできません。たとえば、あなたのお父さんの死刑が執行されたら、当然、ニュースになり、我々はそれを伝えることになる。報道機関として、そういう約束はできないんです」
 こんなやり取りをしながら、これは一度の電話で済む話ではなさそうだとも感じていた。
 彼はこうして要求を突きつけてはいたが、こちらがそれを飲まない以上、落としどころをどこにもっていくのか。
 彼の心が読めなかったが、彼自身もまた出口を見つけられていなかったのではないかと思う。簡単に妥協点が見つけられるような問題ではなかった。
 話をしながら私は〝彼はいまどこにいるのか? 仕事をしているのだとすればどんな仕事をしているのか? これまでどんな人生を歩んできたのか?〟といったことを考えていた。本名を聞きたい気持ちもあったが、口にはできなかった。そうしたひとつひとつを尋ねていけば取材のようになってしまうので、相手を身構えさせてしまうからだ。
 拒否反応を示されたくはなかった。かといって、直接会って話をしたい、あるいは謝りたいと言ったなら、「俺の顔が見たいだけではないのか」と返されかねない。私としては手足を縛られていながら話をしているような感覚だった。
 その電話はおそらく二時間くらい続いたはずだ。
 そのあいだ、彼は慎重に言葉を選び続け、声を荒げるようなこともなかった。
 ただ、その電話をどれだけ続けていても答えを出せるはずがなかった。
 そこで私は、自分の携帯電話の番号を伝えて、逃げるつもりはないことを示した。
 最初の電話はそうして終えている。

大人は信用できない。必ず裏切るから

 翌日、やはり午前十一時くらいだったと思う。私のスマートフォンが鳴り、画面には、見たことのない番号が表示された。
「もしもし……」と電話に出ると、「俺です」と返してきたのは彼だった。
 彼は、自分の携帯電話の番号を非通知にしないで電話をかけてきたわけなので、そのことにまず驚いた。
 私に電話番号を知られてもかまわないというのだろうか。
 十五年間、消息を絶ったようになり、いっさいメディアに登場することはなかったのだから、そのこと自体が信じがたかった。
 昨日の今日でどんな話になるのだろうかと私は内心、身構えた。
 だが、彼の雰囲気は前日とはずいぶん違っていて、見えない壁が取り払われているようにも感じられた。前日のようなクレームを口にすることもなく、少しずつとはいえ、自分のことを話しはじめたのだ。
 いまも北九州市内に住んでいて、サラリーマンとして会社に勤務しているといったことなどだ。特別なことを打ち明けられたわけではないので、どこまで私を信用してくれているのかはわからなかった。
 こちらから質問するようなことはしないで、やはり私は聞き役に徹していた。
 彼の話に対して、大変だったね、などというような安易な言葉を返すこともしなかった。
 松永太と緒方純子のあいだに生まれた子が、両親が逮捕されてから十五年、どのような日々を送ってきたのか?
 その現実を知らない人間が想像で何かをいうことは許されないはずだからだ。
 この日の電話も二時間ほど続いた。
 そして電話を切ろうとしたとき、彼は言った。
「俺の名前は……といって、漢字ではこう書くんだ。今度から呼び捨てでいいから名前で呼んでほしい」
 メディアの内部にいる私に名前を明かしたことで、世間にそれが広まってしまう可能性は常に残る。彼がそれを考えなかったはずはないのだから、ものすごい勇気がいることだったにちがいない。
 それだけに、名前を聞かされたこちらは緊張を感じた。
 彼自身がそうして本名を口にしてくれたのだから、Aなどと記号化したり、仮名をつけたりすることはとてもできない。そのための「彼」だ。

 次の日も、その次の日も彼から電話はあった。
 電話に出られなかったときはこちらからかけ直した。番組に対するクレームではなくなっていて、事件に関係ない話をすることもあった。どうしてテレビ局で働く道を選んだのか、などと質問されることもあった。
 彼との距離は縮まってきているのだろうか。
 そんなふうにも感じられたが、彼の言葉によって、それは思い上がりだと知らされた。
 彼は言った。
「でも、大人は信用できない。必ず裏切るから」
 そして続けた。
「張江さんもそうにちがいない」
 ずいぶん打ち解けてくれたようでも、やはり私は信用できない大人のひとりであったわけだ。想像で何かを言いたくはないが、彼の心の闇の深さを垣間見た気がした。
 大人は信用できない──。
 そんな壁があったところが彼と私のスタート地点だった。




(このつづきは本編でお楽しみください)
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張江 泰之(はりえ・やすゆき)
フジテレビ情報制作局情報企画開発センター専任局次長。1967年、北海道生まれ。90年、NHK入局。報道番組のディレクターとして、『クローズアップ現代』や『NHKスペシャル』を担当。2004年に放送した『NHKスペシャル「調査報告 日本道路公団~借金30兆円・膨張の軌跡~」』で文化庁芸術祭優秀賞受賞など受賞多数。05年、NHKを退局し、フジテレビ入社。『とくダネ!』やゴールデン帯の大型特番を担当し、現在は、『ザ・ノンフィクション』のチーフプロデューサー。17年に放送された「人殺しの息子と呼ばれて」では加害者の長男を10時間にわたってインタビューし、キーマンとして関わった。


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