第3回角川文庫キャラクター小説大賞〈大賞〉を受賞しデビューした問乃みさきによる新作『27時の怪談師』。発売を記念して試し読みを公開します。幽霊あり、血しぶきあり、怪夢あり……なのに読後、涙&超ハッピーになれます! ぜひお楽しみください。
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すべての生と死に
#1 そして誰もいなくなったら棲師と怪談師がやって来た
だけどその時、僕の背中がふいに、ごくごく
そうだ、忘れていた。
目の前にあるのはただの壁だ。そう、真っ白いだけのただの壁。のはずなのに、じっと目を凝らしていると、ぼんやりとした影のような染みが浮かび上がるように見えてきた。この部屋に
でも大丈夫。次の住人はきっと、この影に気付くことはないだろう。それくらい、
「短い間だったけど……」
一礼した後、差し出した右手を広げ、
「
床の上に三枚のコインを重ねた。
「
半年間、一度も口をきくことがなかったシャイな同居人は、やっぱり何も言わなかった。でも、それでいい。別に何か期待していたわけじゃないし、今このタイミングでいきなり話しかけられたりしたら、それはそれで困ってしまう。
改めて、右足から棺に入り、裏に取り付けた取っ手を引いて蓋を閉めた。決して外から開かないよう、中からしっかり
目を閉じた。夜の森に似た匂いがゆっくりと沈んでいく木棺の闇の中で、僕は深い眠りに落ちる。
……なんて、やっぱり無理だった。棺の中で、僕は外の物音に聴覚を研ぎ澄ましていた。人の声がする度に、胸のドラムがテンポを上げていく。そのドキドキが、今にも口から飛び出しそうだ。
今回で何度目だっけ。十余年の年月の中で繰り返し経験してきたこの奇妙なイベントを、真っ暗闇で指折り数える。きっと何度経験しても、慣れることはないんだろうな。そう思うと自然とため息が漏れて、僕は慌てて口を押さえた。
その直後、ドンという音と衝撃で僕の身体は棺の中で跳ね上がり、勢い棺の天井に思い切り頭を打ち付けた。いでッ! 出そうになったその声を、すんでのところで
前回のヤツらも相当に
でも、これを乗り越えれば、半年は安全に暮らすことができる。僕がつくり上げた
さっさとしろよ、こんな気味悪いとこ、早いとこずらかろうぜ。リーダー野郎のその声を最後に、外がしんと静かになった。そこからゆっくり、心の中で百まで数え、棺の蓋の鍵を外した。取っ手に手を掛け、蓋を持ち上げて外に出る。今日からここが僕の
ん? 蓋を持ち上げ……られなかった。もう一度、ぐいと力を込めて押し上げる。やっぱり同じ。開かないどころか、びくとも蓋が持ち上がらない。
心拍数が急上昇した。棺の中にどっくどっくと僕の鼓動が響き渡る。落ち着け、落ち着け。言いながら、あの時のことを思い出した。
奇術師の力量はそう、何かしらのトラブルが起きた時にこそ問われるものだ。偉大なる奇術師アレキサンダー・ハーマンは、タネと仕掛けをたんまり仕込んだ上着と間違え、マネージャーの上着を着てきたことに気付いた時、ステージを降りることなくその場にあった道具を使って、そのピンチを乗り切っている。手元にあったのはカードだけ。それを手から手へと飛ばすフラリッシュを演じて見せると、ハーマンは続いて二階のバルコニー席まで届くほどの華麗なカード投げを披露して、観客から拍手喝さいを浴びたと伝えられている。
大丈夫だ、慌てるな。大きく深呼吸しながら自分に言い聞かせた。それにこの状況は、前にも一度経験してる。今回もきっとそうだ。ヤツらがこの棺の上に、何か重たいものを積み重ねてったに違いない。あれほど「荷物は全て重ねずに平置きで」と、依頼時のメールに書いておいたのに!
「ゴメーン、上に座ってた。だって、まさかこの中に人がいるって思わないじゃん」
目の前に足らしきものがあった。二度三度、目をしばたいて、下から上へと目でたどる。スタッズがちりばめられたラバーソウルに、細身のブラックジーンズ。24色の絵の具ぜんぶで描いたようなケバケバしいTシャツを着て、透け透けの
そして、その
「オッドアイ……初めて見た」
思わず声に出していた。吸い寄せられるように見とれてしまった。よく見ると、金色の方の瞳はその奥が太陽みたいに赤く燃え、銀色の瞳の奥には青い夜空が広がっている。
「偽モンに決まってんじゃん。カラコンだよ、色付きコンタクトレンズ。仕事柄、こういうのが大事だったりもするわけ。ほら、キャラ設定ってやつ?」
へらへらと言う声に、僕はようやく我に返った。何年ぶりになるだろう、人間が目の前に立っている。まだ死んでない、生きている人間が!
ギャーッ! 悲鳴を上げ、慌てて棺の蓋をバタンと閉めた。すかさず鍵をガチャガチャ鳴らす。けど、手が震えてうまく掛けることができなかった。仕方なく、開けられないよう取っ手をギュッと引いたまま、棺の中から大声で叫ぶ。
「だ、誰だ! なんでここにいる! どうやって入ってきた! 今すぐ出てけッ!」
だけど、返ってきたのは僕の必死さとは真逆の、生あくび混じりの返事だった。
「とむらうという漢字に片仮名で
「いーッ、今すぐ出てけ! 出て行かないと警察を呼ぶぞ! そ、それを止める権利は、そっちにはないからな!」
言いながら、頭の中に「弔ナイト」の文字を
「あ、怪談師ってのは、怖い話を語って聞かせるアレのこと。警察かあ。あんま有難くはないけど、呼びたきゃどうぞ。俺に止める権利はないんでしょ」
ぐっ……と何も言えなくなった。警察を呼ぼうにも、
「自殺とか殺人事件で、心理的
怪談師の声が
「ってさ、もしかしてオッサン、あんたのこと? 誰もその姿を見たことないって、この棺みたいなウッドベンチっての? この中に潜んで引っ越してんじゃ、そりゃそうだ」
言いながら噴き出して、怪談師はひゃらひゃらと
「だったら何だよ! ここは今日から僕の家だ! 今すぐ出てけ!」
情けなくも僕の叫びは途中から、見事に声がひっくり返った。うわああ、カッコ悪い! これ以上笑われるのが怖くて、両耳を
「分かったよ」
僕の予想を裏切って、笑い声は急に止んだ。聞こえてきたのはやけに神妙な声だった。いやいや
「でも、その前にひとつだけ頼みがある。このマンションに
約束する、と言ったきり、怪談師は僕の答えを待って黙り込んだ。僕は即決した。この不法侵入者の願いを聞いてやろう。それで出てってくれるなら、簡単な話じゃないか。
「分かった。じゃあ教えてあげるよ。このマンションに憑いている女の霊が言うことには……」
「あ、ちょっと待った」
怪談師のチャラついた声が僕の話を遮った。
「うん、やっぱ先に話しとく。俺がここに来た理由」
そんなのいいから、とっとと帰ってくれ! の言葉を僕が繰り出すより早く、棺の板一枚を隔てた向こうで怪談師が口を開いた。
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