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試し読み

【新刊試し読み】怪談師が、事故物件に棲む霊能力者を訪ねてやってきた理由とは――。『27時の怪談師』②

第3回角川文庫キャラクター小説大賞〈大賞〉を受賞しデビューした問乃みさきによる新作『27時の怪談師』。発売を記念して試し読みを公開します。幽霊あり、血しぶきあり、怪夢あり……なのに読後、涙&超ハッピーになれます! ぜひお楽しみください。
>>第1回へ
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「八月最後の週末だった」
 さっきとは別人みたいな真剣な声だった。その声で、怪談師は慎重に、ぽつりぽつりと語り始めた。
「毎月、最終週のウィークエンドに都内で開かれているライブがある。でも、皆がイメージするライブと少し違うのは、ロックバンドなんかの音楽は前座で、メインは怪談。それも、実話怪談を楽しむライブイベントだってとこ」
 実話怪談。いわゆる「本当にあった怖い話」ってやつか。怪談と聞いて僕がパッと浮かぶのは、教科書に載っていた『雨月物語』や、『ばんちよう皿屋敷』なんかの古典怪談。日本各地の怪談をしゆうしゆうして物語にまとめたいずみくもことラフカディオ・ハーンの名や、民俗学の原点と言われる『とお物語』という、本やテレビで知った怖い話の方だった。
 ほとんどの人たちは子供の頃や青春時代に、「本当にあった怖い話」で友達同士や部活の仲間と盛り上がったんだろうけど、僕はその輪に加わることなく大人になった。それでも、学校の怪談の王道であるトイレのなんとかさんや、なんちゃらトンネルの怪、タクシー運転手が語る、乗せたはずのない全身ずぶれの女の話なんかの有名なパターンは雑誌やテレビで見聞きして、いくつかは知っていた。どれも、都市伝説的なさんくささがぷんぷん漂う話ばかりだ。
 この男はきっと、そんなたわいもない怪談話を披露しあう輪の中心にいたんだろうな。苦労知らずの、何もかもに恵まれた人気者。いかにもそんな感じだ。
 怪談師の話を聞きながら、僕の生活圏に生きた人間が侵入してきただけでも耐えられないのに、よりによって一番苦手なタイプが……と忌々しい気持ちになった。
「その八月のライブで、シャックせきぐちという名の芸人が、ある実話怪談を語った。シャックはピンの芸人だけど、平成の小泉八雲なんて紹介されて怪談本も出している怪談蒐集家でもある。その夜は新ネタを下ろすというんで、大トリでステージに上がったんだ。
 ところが、その話を語り終えた瞬間、彼は胃の辺りを押さえて苦しみ始めた。そして、うめき声をあげてのどもときむしりだしたかと思うと、血しぶきを噴き上げるみたいに吐血した。俺はステージそでに居合わせたんだけど、まるで火山の大噴火を見てるみたいだったよ。その後、血の海に倒れ込んで、シャックは動かなくなった」
 想像して身震いした。でも半面、どこか芝居じみてる気もした。実話怪談のライブで新作を初披露した後、語りが鮮血を大噴射して倒れるなんて出来過ぎだ。僕のそんな思いはあながちハズレでもなかったようで、棺の向こうの声はこう続けた。
「客席はやんやの大盛り上がり。そりゃそうだよね。怪談ライブであんな派手に血を吐いてステージで倒れたら、誰だってちょっとやり過ぎた演出だってそう思う」
 でも、と声が言い継いだ。幕を下ろしたその後も、シャック赤口は起き上がることはなかったのだと。
「救急車で運ばれて、今もまだ入院してる。体は何も問題ないらしい。やられたのはここ……ハートの方。シャックによれば、体に異変が起きた時、目の前に髪の長い女の霊が現れたって。恐ろしい顔で女がにらんでいたらしい。あのステージで披露した実話怪談の幽霊なんじゃないかって、今もシャックはデカイ体を震わせておびえてる。あの、怖い話が三度の飯より好きだったような男がね」
 ずっと芝居を……? にしては長すぎるなと、その考えは頭の隅に追いやった。もう十月下旬だ。大噴火吐血ライブから二カ月近く経っている。
「その夜から、シャックはしやべることができなくなった。声が出ないらしい。見舞いに行ったら、震える手でこれを書いて渡してきた」
 一瞬、棺の蓋を開けかけた自分の手を慌てて止めた。怪談師は僕の意向をすぐに了解したようで、そのメモを読み上げ始めた。
「あの話には手を出すな。あの話は呪われてる。見ただろう? 血を吐いた時、一緒に出てきた針の山を。……俺は黙って首を振ったよ。血の海と化したステージを、俺は直接この目で見てる。針なんて何もなかった。一本も、ね」
 針の山……針千本のーます。指切りげんまんの、あの歌が脳裏をよぎる。その残響が頭の中から消えないうちに、話は第二章に突入した。まだ続きがあるらしい。
「一カ月後、九月最終週の怪談ライブで、別の語り部が同じ話をった。独自に取材して少しアレンジを加えてたけど、同じ場所の同じ怪異にまつわる実話怪談だ。
 シャックの鼻を明かしてやりたかったんだろうね。百舌もずはらミドリとシャック赤口はもともと夫婦で、離婚してからは犬猿の仲だから。何事もなく語ってみせて、呪いだなんて言ってるシャックを馬鹿にするつもりだったんだろ。だけど……」
「また血まみれの針千本を吐いたってわけだ」
 棺の中でアッと口をつぐんだけれど、とっくに口から飛び出した後だった。だけど怪談師の声は僕のろうばいなど素通りで、いや、と即座に否定した。
「断末魔のような叫び声をあげながら血を吐いて倒れ、それから声が出なくなった。ここまではシャックと同じ。あ、異変が起きた時に長い髪の女の霊が現れたのもね。でも、百舌原ミドリ子はこう訴えてる。自分の舌が何かに引きずり出されて、真ん中から真っ二つに裂かれたって。彼女の目には、今もまだ舌は裂かれたままらしい。俺にはそうは見えなかったけど」
 スプリットタン──舌に切り込みを入れ、ふたまたの蛇の舌のように変える身体改造。あれは好きでやってるんだろうけど、いきなり自分の舌を引きずり出されてチョキンとやられたりしたら、僕ならその場でショック死だ。
「針千本と、二つに裂かれた二枚舌。共通するのはさて何だ」
 噓吐き。声に出さずに答えた。
「実話怪談ライブの夜に連続して起きた、このふたつの怪奇現象。こんな怪異が起きたのは、それはきっと……」
 次の言葉を待つ。と、強い声が言い切った。
真実まことが語られてないからさ」
 まこと……真実。じゃあ、その真実は一体……と考えてハッとした。シャック赤口と百舌原ミドリ子が語った実話怪談の舞台ってまさか────
「で、俺はその真実まことを調べるために、このマンションへやって来たワケ。はいッ、丸っとご理解いただいたところで、さっきの続き。このマンションに憑いている女の霊が言うことには?」
「言えるわけないだろッ」
 ひつぎふたをバン!と開け、立ち上がって叫んでいた。
「自在に霊と交信できて、どんな悪霊をもたちどころにあの世へ送るすごうでの霊能者で通称・棲師!? ナニそれ! 僕は小五で引きこもり、十八で家族から見放され、その時から誰とも会わずに自分一人で生きていく道を模索し続けて、ようやくひとつのライフスタイルにたどり着いた。それが、事故物件から事故物件へと渡っていくことで住まいと報酬を得るというこの仕事だっただけなんですけど!」
 息が上がっていた。床に胡坐あぐらをかいた怪談師が、ぽかんと僕を見上げていた。
「マジ?」
「マジですけど何か?」
 全開になった蓋に手を掛け、再び棺に引きこもるために取っ手を引いた。でも、その蓋をしっかと怪談師の手が止めた。
「霊と交信できるって噓なんだ?」
 怪談師は言いながら、ぐいと顔を寄せてきた。目の前に、オッドアイのふたつの。その追及から逃げ出すように、棺の中から転がり出た。隠れる場所を求めて部屋を見回す。ほら、やっぱりアイツら積み上げてる! 荷物は全て平置きでって、しつこくメールに書いておいたのに! そんなクレームを頭の中にき散らしながら、乱雑に積み上げられた段ボール箱の裏に避難した。身を隠してからさっきの問いに返事をかえす。
「霊と交信できるなんて、僕はそんなこと言ってない!」
 本当だった。霊と交信できるだなんて、僕はひと言も言ってない。棲師だなんて、もちろん名乗ったこともない。
「完全に引きこもりながらどう生計を立てていけばいいのか。答えを探してネットの海を漂っていた時、なんだかヤバそうな求人サイトで見つけたのが、住人募集の文字だった。半年間、ただ住むだけの簡単なお仕事です。家賃・光熱費タダ。報酬・月収二十万円。※過去に事件が起きた部屋です。事件の詳細はお問い合わせください」
 段ボール箱でできた小さな積み木の街の路地裏で、告白しながらひざを抱えた。
「飛びついた。そりゃ最初は怖かったけど、別に何も起こらなかったし。外の世界に比べたら天国だった。僕はようやく安住の地を手に入れたんだと思ったよ。でも、契約期間の終わりが近づいてきて、僕はまた行き場を失うことに……ならなかったんだな、これが」
 その時のことを思い出すと泣きそうな気持ちになった。あの時、僕は生まれて初めて、もしかしたら神様はいるのかもしれないって信じかけたくらいだ。
「契約期間の半年が過ぎるのを待たずに、同じ職種の仕事が舞い込んできた。うちが抱えてる事故物件もぜひ!とメールが届いたんだ。その後は口コミで、途切れることなく仕事が舞い込んだ」
 なんで? 怪談師のクエスチョンが飛んできた。
「なんで引きこもりになんか」
 あっけらかんとした口調だった。引きこもりに? お前に分かるわけがないだろうな、の代わりにぼそりと「答えたくない」と答える。
「でもさ、いくら何でも全く人と会わないなんて無理じゃない?」
 WHYなぜの次はHOWいかにを放り投げてきた、その声との距離がきちんと保たれていることを確認しながら僕は答える。
「不可能じゃない。そりゃあ最初は無理だったけど、それを可能にするシステムをだんだんと構築していったから」
「システム?」
 予想していたオウム返しだ。
「今やネット社会だからね。仕事を引き受ける時に雇い主への条件として、部屋のドアのすぐ横に僕専用の宅配ボックスを置かせてもらってる」
 ああ、なんか邪魔なのあったな、なんて怪談師が言うのを無視して先を急ぐ。
「買い物は全てネット注文、受け取りは宅配ボックス。昔は映画館やレンタルビデオ屋に行けないのが悲しかったけど、今じゃ映画もドラマもネット配信で家に居ながらいくらでも観れる。本だってネットでポチればすぐに届くし、電子書籍もあるしね。
 ゴミ出しだけは長い間ストレスだったけど、ゴミが出ないように野菜は皮まで食べるとか生活全てを見直してくうち、ゴミなんてほぼゼロにまで減量できた。日に当たらない生活はそりゃあ体に悪いけど、その分きちんとビタミンDをサプリメントで補給してるし」
 だから何も困らない。僕は何にも困ってない。と、話を締めくくった。けど、本当は噓だった。ひとつだけ、夜も眠れないほど困っていることがある。カードの更新だ。クレジットカード。あれナシじゃ、僕のこの完全引きこもりシステムは成り立たない。そのカードの更新が迫っていた。クレジットカードや健康保険証のたぐいだけは、更新時に新しく届くそれを、宅配ボックスじゃ受け取ることができない。ピンポンとやって来るアイツらの前に姿を現し、印鑑をポンと押さなきゃならないのだ。その状況を想像しただけでクラクラと眩暈めまいがしてくる。
 その悩みを振り払うように、「さあ、分かったら出てってよ」と話を切り上げようとした時、すぐ上で声がした。
「それであんたはさびしくないの?」
 顔を上げると目の前に、あのオッドアイのド派手な顔があった。うわあッと叫んで逃げようとして、段ボールのビルの角にぶつかった。積み木の街は崩壊し、中から幾組ものカードや真っ赤なの造花、カラフルなボールたちや、実は二重になっている箱なんかが飛び出して、床の上に広がった。

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