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【解説】もう後がないひとりの男の覚悟と再生――『太陽を背にうけて』樋口明雄【文庫巻末解説:宇田川拓也】

樋口明雄『太陽を背にうけて』(角川文庫)の巻末に収録された「解説」を特別公開!



樋口明雄『太陽を背にうけて』文庫巻末解説

解説
がわたく(書店員)

 ひとにとっての山とは。山における、ひとの在り方とは。
 ぐちあきは、いま誰よりもこのテーマをひたむきに追い続けている小説家だ。一冊二冊では伝え切れないほど、山には大いなる魅力がある。と同時に、ひとが関わり踏み込むことで生まれる、複雑で根深い問題もまた尽きないからだろう。樋口作品を振り返ると、初期の山岳ものでは、壮絶な死闘とサバイバルが繰り広げられるこくなフィールドといった、冒険アクションの舞台として山は描かれていた。その後、『墓標の森』(二〇〇一年)、『約束の地』(二〇〇八年/第十二回おおやぶはるひこ賞受賞作)では、険しい自然と生きるさんろくの暮らしの現実、そこに生まれる環境や社会的な問題が映し出されるようになる。そして『天空の犬』(二〇一二年)に至り、富士山に次ぐ日本第二位の高さを誇る名峰──きただけを舞台に、山梨県警が擁する山岳救助隊と、その相棒である救助犬の活躍を通じ(まだ実際には山岳救助犬の警察採用はないため架空の設定)、冒頭に挙げたテーマがより明確に打ち出されていく。以降、この山岳救助隊と救助犬の物語は〈南アルプス山岳救助隊K-9〉としてシリーズ化され、ヒューマンドラマ、動物小説、社会派サスペンス、警察小説、冒険アクションなど、型に囚われない豊富なエピソードが好評を博すとともに、著者のライフワークになりつつある。
 本書『太陽を背にうけて』は、そんな〈K-9〉シリーズと同じく北岳が舞台の物語だ。しかしこちらの主人公──さとむらおとひこは、遭難者を救助し、犯罪者に立ち向かうような勇敢な警察官ではない。大手ファミリーレストランの人材管理課で長く手腕を振るい、六十五歳で定年退職を迎えた、ごく一般的な前期高齢者である。少なくない退職金も手にし、仕事ひと筋の会社員生活に区切りを付け、これからは家族との穏やかな暮らしを──そう思い描いていたが、その老後のビジョンはあっさりと崩れ去る。大きな花束をもらい、万雷の拍手を受けて会社を後にし、帰宅した里村を待ち受けていたのは、妻からの離婚届。お金で困らせたことこそなかったものの、家族を顧みず、子育てにも目を向けず、家での会話もろくになかったいままでの行ないが、ブーメランとなって里村を痛烈に打ちのめすのだった。
 妻が出て行き、ひとりになった里村は自暴自棄になり、酒におぼれていく。会社の健診でも毎回肝臓の数値の悪さを指摘されるほどの酒好きで、ほぼアルコール依存症といった有様。つらさと後悔にさいなまれ、それをまぎらわせるためにまた酒を飲み、このままどこまでも堕ちていくかに思われた。そこへ娘のからひさしぶりに電話が掛かってきて、こう告げられる。「ねえ、お父さん。新しい仕事を見つけてみたら?」
 こうして職探しを始めた里村は、山に夢中だった若き日の登山部時代などを思い返し、山小屋のアルバイトに狙いを定めるとともに、身の周りの酒を一切処分して断酒に踏み切る。そしてきよくせつを経て、北岳でもっとも高い場所にある山小屋──北岳肩の小屋で働くことになるのだが……。
 本作は端的にいうなら、もう後がないひとりの男の覚悟と再生に焦点を当てた物語である。じつにシンプルな話の筋ではあるが、単に里村ひとりを追うのではなく、各話で視点人物が変わる構成が採られている。特異な環境に飛び込んだ人間の奮起とせつと変化とあわせ、里村という訳ありで異質な人物が加わったことによる山小屋の運営に携わるひとびとへの影響と内面の変化、里村だけがぬぐうことのできない負い目や苦い過去を抱えて悩み、いまを生きているわけではないことが、ページをめくるごとに胸に深く染み入ってくる。シンプルなれど雄弁である本作の洗練された美点は、この構成によるところが大きい。読者のなかにも、自身の犯した過ちや古い傷、そこに関わったひとをつい思い出してしまう方がいるのではないだろうか。
 ところで、じつは本作を読みながら、ひとつの疑問が浮かんだ。「主な参考文献」にも挙げられているが、樋口明雄には北岳周辺に建つ五つの山小屋の管理人やスタッフに取材を重ねてまとめた『北岳山小屋物語』(二〇二〇年→追加取材を加えて二〇二三年文庫化)という優れたルポルタージュがすでにある。北岳肩の小屋もそこで取り上げられており、山小屋の現実や知られざる内情を描き出すなら、それはもう見事に果たされている。ルポと小説はまったくの別物ではあるが、それでも山小屋で働くひとびとをあえて小説として、このような形で表現しようとした理由には何があるのか。
 その疑問は最後まで読み通して、氷解した。ポイントは、作中で北岳肩の小屋の現在の管理人であるばやしかずひろの父にして、先代の管理人として登場する小林まさゆきが印象的に口にする「めぐり合わせ」というキーワードだ。山から遠く離れた人生を送ってきた里村のような人間が山小屋で働くことになるまでの運命的な展開。そのめぐり合わせの神秘的な力が、山小屋のひとびとに与える様々な作用。そして山小屋に身を置くことで人生観を改めるほどの大きな気付きを得た人間が感じ、その心の内に湧き上がるもの。それらを読み手が実感として受け止められるよう丁寧に紡ぎ、美しいまでにすがすがしく仕上げた、これはつまり小説家によるしんな挑戦なのだ。
 加えて、少々偏った見方かもしれないが、インタビューを繰り返して本にまとめるほど魅力的な「山小屋」という特別な場、そこにけ込んでいくひとを疑似体験するような気持ちもあったのかもしれない。というのも、酒浸りの生活に区切りを付け、断酒の道を選んだ里村の人物造形に、樋口明雄自身の断酒経験が反映されていることは間違いない。年齢もほぼ変わらないため、ように著者のパーソナルな部分が重なるキャラを物語の中心に据えたことを思うと、それほど的を外してもいないのではないか。ちなみに、本書発売に先駆け、二〇二四年十二月に『のんではいけない 酒浸り作家はどうして断酒できたのか?』(山と溪谷社刊)が発売されている。単に断酒の苦労をつづった内容とは一線を画すエッセイとのことで、前述の『北岳山小屋物語』との併読をオススメしたい。
 さらにちなむと、第一話の冒頭で息も絶え絶えに北岳を登る里村を見かねて声を掛け、微笑みの女神のごとく登場する白根御池小屋のスタッフ──あまはるをはじめ、〈K-9〉シリーズのキャラクターたちも複数顔をのぞかせるので、シリーズ未読の方は本作を入口に読み進めてみるのもいいだろう。
 最後に『太陽を背にうけて』というタイトルについて。カントリー・フォークのスーパースター──ジョン・デンバーにとって初の全米チャート一位となった往年の名曲「Sunshine On My Shoulders」の邦題から採られている。読了後、ぜひ映画のエンドロールのように流し、耳を傾けてみていただきたい。その歌詞に重なって、樋口明雄のこんな声が聞こえてくるようだ。きみに寄り添う物語があるとしたら、こんな小説を紡いで届けてあげたい。

作品紹介



書 名: 太陽を背にうけて
著 者:樋口明雄
発売日:2025年01月24日

大藪賞作家が北岳を舞台に描く再生の物語
ライフ・イズ・ワンダフル! 

「南アルプス山岳救助隊K-9」シリーズの著者による、感動の人間讃歌!

仕事一筋で家庭を顧みなかった報いなのか――。ファミレス経営会社の管理職を勤め上げ、定年退職したその日、里村乙彦を待っていたのは妻からの離婚届だった。絶望の中で酒に溺れた里村は、娘に促されて再起を決意する。場所は日本第二の高峰、南アルプス北岳にある肩の小屋。標高三千メートルの過酷な環境の中、二代で山小屋を守る管理人親子と個性的なスタッフたちに見守られ、里村は苦難の中で人生のやり直しを目指す……。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322408000028/
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