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試し読み

【新連載試し読み】道尾秀介『スケルトン・キー』

2月9日発売の「小説 野性時代」2018年3月号では、道尾秀介『スケルトン・キー』の新連載がスタート!
カドブンではこの試し読みを公開いたします。

>>【新連載試し読み】桐野夏生『インドラネット』

十九歳の坂木錠也さかきじょうやは、週刊誌の危険な仕事を請け負っている。心拍数を上げ、なんとか"まとも"でいるために――。
怒涛の展開が待ちうけるブラックサスペンス、開幕!


 la clef ferme plus qu'elle n'ouvre. La poignée ouvre plus qu'elle ne ferme.
(分類するならば、鍵は、開くよりも閉じるものだ。把手とっては、閉じるよりも開くものだ。)
――ガストン・バシュラール『空間の詩学』

 You can straighten a worm, but the crook is in him and only waiting.
(芋虫を真っ直ぐに伸ばすことはできるが、その湾曲は身体の中で、ただ待っている。)
――マーク・トウェインの言葉

第一章

 追っているRVカーは二台前を走っていた。
 行く手の信号が黄色に変わるが、RVカーはそのまま交差点に入っていく。しかしその後ろ、僕のバイクとのあいだを走るセダンがブレーキランプを点灯させた。アクセルをひらきながらバイクを素早く左へ倒す。深夜の街灯が一直線につながってヘルメットの向こうを流れる。セダンの左脇をすり抜けて交差点に突っ込んだ瞬間、右前方から軽トラックのヘッドライトが急速に迫ってきた。対向車線で右折待ちをしていた車が発進していたらしい。右によけるか左によけるか――左によけた場合、相手がよほど急ブレーキをかけてくれないかぎり衝突してしまうので、全身でバイクを押し込むようにして右へ倒した。しかしその瞬間、軽トラックがタイヤを鳴らして急ブレーキをかけた。どうやら左によけるのが正解だったらしい。交差点の真ん中で停車した相手の車体が眼前に迫ってくる。このままだと確実にぶつかる。バイクをさらに下へ押し込み――もっと押し込み――スピンする直前に勢いよく車体を立て直す。ダウンジャケットの左袖が軽トラックの荷台をこすり、千切れた生地の内側から白い羽毛が飛び散る。しかしバイクも身体もぎりぎりで接触を逃れ、軽トラックと後続車のあいだにある一メートルにも満たない隙間を無傷で突き抜けた。
 もとの車線に戻り、RVカーの尾行を再開する。
 しばらく走っていると、道の左右から飲食店の明かりが消え、かわりに工場らしい四角い建物やマンションなどが増えてきた。
 RVカーが左折して路地に入る。
 バイクのヘッドライトを消してそのあとにつづく。
 政田まさだが運転するRVカーは住宅街の角を二度曲がってから、コインパーキングの看板のそばで減速した。僕は一つ手前の角を左へ入り、民家のブロック塀にバイクを寄せてエンジンを切った。デニムのポケットからスマートフォンを取り出す。誕生日のパスコードを打ち込んでカメラを起動させながら路地の角まで戻る。カメラの露出を目一杯まで上げた状態で、路地にスマートフォンだけを突き出してディスプレイを確認する。暗がりでは、肉眼よりもこのほうがよく見える。RVカーはコインパーキングに停まっている。しかし政田はまだ車内にいる。顔が下から白く照らされているのは、携帯を操作しているのだろうか。スマートフォンのシャッターボタンを押し、僕はその様子を撮影した。
 政田が車を降りる。
 周囲を気にしながら、こちらに背を向けて歩き出す。
 僕は足音を立てずにそれを追う。
 政田が入っていったのは、それほど高級そうでもないマンションのエントランスだった。細長い身体を曲げてインターフォンでルームナンバーを押し、応答した相手と短く言葉を交わす。奥の自動ドアがひらく。政田はそこを抜け、エレベーターホールへと去っていく。僕はその様子をすべて写真におさめる。
 政田の姿が消えたあと、ダウンジャケットの左袖を見てみると、軽トラックの荷台でこすった場所は十センチくらい破れていた。
 撮った写真を間戸村さんにメッセージアプリで送信し、ついでに書き添えた。
《尾行中に上着が破れたので請求させてもらいます》
 すぐに間戸村まとむらさんからの着信があった。
「坂木です」
『さすが錠也くん!』
 大声が鼓膜に突き刺さり、僕はスマートフォンを耳から離した。
『これ、すごいよ! マンションのエントランスのやつなんか、政田の顔が完璧に写ってるし最高だよ!』
 政田宏明ひろあきは芸歴二十年以上の大御所俳優だ。事前に間戸村さんから教えられたところによると、年下の奥さんは現在妊娠中。近ごろ政田は、現場仕事のあと、運転手兼マネージャーを先に帰らせ、自宅のある杉並区とは別方面に車を走らせるようになった。その情報を週刊誌記者である間戸村さんが掴んだ。何かあるに違いないと感じ、間戸村さんは二度ほど政田のあとを尾けようとしたのだが、いずれの場合もまかれてしまい、いつものように僕のところへ依頼が来たというわけだ。
『これどこ? いますぐ行くから場所教えて』
「いったん切って現在地を送ります」
 地図アプリで現在地のアドレスを送ると、すぐにまた着信があった。
『会社からだから、タクシー乗って三十分くらいで着く。あ、上着っていくら?』
「二万六千円です」
 四千二百円だった。
『うっわ錠也くん、いいの着てるじゃん。俺、十九歳のときなんて五千円くらいの安物ばっか着てたよ。よし、いまタクシー乗ったからね』
 タクシーの運転手に行き先を指示する声。
「僕、もう帰っていいですか」
『え、急いでんの?』
「いえ、でもどうせ三十分以内には出てこないだろうし」
『ううん、もしかしたら出てくるかもしれないから、俺が行くまでいてくれないかな』
「でも間戸村さん前に、退屈なことはしなくていいって」
『まあ……そうか、うんわかった』
 二日後にいつもの場所でお金を受け取る約束をし、電話を切った。
 スマートフォンをデニムのポケットに戻す。キーが指に触れる。バイクのキーでもアパートのキーでもなく、それらといっしょにリングに通してある、小指ほどの長さの、古い銅製のキー。円柱の軸の先に、単純な形状の凸凹の歯がついている。何を開けるためのものなのかは知らない。オモチャみたいに安っぽいから、べつに何を開けるものでもないのかもしれない。わかっているのは、これが乳児院に預けられた僕の唯一の持ち物だったということだけだ。赤ん坊の僕は、このキーとともに乳児院に預けられ、二歳になると、埼玉県にある児童養護施設「青光園せいこうえん」に移された。もちろんその頃の記憶はなく、気がついたときには、僕は青光園で、このキーをいつもポケットに入れ、同年代から高校生まで二十人くらいの子供たちとともに暮らしていた。
 右手をダウンジャケットの襟ぐりから差し入れ、シャツごしに左胸に押しつけてみる。心臓は相変わらずゆっくりと鼓動している。どんなに危険なことをしても、この心臓は鼓動を速めてくれない。持ち主が置かれている状況に興味さえ持っていないように、いつもこうして淡々と、低い心拍数を刻みつづける。
 これは、僕みたいな人間が持つ特徴の一つらしい。
 ――錠也くんが何なのか、わたし知ってる。
 僕が何者であるかを教えてくれたのは、大好きなひかりさんだった。
 ――錠也くんみたいな人はね。
 青光園の園庭にあった、暗い遊具倉庫の中で、彼女はあの呼びかたを教えてくれた。
 ――サイコパスっていうのよ。


このつづきは「小説 野性時代」2018年3月号でお楽しみいただけます。
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