探偵はぼっちじゃない
中3にしてこのうまさ! プロ作家も驚嘆のデビュー作試し読み!!【第2回】

第21回ボイルドエッグズ新人賞受賞作『探偵はぼっちじゃない』は著者中学3年の夏休みに書かれたミステリです。緑川光毅は中学3年生。受験を控え気が重いが、それなりに楽しく学校生活を謳歌している……ように装い日々を送っています。しかし、心の底では満たされない思いが――果たして、これは本当の自分なのか。そんな時、ふいに、同級生を名乗る不思議な少年、星野温が声をかけてきました。
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なんなんだろう。この、やけに自信満々な眼鏡は?
夜空には雲がなかった。
いつもより星が見えるな、と気づいた。
俺は目に映った星座の名前を呟きそうになって、慌てて打ち消した。受験勉強で興味もないのに覚えた星々なのだから、それを活かすのはテスト用紙の上だけでいい。
自然にSNSを開いたが、すぐにスマホの電源を落とした。焼肉を美味しそうに頬張るクラスメイトの写真に「期末試験お疲れ」とコメントが添えられた投稿が、闇に消えていく。
俺は柵にもたれかかったまま、遠くを見やった。新宿のビル群が目に映る。こんな歩道橋、誰も通らない。俺はそのまま目をつぶった。
「ねえ」
かけられた言葉に反応するまで時間がかかった。目を開けて、あたりをきょろきょろと見渡す。
「こっちだよ」
俺に声をかけた人影は、歩道橋の細い柵の上に器用に座っていた。思わず、「危なっ」と声を出してしまう。今まで、そこにいることに全く気づかなかった。
そいつは素早く柵から降り立った。俺より少し背が高い。暗いせいで表情は見えなかった。俺は混乱しつつ、本能的に、数歩後ずさった。
「ごめんね、驚かしちゃって。まあ驚かせようと思ったんだけど」
状況が飲み込めずに、はあ、とだけ返す。
「緑川光毅くん、だね?」
俺は眉根を寄せる。
「えっと、誰、ですか?」
警笛が鳴って、電車が減速しながら歩道橋へ近づいてくる。
そいつは轟音の中でも、よく通る声で言った。
「星野温。温かい、でアツムさ」
電車のライトが姿を浮かび上がらせる。
背は俺より頭半分くらい高いが、線は細かった。それに不釣り合いな丸顔が、でん、と乗っかって、にこにこ笑っている。メガネも円形で、顔をそのまま縮小したかのようだ。ふと誰かに似てるなと思ったが、女性問題で話題となった、先代の総理大臣だとすぐに思い当たった。
そいつは大きな笑みを浮かべていた。その笑顔は柔和で、誰でもすぐに心を許してしまいそうだった。
対応に困っていると、星野が口を開いた。
「そんなに構えなくていいよ。同級生だから」
「同級生? 中三?」
「うん」
自信ありげにそう頷く。向こうは俺のことを知っているようだが、俺には歩道橋の柵に座るような友達の心当たりはなかった。
電車が通過し、彼の表情はまた見えなくなる。何の用だろう。カツアゲだろうか。それにしては何もしてこないし、不穏な雰囲気も感じない。
変なのに絡まれたな、と思いつつも、立ち去ろうとは思えなかった。先にいたのは俺だし。
「えっとー、星野くん? 何の用ですか?」
しびれを切らして声をかけると、俺の存在を思い出したかのように「ああ」と笑顔を見せた。
「くんづけはいらないよ。呼び捨てでいいし、タメ口でいい」
「じゃあ、星野。何の用、なの?」
星野はニヤリと笑って、俺の目を見据えた。
「ここだとお互いの顔もときどきしか見えないし、話しにくいから、ついて来てくれるかな、緑川くん」
そっちはくんづけなのかよ、と内心つっこむ。
星野は回れ右をして、歩き出した。俺が来た方向だ。俺は自然についていく。こうやって自分の感情を放棄して、人に流されていくのは悪い癖だった。いや、今は彼の独特のオーラがそうさせているのかもしれない。
悪いことはしてこないだろう。俺は根拠のない確信を持って、その背中を追った。
俺らは並んで誰もいない夜道を歩いた。どこへ向かっているんだろう。そう思った矢先に星野が立ち止まった。住宅街の小道。目の前で自動販売機がうなりをあげていた。
「キリンレモンでいい?」
「え」
戸惑っていると、星野は答えを待たずにボタンを押していた。もともと俺に選択権はなかったのかもしれない。
はい、と缶のキリンレモンを渡すと、自販機のそばのアパートの植え込みに腰掛けた。俺も倣って、隣に座る。枝が背中に刺さったので、少し前かがみになった。
「やっぱ夏はこれだねえ」
星野はプシュっと音を立て、缶を開けた。俺も開ける。口に含むと、思ったよりも強めの炭酸が喉を刺激する。逆にレモン感は思ったより少なかった。
「あー、美味しい」
星野は、ぷはー、と大人がビールを飲んだ時のような反応を見せる。いや、こうして見ると、同級生だというのが疑わしいくらいだった。
「あの、ほんとに同級生、なの?」
「わかったわかった。今、説明するからさ」
ほらまだジュースも残ってるし、と星野はなだめるように手を上下させる。そうかこれは俺を簡単に立ち去らせないように仕組んだ罠だったのか、と気づくが、憎むような気にはなれなかった。
「まず、もう一度言うけど、僕は君と同級生だ。つまり僕は十五歳。緑川くんと同じ中学校に通っている。三年E組の生徒だ」
「ちょっと待て。お前のこと見覚えないぞ」
俺の制止に、星野は、無理もないさ、と言う。
「僕はとてもおとなしい少年なんだ。休み時間も自分の机でずっと本読んでいるような。友達付き合いはほとんどないし、クラスも遠くて、会ったりすれ違ったりする機会は少ないから、僕の存在を知らなくてもおかしくない」
「もしすれ違ったことがあったとしても、印象に残ってないな」
星野は薄く笑った。笑顔のレパートリーが多いな、とつくづく感じた。基本的ににやにやしてやがる。
俺の心を察してか、星野は言った。
「さてはまだ納得してないな?」
星野の質問に首を縦にふる。
「さっきの話を無視すれば、成人だと言われても驚かない」
「今、緑川くんが違和感を持っているのは、たぶんこんな夜の道で出会っちゃったからだよ。僕としては、ほんとは終業式の日にでも話をしたかったんだけど。制服姿の僕と向き合ったらなにも思わないと思うよ」
確かに、と俺は納得する。ただでさえ印象が少ない同級生だ。私服姿でわかるわけがない。
それにほら、と星野はポケットから財布を出し、その中から黄色い厚紙を取り出した。
「学生証だ」
正真正銘の俺の学校の学生証だ。丸い顔が歯を出して笑う写真が左に貼られている。この顔なら見たことがあるような気がしてきた。
「紛れもない僕の学生証だよ」
「ほんとだ」
こんな紙切れ一枚で、距離を縮められるんだから、証明書っていうのは偉大だ。いや、俺が単に騙されやすいだけか。
「最初からそれ見せればよかったんじゃない?」
「これは文字どおり最後の切り札だよ。できることなら見せたくなかったさ」
「なんで?」
「この写真が気に入らない」
星野は口をへの字に歪めながら、学生証を眺めていた。
俺はキリンレモンを口に含んだ。生ぬるい体に清涼感のあるジュースが流れ込んでいく。確かに、これは夏の味だ。
「じゃあ本題だ」
星野が俺の顔をちらりと見やった。思わず身構える。
「僕は緑川くんに用事があって、探してたんだ。今日君と会おうとしてたわけじゃなくて、こうして会えたのは予想外だったんだけど」
俺はよく飲み込めないまま、相槌を打った。星野が続けた。
「夏休み、暇?」
「へ?」
思ってもない質問に一気に気が抜ける。
「実はお願いしたいことがあって」
星野はにっこり笑った。
「一緒に推理小説を書いてくれないかな?」
>>第3回へつづく
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