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試し読み

藤井七段と同い年、“天才世代”のミステリ作家が登場!!【第1回】

3月28日に発売されるやいなやAmazonで品切れし大騒ぎとなった、『探偵はぼっちじゃない』。著者の坪田侑也さんは中学3年生の夏休みに「自分への宿題」として本書を執筆し第21回ボイルドエッグズ新人賞を受賞、原稿を読んだKADOKAWAの編集者が熱烈アプローチして、刊行の運びとなりました。冒頭は、こんなふうに始まります――。

“明るく楽しい学園生活”の裏側で……!?


 シャーペンの頭をノックすると短い芯が「楽市楽座」の上に転がった。筆箱から新しいシャーペンを取り出し持ち替える。この前母さんがもらってきた塾の名前入りのちゃちなものだ。
 教室には黒板を叩くチョークの音が気持ちよく響いていた。
 俺の座る一番後ろの席からは教室中をよく見渡すことができた。教室内は真面目に聞いている生徒と、寝たりふざけ合ったりしている生徒で五分五分といったところ。歴史の山本先生はめったに怒らない上に板書する時間が長いので、生徒の態度は緩んでしまう。
 汗の匂いが混ざった空気が流れている。一つ前の授業は体育だった。教室のそこかしこで上がる、申し訳程度に押し殺した笑い声と話し声が、その空気に溶け込んでいく。自然と笑みがこぼれた。
「じゃあ緑川。ここ読んでくれ」
 突然の指名に俺はびくっと震えて頬杖を解いた。山本先生が生徒を指名するなんて珍しい。俺は必死で教科書を繰り、指定のページを探す。周りでかすかに笑いが起きた。
「おいおい、緑川寝てたのか?」
 前の方から馬鹿にしたような声が挙がる。中尾だ。その後ろの板垣も俺を振り返り、笑った。俺はむっとした反面、心が浮き立つのを感じる。
「寝てねーよ」
 俺は笑いながらそう返し、ようやくページを見つけると音読を始めた。中尾やそれ以外のクラスメイトは、もう興味をなくしたように視線を俺から外していく。
 俺は悔しくなって、少し声を高くしてみるが、誰にも気づかれなかった。
 読み終えると、山本先生はまた板書に戻っていく。俺は机に突っ伏した。途端に周りの声が遠くなる。
 俺は閉じた『中学生の歴史』を指先で撫でた。一年の時からある縦に入った傷に沿って指を動かす。左の頬に七月の午後の陽光が暖かく照りつけていた。その温度のせいでゆっくりとまぶたが落ちていく。
 中学時代最後の夏休みはもうすぐそこだった。クラスメイトの楽しげなざわめきと遠い蝉の声が混じりあって聞こえてくる。
 ふと視線を感じ目を上げる。左前の方に座る甲本由紀夫が振り返って、俺を見ていたのだった。甲本は俺と目があうと嬉しそうに笑った。俺は目をそらし、中尾たちの雑談に耳を傾けた。今はわずかしか聞こえなくてもあとで話題がわかるように、と。俺の露骨な無視に、視界の端の甲本は少し悲しげににやにやしていた。
 お前みたいな「陰キャラ」とは話したくないんだよ。
 俺は、お前と仲がいいと思われるのはごめんだ。
 胸の底にいかりが下ろされたような感覚を覚えながら、そう吐き出した。俺とお前はもう違うんだ。
 中尾は半身になって板垣を振り返り、何か話している。その周囲も笑ったり、口を挾んだりしていた。会話は断片的にしか聞き取れない。俺は諦めて、もう一度目を閉じた。
 ふと、思い出したことがあった。幼少期の記憶だ。
 小学生のころ、俺は一人でいるのが好きだった。まだ周りの目なんてよくわかんない年頃。あのころは一人で夢想しながら帰るのが日課だった。小四か小五だったから、まだ長野にいたころだろう。あそこは東京より綺麗に星が見えた。
 なにかで帰りが遅くなった俺は、夕空を見上げ、考え事をしながら歩いていた。物音といったら、自分の足音と遠くの国道から聞こえる車の音くらいで、俺は自分の世界に完全に没入していた。外の世界と繋がっている感覚は、空を映す目だけだった。
 しばらくたって俺は、足元に違和感を覚えた。ん、と思ったときにはすでに遅く、軽い体は歩道のアスファルトに投げ出されていた。その拍子に、ランドセルの中の教科書やノートが前にこぼれる。クスクスと馬鹿にしたような笑い声が聞こえてきた。膝小僧に血がにじむ。
「ホントに気づいてなかったのー?」
 僕の顔を二対の目が覗き込んだ。恥ずかしさを隠すように、痛みを我慢して素早く立ち上がる。そこにいたのはジャイアンツの帽子を後ろ向きにかぶった少年と、タンクトップで坊主頭の少年だった。二人はクラスメイトだったが、顔や名前は覚えていない。彼らは繩とびの繩の端を片方ずつ持っていた。
「それで、ぼくを転ばせたの?」
「だってお前、ずっと上見てぼーっとしながら歩いてんだもん」
「それになんかブツブツ言ってたしな」
 タンクトップの方が面白がるように笑う。身に覚えのない俺は、
「そんなことしてないよ」
 と下を向いて反論した。
「嘘つけ。俺らがランドセルを開けたのも気づいてなかったじゃんか」
 俺は慌てて道路に散らばった教科書やノートを拾い集めた。泣きそうになりながらも、絶対に泣くもんかと下唇を噛んで、拾うことにだけ集中した。それにしても、いつ開けられてたんだろう。全く気がつかなかった自分が怖くなったのを覚えている。
 そのあとは、どうなったんだっけ。確か、近くのお店の人かなんかが二人を追い払ってくれて、逃げるように家に走ったんだ。おいおい泣きながら家に駆け込むと、ベッドに飛び込んだ。母さんに心配されたが、俺は何も言わなかった。
 なんでこんなこと突然思い出したのだろう。夏だからかな、と思った。
 そういえば、あのとき、転ばされる直前まで何を考えていたんだっけ。
 連載漫画の続きを予想していたんだっけ。アニメの新しいキャラクターを自作して妄想していたんだっけ。
 いや、どれも違う。けど、今となってはどうでもいいことだった。過去の話なんてどうでもいいことだった。
 チョークの音を覆うように、授業終了を知らせるチャイムが響いた。俺は顔を上げる。まだ授業は続いていたが、生徒たちは荷物をバッグの中にしまい始めていた。俺も筆箱にシャーペンを突っ込むと、チャックを閉めた。まだ板書の内容は写し終わっていなかったが、どうせ塾でやったことだし、写す必要はないと思った。
 今日は一カ月前に公民の課題で借りていた資料を返さないとまずいから、一度図書室に寄る必要がある。走ればファミリーマートの前あたりでみんなに追いつくだろう。
 ひとりで帰るのは、嫌だ。

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書誌情報はこちら≫坪田侑也『探偵はぼっちじゃない』


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