ペンギン・ハイウェイ
【映画公開記念!原作小説試し読み】森見登美彦『ペンギン・ハイウェイ』②
小学4年生のぼくが住む郊外の町に突然ペンギンたちが現れた。
この事件の謎を研究することにした僕は――。
映画公開を記念して、本作の試し読みを「カドブン」にて3日連続で実施します!
>>第1回から読む
子どもたちはだれ一人、身動きしない。
ぼくはしっかりと観察するために、そばに行くことにした。それが本当にまじりっけなしのペンギンなのかどうか、あるいは遺伝子に突然変異を起こしてずんぐりむっくりしたカラスなのか、それを研究する必要があったのだ。ほかの子どもたちは見ているだけ。ぼくが草を踏みしめる音と、風が電線をゆらす音と、ペンギンらしいものたちが立てるヘンテコな音が聞こえるばかりだ。
ぼくがそばへ寄っても、ペンギンたちは逃げなかった。
本物のペンギンをそばで見たことはないけれども、その鳥たちはペンギンそっくりだった。翼をパタパタしたり、思いついたようによちよち歩き出して転びそうになったりする。とてもちぐはぐで、遠い惑星から地球にやってきたばかりの宇宙生命体みたいだった。
捨てられたバイクがころがっていて、そのとなりにペンギンが立っていた。ぽかんとして青空を眺めている。オモチャのような目はほとんど動かない。白くてふわふわしていそうなお腹に、ひとすじの泥がこびりついていた。お腹を下にしてごろごろしたのかもしれない。ぼくはノートの新しいページを開いて、日付と時刻を書き、さっそくスケッチした。
やがて近所の大人たちが集まってきて、子どもたちを追い立てた。
ぼくはもう少し研究したかったのだけれど、学校に遅刻するわけにはいかないので、しぶしぶノートをとじた。班のみんなといっしょに歩きながら、ぼくはふりかえった。大勢の大人たちがペンギンの群れを前にして、先ほどの子どもたちのようにぼうぜんとして立っていた。
あとからしらべてみると、それはアデリー・ペンギンだった。学名ピゴスケリス・アデリアエ。南極とその周辺の島々に生息していると本には書いてあった。
郊外の住宅地には生息していない。
○
朝の教室は、住宅地のまんなかに現れたペンギンの話題でもちきりだった。
ぼくがノートのペンギン・メモをにらんでいると、ふだんはあまり話さない子たちまでが、見せて見せてと寄ってきた。通学途中にペンギンを目撃した子たちは、おどろくべき現象を目撃したのだから、たいへん得意だ。あんまりうるさいので、ペンギンを見そこねたスズキ君が怒りだした。スズキ君は動物園でペンギンを見たことがあるという話をして、「ペンギンなんてめずらしくもなんともない」と主張した。ぼくらはペンギンそのものをめずらしがっているのではなくて、住宅地にペンギンが現れたことをふしぎがっているのだから、彼の批判は間違っている。でも彼が怒ると、みんなこわいものだから、教室は静かになった。
スズキ君はぼくのノートをのぞきこんで、「ふん」と鼻で笑った。「そんなの書いておもしろい?」
「スズキ君も見たかったんだね」とぼくは言った。
「俺はもう見たことあるしな」と彼はいばるようにした。「興味ない」
ハマモトさんがやってきて、「興味ないの?」と言った。スズキ君は「興味ない」と言ったけれど、いくぶん自信がぐらついたようだった。ハマモトさんは自信家で、スズキ君でさえ一目おいている。彼女はぼくのノートをのぞきこんで、「なるほど」とつぶやいた。「ペンギンかわいい」とも言った。
ハマモトさんは肌の色がたいへん白いし、髪は明るい栗色なので、ヨーロッパの国から来た女の子のように見える。この四月から同じクラスになった人で、ぼくとはほとんど話したことがない。わざわざ彼女がぼくのノートをのぞきにくるのはたいへんめずらしいことである。それほどペンギンのニュースはみんなを驚かせたのだ。
ぼくは一日中、ペンギンのことを考えていた。
ペンギンはどこから来たのか。それが問題だ。
授業を受けながら、六つのペンギン出現仮説をノートに書いて検討した。ぼくがボールペンを走らせていると、先生が歩いてきてノートをのぞきこんで微笑んだ。先生はぼくが何について書いているか分からなかったと思う。ぼくは自分で考えた速記法を使っているからである。
午後になると、スズキ君が怒ってまわったせいか、ペンギン熱もだいぶ落ち着いた。教室の隅では、ハマモトさんがほかの子たちとチェスをしている。ハマモトさんはチェスを普及させるのに熱心である。スズキ君はコバヤシ君たちと教室の後ろの方であばれている。
ぼくがノートに書いたペンギン出現仮説を眺めていると、ウチダ君が歩いてきた。
ウチダ君とは、この春に初めて同じクラスになった。ぼくと彼は探検隊を組織している。この探検隊の任務は、街を探検して秘密地図を作ることである。社会の授業でウチダ君といっしょに発表したのがおもしろかったので、ぼくらは地図を作ることを自分たちの任務にすることに決めた。
ウチダ君は「学校終わったら丘の給水塔にいく?」と言った。
「今日はだめなんだよ。学校が終わったら歯医者に行くから」とぼくは言った。「日曜日の午前中はスケジュールがあいているから、どうせなら日曜日にちゃんとやろう」
「うん。いいよー」
そうしてウチダ君はまたふわふわと自分の机にもどっていった。
ウチダ君がペンギンに興味があるのかないのか、それはわからなかった。彼はときどき寡黙になるのだ。
ぼくは彼としゃべるたびに、自分はおしゃべりすぎると反省の念がわいたりする。それだから、これからは寡黙になるぞと決意をあらたにするのだが、がまんできないのは困ったことである。ぼくはどうしてもしゃべりすぎる。えらい人というのは、もう少し寡黙であるべきだとぼくは考えるものだ。
○
学校からの帰り、ぼくは歯科医院によった。
ぼくが歯科医院へ通う理由は、ぼくの脳がたいへんよく働くからである。
ぼくの脳はエネルギーをたくさん使う。脳のエネルギー源は糖分だ。そういうわけで、甘いお菓子をついつい食べすぎてしまう。それなら寝る前にきちんと歯をみがけばよいのだけれど、なにしろ脳をよく働かすから、夜になると歯ブラシも持てないぐらい眠くなって、歯をみがいているひまがないのである。
でも、歯科医院に出かけるのはいやではない。ぼくはそこがとても好きなのだ。
歯科医院の待合室はいつもシンとして、薬の匂いがしている。魚のかたちをした銀色のモビールが天井からぶら下がっている。窓辺には人工の観葉植物があって、エアコンの風にいつもゆれている。白いソファは触るとひんやりするし、白い床は清潔でぴかぴかしている。透明のマガジンラックには、きれいな写真のたくさんのっている大きな雑誌がきちんとならんでいる。
宇宙船の発着所はこのような雰囲気だろうと、ぼくはいつも想像する。
○
歯科医院の待合室には一人だけお客さんがいて、治療室から聞こえてくる機械の音に耳をすましていた。それはスズキ君だった。彼はぼくを見てギョッとしたようだけれども、すぐになんでもない顔になった。
ぼくはいつも通りマガジンラックから雑誌を取り出し、ガラスのテーブルに広げて読んだ。
スズキ君は、ぼくらのクラスでもっとも声が大きくて力が強い。スズキ君配下の男子たちはスズキ君に絶対服従である。その仕組みが興味深いので、ぼくは「スズキ君帝国観察記録」をつけて研究を重ねている。
スズキ君はウチダ君やほかの男子にいじわるをすることがある。机に雑巾をつめこんだり、トイレに行くのをじゃましたり、口をきかないように子分に命令したり、ノートを落書きでめちゃくちゃにしたりする。スズキ君にとって、それが楽しいことであるようだ。でもスズキ君は間違っているとぼくは思う。なぜならば、自分の満足のためにほかの人にがまんしてもらうには、それなりの理由と手続きが必要だが、スズキ君たちは正当な理由も持たず、またその手続きを踏んでもいないからだ。
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8月17日(金)全国ロードショー
>>映画「ペンギン・ハイウェイ」公式サイト
◎一冊一冊、未来に進め。
>>カドフェス2018 特設サイト
※『夜は短し歩けよ乙女』、『四畳半神話体系』も対象!
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