【連載小説】公園の出来事を受けて、演劇祭への不参加を決めたアキ兎だったが――こざわたまこ「夢のいる場所」#6-2
こざわたまこ「夢のいる場所」

※本記事は連載小説です。
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アニメ調のタッチで描かれたメインキャラクター達と大きな時計が組み合わさった、明るくポップなイラストだ。全体的にはダリの絵画をイメージしているのか、時計が半分チョコレートのように溶けてしまっている。今日子がツイッターで、フリーのイラストレーターを見つけて依頼してくれたらしい。
「うわ、めっちゃサブカルっぽくていいじゃん」
誰かが、某ロックバンドのCDのジャケットで有名になったイラストレーターの名前を挙げた。みんなで、かっこいい、センスある、とひとしきり褒めちぎったところで、劉生君がフライヤーを裏返した。
「お、かっこいー。何々。壁に掛けられた時計が、今日もまた……」
劉生君が読み上げたのは、フライヤーのアオリ文だった。裏面には、公演の日程や劇団名、スタッフ紹介の他、舞台の説明文なんかが書かれている。
『壁に掛けられた時計が、今日もまたひとつ、針を進める。それを指をくわえて見つめているのは、誰だ?』
『僕らはヒーローじゃない。勇者でもない。選ばれし能力者にもなれない』
『今日もまた、この世界のどこかで、誰かが地球を救ってる。時を超えて。距離を超えて。世界線を超えて。僕以外の、誰かが』
その横に白抜きの明朝体で、『誰かが世界を救ってる』と大きくタイトルがあしらわれていた。
「フライヤーが出来上がると、いよいよって感じ、するよな」
誰かが言ったその一言に、わかるわー、とまた他の誰かが同意する。
「たしかに」
「おい、わざと緊張させんなよ」
「本番
「大丈夫っしょ、今回の台本ならアドリブ利くし」
さりげなく周囲を見回すと、それとなくお互いを励まし合う様子が散見された。改めて、いい座組だな、と思う。役者やスタッフの間にも、いいものを作ろうという空気と、程よい緊張感が満ちていた。少し前に最悪を経験した分、これ以上何が起こっても恐くない、という開き直りにも似たポジティブさがある。
「そんじゃまあ、フライヤーも届いたことだし。そろそろ稽古再開しましょうよ」
「劉生、それマジで言ってる?」
「当たり前っしょ」
ほらほら、早く立ち位置ついて、と周囲に発破をかけようとする劉生君に、みんな口を尖らせる。
「今日はもうそんな空気じゃないじゃん」
「もう飲み行こうぜ、飲み」
「おいおい、本番まであと一ヶ月もないんだぜ。ほら、渡さんも早く席ついて。始めましょうよ。俺、今日早上がりだし。渡さんってば……あれ、渡さん?」
「……あ、わかった」
それまでじっとフライヤーを見つめていた翔太が、ぽつりと呟いた。え、と劉生君が聞き返す間もなく、翔太が再び口を開く。
「さっき相談してたところ。このシーン、思い切って劇中劇にしてみたらどうだろう。例えば、こんな台詞で始まって……」
言いながら、ホワイトボードの前でマーカーを片手に説明を加えていく。きゅっ、きゅっ、と軽快な音を立てながら、お世辞にもきれいとは言えない文字の羅列が、あっという間に真っ白なホワイトボードを埋めていった。
「そしたら変に説明的じゃなくなるし。なんか、流れもきれいじゃね?」
「あ、確かに」
「だろ?」
完璧じゃん、と呟いた翔太が、劉生君に向かって自分の右手を伸ばす。なんすか、と
翔太と劉生君の指揮のもと、その後の稽古はいたって和やかに進められた。シーン練習を何回か繰り返したところで施設の閉館時間を迎え、慌てて部屋から撤収すると、建物を出てすぐに翔太が、「この後残れる人」と手を上げた。
「さっきの駄目出し途中だったから、ファミレスかなんかで続きやろうかなと思ってて。あ、予定ある人は無理せず。まとめてLINEするんで。それと、先に来週の予定だけ伝えちゃいます。次の稽古場だけど──」
翔太の業務連絡を聞きながら、さりげなく自分のスマホを確認する。時刻はいつの間にか、六時を過ぎようとしていた。スマホに何件か、通知が届いているのが見えた。画面をタップしようとした次の瞬間、
「夢は行く?」
突然声を掛けられ、ぎくりとして顔を上げる。今日子の気配に、まるで気づかなかった。いつからそこにいたのだろう。
「……あ。どうしようかな。ちょっと、迷ってて」
「夢が行くなら、あたしも行こうかな」
「え」
色々話したいこともあるし。今日子はそう言って、気まずさを誤魔化すように、笑った。ふと、決起会での出来事を思い出す。
「ごめんね。連絡するって言ってたのに、全然で」
こっちも、色々あってさ。今日子はその後もぼそぼそと何か言い続けていたけど、言葉が上滑りして頭に入ってこない。口ごもっている間に、翔太の周りでは参加者の点呼が始まっていた。この後残れる人、ちょっと手ぇ上げてもらっていいですか?
「お二人はどうします? 飲みじゃないんで、そんなに遅くはならないと思いますけど」
私は答えられない。今日子が、ちらちらと私の反応を気にしているのがわかった。
「もしかして、なんか用事ありました?」
「あ、いや。そういうわけじゃないけど」
「じゃあ行きましょ、行きましょ。夢さんが来てくれたら、嬉しい」
「その、私」
やっぱり今日は、と言い掛けたその時、私の声がみんなに届くよりも早く、私達の会話を聞いていたらしい誰かが口を開いた。
「ほんっとすみません。俺、今日はここで」
劉生君がそう言って、申し訳なさそうに顔の前で手を合わせる。
「珍しい。この時間からバイト?」
劉生君が身支度を整えながら、いや、違うんす、と首を振る。
「俺、これからオーディションで」
オーディション、という単語に、思わず劉生君を振り返った。それを聞いた田中さんが、え、また? と目を丸くする。
「最近、新しい舞台決まったばかりじゃなかった?」
「そうなんすよ。だからまあ、有難いっちゃ有難いんですけど」
劉生君はこのところ、立て続けに舞台に出演している。今年に入って三本目の舞台は、二十代の役者が中心となって新たに立ち上げた演劇ユニットだそうだ。他にもいくつかの劇団の演出家から、個別にオファーを受けている、という話を聞いた。
『役者
『舞台って、面白いっすよね。やることってある程度決まってるし台詞も変わんないのに、日によって客の反応が違うじゃないっすか。バンドでステージ立つのとはまた違った快感っていうか』
『なんだかんだ、役者向いてるのかなーって。俺、そういうの割と鼻利くんすよ。だからまあ、しばらくは本気でやってみようかなって。嫌になったら、やめてまたバイトでもすりゃいいし』
こんな風にてらいなく「自分は役者に向いている」と言える人間が、一体どれくらいいるのだろう。日本に星の数ほどいる役者の中で。嫌になったらやめればいい。その中の何人が、本気でそう思えるのだろう。
「え、今度はどこの劇団のオーディション受けるの?」
劉生君が、さらりとした口調でそれに答えた。
「あれです。
どこかで、がしゃんとガラスの割れるような音が聞こえた気がした。
「……夢さん? 大丈夫ですか?」
田中さんの声に、はっとして我に返る。ワンテンポ遅れて、自分のスマホが手から滑り落ちていることに気づく。
「あ。ごめん」
慌ててスマホを拾い上げながら、口の中でもごもごと呟く。幸運にも、画面は割れていない。
「この前の、決起会の時だったかな。偶然同じテーブルになって、色々話聞けたんで。駄目元で頼み込んでみたんすよ。次回公演のオーディション、受けさせてもらえないかって。最初は取り合ってもらえなかったけど、しつこく食い下がったらじゃあ来るだけ来てみればって、あの人──莉花さんが。俺みたいなハングリーな奴は、嫌いじゃないからって。いやほんと、こうしてチャンス
まあ言ってみるもんすよね。そう言って、劉生君がぺろりと舌を出して見せた。
「そんじゃまあ、当たってくだけろの精神で頑張ってきます!」
劉生君はふざけた調子でちょこんと敬礼すると、やばい、マジで遅れる、と呟いて、バタバタと走り去っていった。みんなの声援を一身に受けて。誰かが、小さくなっていく劉生君の後ろ姿を見つめながら、あいつ寝ぐせついたままだったな、と呟いた。
「すげえ度胸」
「あいつらしいよな」
「でも案外、ああいう人がぽんと売れたりして──」
水中にいるみたいだ、と思う。周りの会話が、ひどくくぐもって聞こえる。ふと視線を落とした先に、名前も知らない小さな虫が、地面に転がっているのが見えた。まるでもがくように、その手足を動かしている。
「……行かなくていいの?」
え、と顔を上げる。
射抜くような瞳でこちらをじっと見つめる、今日子の姿がそこにはあった。
「オーディション。夢も、声掛けられてるんじゃないの。
それを聞いた瞬間、心臓がどくりと大きく脈を打つのがわかった。
『今週末、七時に×××っていう貸しスタジオ。時間にさえ来てくれれば、あとはなんとかするから。台本はこの前渡したやつ、そのまま使うから忘れないで』
電話越しに聞こえた莉花の声が、頭に
「あの時、ほんとはちょっとだけ聞こえてたんだ。夢が、喫煙室であの人と話してるの。ほんとは夢も行きたいんじゃないの。だって、チャンスなんでしょ」
『わかってると思うけど、これが最後のチャンスだから』
最後のチャンス。当たってくだけろ。駄目元で。ハングリーな奴は、嫌いじゃない。いかにも莉花が好みそうな台詞だと思った。
『これ以上、私に恥かかせないで』
思わず、は、と息が漏れた。鼻白んだような笑みとともに。
「え、何それ? 今日子、何言ってんの? チャンスとか、うける。私もう、そういうの考えてないし」
意思に反して、声がうわずった。これじゃあ、私が
「今日子、もうその話は──」
「……夢? どうした?」
翔太の声だった。その声につられて、みんながこちらを振り返る。嫌だ、と思った。今の状況を、これから起こることを、翔太にだけは見られたくない。
「夢は、いつまでそうやってるの」
「いつまで、って」
「いつまで子供みたいに口を開けて、自分のところに餌が運ばれてくるのを待ってる気なの。才能さえあれば、チャンスは自然と舞い込んでくるものだから? 夢を
「ちょっと待ってよ。そんなこと、私思ってない。私には、才能なんて」
それを聞いた今日子が、ぷっと噴き出した。
「……何がおかしいの」
「だって。夢それ、後何年言い続ける気なの?」
あたし達、もうすぐ三十になっちゃうんだよ。今日子はそう言って、哀れんでいるかのような目で私の顔を見返した。
「私には才能がない。役者になんて絶対なれない。夢って昔から、ずっとそう。自分に言い聞かせるみたいに、無理だ、無理だって言い続けてる」
でもそろそろ、そういうのやめなよ、と今日子が呟いた。
「そう言いたくなっちゃう夢の気持ち、わからないわけじゃないよ。だって、夢は本当は、自分には才能がない、なんて思ってないから。本当は誰より、自分の才能を信じてるから」
言い返すための言葉が、どうしても見つからない。
「たとえ一瞬でも、自分が信じた才能を誰かに否定されたくないんだよね。そんなことされるくらいなら、そんなもの元からないって、そういうふりしてる方が楽だもんね。何にも持ってないふりして持ってる人の方が、何でも持ってるふりして何にも持ってない人より、ずっと〝本物っぽい〟から」
そんなことない、と言おうとしたはずなのに、干からびたみたいに口の中が渇いて、舌がうまく動かない。
「……なんで」
やっとの思いで絞り出したはずの言葉は、かすれて喉にこびりついた。
「そんな風に思ってるなら、なんで私にプロを目指せなんて言ったの」
こんなこと、絶対言いたくなかった。
「なんであの時、私に才能がある、なんて言ったの」
こんなことを言うくらいなら、死んだ方がましだと思った。
『夢はプロの役者になりたいとか、考えたことないの?』
『私が夢だったら、絶対目指してるのに』
『夢には、才能があるんだから』
今日子が言ってくれたあの言葉たち。私はいつのまにかそれを、宝物のように胸にしまいこんでいた。自分でも気づかないうちに。
「ほんとはそんなこと、思ってなかったんだ。全部噓だったんだ。才能があるとか、もったいないとか。心にもないこと、言ったんでしょう。私がかわいそうだから。馬鹿みたいだから」
それを聞いた今日子が、違うよ、と静かに首を振る。
「違うって、何。今更そんな──」
「違うの。あれは、あの言葉は噓なんかじゃない。だって夢には、本当に才能があるから」
一瞬、何を言われているのかわからなかった。
「ちゃんと、あるよ。夢には才能がある。少なくともあたしは、そう思う。みんなもそう思ってる。それは、本当。でも」
今日子は一瞬目を伏せ、何かを言いよどむように唇を嚙んだ後、意を決したように口を開いた。でもね、あたし思うの。
「夢くらい引っ込み思案で、人前で話すのが苦手で、役者に向いてなさそうで、なのに舞台に立ったら
まるで子供に言い含めるような口調だった。私は今、ひどく間抜けな顔をしていることだろう。同じような言葉を、つい最近耳にしたばかりだからだ。
「夢、かわいそう」
「……え?」
かわいそう。この状況とはひどく
「クラスに一人か二人程度の才能で、長い人生を戦い抜いていけるわけなんてないのにね。それって多分、あたし達のせいだね。あたし達が夢をその気にさせちゃった。そのせいで夢は一生、自分の才能を信じて生きていかなきゃいけない」
その続きを、私は聞かなかった。それ以上、聞きたいとも思わなかった。くるりと身を翻した私に向かって、今日子が咄嗟に手を伸ばす。今日子の手は私の腕を
よろけた拍子に、トートバッグが肩を滑り落ち、中身が地面に散らばった。真っ白な紙がばさりと音を立てて地面に広がった。それは、翔太が必死で書き上げたアキ兎の台本──ではなく、莉花が私に押しつけるように渡してきた、オーディション用の台本だった。あの日捨てようとして、どうしても捨てきれなかった、私の夢の成れの果てだった。
それを必死で、かき集める。地面をはいつくばりながら。頭の上には、痛いほどの視線を感じていた。これがないと、オーディションを受けられない。でももう、そのオーディションには間に合わないかもしれない。でも私にはもう、他に道がない。早く、早く、早く。散らばったこの台本を集めて、私は。
「夢」
これ、と言われて手が止まる。突如頭上から降ってきた聞き覚えのある声のトーンに、恐る恐る顔を上げる。予想通りそこには、翔太がいた。翔太は何も言わず、台本の一ページを持ったまま、私の顔をじっと見つめていた。哀れみでも、蔑みでもない何かが、その目の奥に浮かんでいた。
翔太の手から最後の一枚を引っ手繰るようにして奪い、立ち上がって、私は全速力でその場から駆け出した。頭の中で、また逃げるのか、と誰かの声がする。遠い昔、油臭くて
▶#6-3へつづく
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