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連載

こざわたまこ「夢のいる場所」 vol.18

【連載小説】公園の出来事を受けて、演劇祭への不参加を決めたアキ兎だったが――こざわたまこ「夢のいる場所」#6-1

こざわたまこ「夢のいる場所」

※本記事は連載小説です。


前回までのあらすじ

売れない女優・夢は、かつて所属していた社会人劇団「ビューティフル・ドリーマー」で仲間だった翔太と再会した。昔の因縁の相手・宝城莉花が実行委員の演劇祭に翔太の劇団「アキレスと兎」で参加することになるが、翔太の勝手さに劇団の雰囲気は悪かった。演劇祭の決起会では再会した莉花にオーディションに誘われるが、その時翔太が演出家のハスミを殴ってしまう。後日その理由を問いただした夢は、翔太に「夢を見るのは終わりにしよう」と告げる。

「はい、そこまで。ここで一旦、休憩挟もっか。その間にさっきの駄目出しと、役者の動線を確認してもらって。休憩明け、同じとこもう一回通します」
 しようはそう言って席から立ち上がり、ホワイトボードにこの後のスケジュールを書き加えた。年季の入ったホワイトボードは、この部屋のものだ。ここは市の施設ということもあって、普段は貸し会議室なんかとして使われているらしい。
 室内の古い壁掛け時計をると、時間はちょうど午後三時を回ったところだった。今から休憩を挟んでさっきのシーンのラストまでとなると、けいはだいたい六時くらいまでだろうか?
わたりさん、今ちょっとだけいいですか?」
「ああ、うん」
 一人進行表とにらめっこしている翔太に声を掛けたのは、りゆうせい君だった。視界の端で、二人が何事か話し込んでいるのが見える。一口に休憩と言っても、台本を読み返す者もいればコンビニに出かけようとする者もいて、他にも仮眠や軽めの食事を取る者など、その過ごし方は様々だ。
「私、飲み物買ってこようかな」
「あ、あたしも行くー」
 後ろからそんな声が聞こえてきて、じゃあ私も、と振り返ったそのタイミングで、きょろきょろと辺りを見回している劉生君の姿が目に入った。いやおうなく、視線がかち合う。
「あ、ゆめさん。夢さんも、ちょっとこっち来てもらっていいすか。相談したいことがあって」
「……あ、うん」
 有無を言わさぬ口調に、ぎくしゃくと返事を返した。取り出しかけたスマホをポケットに戻して、二人の元へと歩き出す。私が来るのを待ってから、劉生君が話を切り出した。
「さっきのとこ、あんまりしっくりこなくないですか? いや、しっくりこないとかそういうレベルじゃなくて。……ぶっちゃけ、面白くない、っていうか」
 劉生君が言っているのは、劇のクライマックスのシーンのことだった。そうかな、私はそうは思わないけど。とつに反論しかけて、何とかそれを押しとどめる。直前でその言葉をみ込んだのは、すぐ目の前に翔太がいたからだ。
「……やっぱりお前も、そう思う?」
 そうつぶやいた翔太の表情は、うれしそうでもあり、どこかほっとしているようでもあった。ずっと、誰かからそう指摘されるのを待っていたかのような。ようやく、同志を見つけた。そういう顔つきだった。
「だよなあ。いや、俺も思ってたんだよ。なんか微妙だな、って。やっぱ、やってる方もそうだったんだ。あそこ、面白くないよな」
 劉生君がこくりとうなずいて、口を開く。
「本読みの時はあんま気にならなかったんですけど。立って動き付けてみたら、やっぱり違うな、って。なんか、こういう風に動くキャラじゃなくね? みたいな。特にさっきの、夢さんと言い合いになるシーンとか」
 そうそう、そうなんだよな。翔太がちょっとおおなくらいこくこくと頷きながら、劉生君の言葉に同意する。お前わかってるじゃん、と言うように。
「つーか、今更であれなんだけど、そもそもこいつのキャラとか設定自体が間違ってたりするのかなあ」
 うわ、俺今すげー嫌なこと言っちゃった、と翔太が顔をしかめる。すると劉生君が胡坐あぐらをかいたまま、どうっすかね、と首をひねった。
「一応、この子の過去にはちらっと前のシーンで触れてるじゃないすか、だから、背景は伝わると思うんすよ。この役の本心が、言葉で語られてないってだけで。ってことは、演出の問題じゃないかなあ」
「あー。あ、でも逆に、逆にだけど。この、説明台詞ぜりふがいらないとか? まるごと削っちまうか」
「それだと、この後の台詞とのつじつまが合わないんじゃないすかね」
 ああでもない、こうでもない、と意見をぶつけ合いながら、翔太が自分の頭に思い浮かんだ修正案を台本に書き殴っていく。ほとんど口を挟むすきもない。
「マジかぁ。ここまできて、考え直しかよ」
 話し合いの末に、翔太は持っていたボールペンを投げ捨て、そんな言葉を口にした。翔太の台本は気がつけば、元の台詞が見えないくらいの色文字や蛍光マーカー、自分のメモ書きでいっぱいになっていた。
「演劇って、めんどくせーなあ」
 それを聞いた劉生君が、そっすね、と笑う。
「でも、やるしかないよな」
「……っすね」
 しょうがない、やってやるかあ。そう言って、翔太が再び台本に向き直る。うんざりしたような声音とは裏腹に、翔太は今の状況を心のどこかで面白がっているように見えた。すごく生き生きしている。そうだ。翔太がこんな風に演劇に向き合っているのを、再会してから初めて見たような気がした。
 当たり前だけど、私達は歳を取った。肌はかつての艶を失い、皮膚はたるみ、細かなしわが何本も刻み込まれている。目元には、隠しようのない日々の疲れがにじんでいた。なのに、どうしてだろう。無心で舞台作りに没頭する翔太の横顔には、学生時代と同じ、かつての彼の面影がはっきりと浮かんで見えた。

『ほんとに、ごめん』
 私達の前に久しぶりに姿を現した翔太は、長い長い沈黙の末、ぽつりとそう呟いた。
 公園での出来事から数日もしないうちに、〝劇団アキレスとうさぎ〟は演劇祭への不参加を決めた。決めた、と言っても私達の意思ではなく、運営側からの、ほとんど一方的な通告だった。例の傷害沙汰を不問とするかわりに、速やかに参加を辞退して欲しい。そして、今後この演劇祭や参加団体には一切関わらないこと。当然、こちらに拒否権はない。
 水面下では早い段階でこの話が進められていたらしく、これらが決定事項として発表されるや否や、演劇祭の社会人劇団枠はすぐに代わりの劇団で埋められた。私達と同じような年代の人間で構成された、同じような規模の公演を重ねている、同じような作風の劇団だった。その首がすげ替えられることに、何の問題もなかった。私達の入り込む隙間など、初めからなかったかのように。
 ただし、本番直前の公演中止は一部の関係者の間で物議をかもした。SNS上で、ちょっとした炎上騒ぎにもなった。しかし、所詮は閉じられた世界での出来事に過ぎない。それから間もなく、世間的に多少知名度のある有名演出家のパワハラ疑惑が取りざたされるや否や、人々の関心はあっという間にそちらに移って、すぐに話題にものぼらなくなった。翔太からアキうさのグループLINE宛に「以前の稽古場に来て欲しい」という連絡が入ったのは、それからすぐのことだった。
『当然だけど、今回のことは、全部主宰の俺に責任があります。今までずっと手伝ってくれた人にも、途中でこの座組を去った人にも、大学の後輩達にも。本当に申し訳ないと思ってる。みんなの気持ちも、お金も、労力も、全部を踏みにじる結果になってしまって』
 本当に、申し訳ないと思ってる。そう言って深々と頭を下げ、ゆっくりとこちらに向き直る。翔太はどこかき物が落ちたような顔をしていた。
『……で、どうするの?』
 重苦しい空気が流れる中、最初に口を開いたのは、今日きようだった。
『ていうか翔太、どうしたいの? 散々迷惑かけといて、謝ってそれで終わり? なんのためにあたし達のこと、わざわざここに呼び出したりしたわけ。それこそ高校演劇かっつーの。翔太、大人でしょ? 大人なら大人らしくしなよ、ちょっとは』
 ここに来るのも、ただじゃないんですけど。今日子は、まくし立てるようにそう言い切った。今日子にそこまで言われてしまうと、他の人間は言うことがなくなる。もちろん今日子にも、それはわかっているはずだった。
 翔太は再び黙り込み、しばらくして、意を決したように口を開いた。
『……もしみんなが、許してくれるなら。いや、許してくれなくても、俺は』
 もう一回、劇をやり直したい。
 新しい脚本で、新しい劇場で。もう一度だけ、舞台を作りたい。それが、翔太の望みだった。もちろん、そう簡単に話は進まなかった。しばらくの間、ふざけんなとか、ありえないとか、ありとあらゆる雑言が翔太に降り注いだ。誰もが今日子のように、やさしくあれるわけではないのだ。
 劇を馬鹿にしてる、と怒った人もいたし、一発殴らせろ、そしたら許す、と言った人もいた(翔太がその人に本当に殴られたのかはわからない)。この座組を去った人間の気持ちを考えているのかという声もあった。演劇を辞めるべきでは、と厳しい言葉をかける人もいたし、何を今更、とあきれた様子の人もいたし、もう一切連絡をよこさないでくれ、と言って部屋を出て行った人もいた。けど、そこまで聞いても翔太の意志は変わらなかった。もう一度だけ、劇を作るチャンスが欲しい。なんで、とか、どうして、という話もしなかった。ただ、作りたい。それだけだった。
『俺、やってもいいっすよ』
 まず最初に、劉生君が手を上げた。ここにいる全員が自分の元から去ることも覚悟していたのだろう。それを聞いた翔太が、お前ほんとにいいやつだなあ、と言って顔をゆがませ、ぐずぐずと泣き出した。翔太は公園での出来事以来、涙腺がバカになっているらしい。
 すると、それまで黙って話を聞いていたメンバーからも、ぽつぽつと手が上がり始めた。
 そこそこ長い付き合いだし。
 こうなったら最後までやらないと、後味が悪い。
 そこまで思い入れないんで、手伝いくらいなら。
 理由は様々だったけど、なんだかんだ半数近くのメンバーが、この座組に残留することを約束してくれた。リスタートを切るには、十分過ぎる人数だった。そんな風にして、私達は再び、イチから舞台を作り上げることになった。私達は皆、薄々気づいていたのだと思う。この公演がアキ兎にとって、最後の舞台になるだろう、ということを。

 それから二週間後、翔太が書き上げた脚本のタイトルは、『誰かが世界を救ってる』。
 愛する人を救うためにタイムリープを繰り返す選ばれし主人公の物語──ではなく、主人公がタイムリープして過去を改変することで、めぐり巡って世界が滅亡することを知った周囲の人間達が、あの手この手で主人公のタイムリープを阻止しようとするSFコメディだった。
 物語の冒頭、主人公目線では同じ一日を繰り返しているだけのように見えた周囲の人間達が、中盤からは主人公の目をかいくぐり、いつもと変わらない日常を送るために右往左往している様が、ユーモアたっぷりに描かれる。
 後半は主人公の日常風景に徹していたはずの脇役たちが、自分も世界を救いたいと主張し始め、無理矢理タイムマシンに乗ろうとしたり、物語の途中で主人公が入れ替わったり、タイムマシンをこの世から消滅させようとする第三勢力との闘いが繰り広げられたりするのだけど、ラストは文句なしのハッピーエンドだ。
「──あと、二場のあそこも。このちょっと前の辺りから、シーンがグダってる感じするんだよな」
「あれ、きちんと動きが詰められてないからっすかね?」
「あー。確かにそれも、あるかもな。思ってたよりアクションがもたついてるっつーか。お前がみんなの制止を振り切るとこあるじゃん? あそこ、全員が劉生の動きを待ってる感じに見えちゃうんだよな」
「あ、それは俺もやってて感じました。だからやっぱり誰がどのタイミングで、とか、事前にもっと細かく決めといた方がいいかなって。そういえばこれ、前に客演した劇団の指導の人から聞いたやり方ですけど……」
 結局、二人は休憩時間をまるまる使ってああだこうだと演出や台本の修正について話し合っていた。そのせいで音響プランの打ち合わせがずれ込んだ、となかさんが珍しく怒っている。今回の公演で音響チーフを務める田中さんもまた、この座組に残ることを決めたメンバーの一人だ。
『もちろん、最後までやりますよ。仕事ですから』
 途中で投げ出すとか、嫌ですし。田中さんはさらりとした口調で言っていたけど、本当は、ちゃんとのいざこざを気にしてくれているのかもしれないな、と思った。とはいえ、貴重な戦力であることには変わりない。
 やがて、部屋に散らばっていた仲間達が翔太の元に集まり始めた。休憩時間の終了が近づいている。それに気づいた翔太が、やべ、もうそんな時間か、と慌てた様子で立ち上がった。全員そろったところで、ようやく稽古が再開した。私を含め、役者達がそれぞれの立ち位置につく。
「じゃあえっと、さっきのところから。よーい」
 はい、と翔太が手をたたこうとしたその時、がたがた、と入口の方から大きな物音がした。思わず全員が振り向く。しかし、建て付けが良くないのか、開け方が悪いのか、戸はなかなか滑らない。少しして、中途半端に開いた戸の隙間から、誰か手伝って、と声が聞こえた。
「ごめん、両手塞がってて。誰でもいいからちょっと開けてくれる?」
 声の主は戸が開くや否や、どすんと音を立てて腕にかかえていた荷物を床に置いた。
「ありがとね、予想以上に重くって。これ、意外と腰にくるわー」
 そう言って伸びをしながら顔を上げたのは、今日子だった。
「今日子さん、ありがとうございます。それ受け取ってくれて」
 田中さんが今日子の元に駆け寄り、ねぎらいの声を掛ける。
「ううん、全然。そのくらいしかできることないし」
「あ、それってもしかして」
「そう。さっき届いたの。早くみんなに届けた方がいいかなって思って」
「え、マジっすか?」
「今日子さん、ナイス」
 みんな、箱の中身に興味津々だ。稽古は一旦中断して、先にそっちを開封することになった。劉生君が、俺開けたい、と言って段ボールに飛びつく。みんな、なんでお前なんだよ、とか、早く開けなよ、とか、やいのやいのと勝手なことを言い合っていた。
「……ありがとな」
 そのけんそうに交じって、翔太がさりげなく今日子に声を掛けるのが聞こえた。背後では会話が続いている気配がしたけど、わざわざ聞き耳を立てるのも無粋に思えて、それ以上耳をそばだてるのはやめた。だから、今日子が翔太の言葉に、なんと答えたのかはわからない。
 アキ兎が実質解散状態となってから今に至るまで、二人がどのような話し合いを経て、どういう道を選んだのかは聞いていなかった。二人の間に特段変わったような空気はなく、あのまま別れてしまったようにも、またよりを戻したようにも見える。それが二人にとって、いいことなのか悪いことなのかはわからない。
「お、開きました! からの~?」
 そのノリうざい、とか古い、とか散々なことを言われながら、じゃじゃーん、という掛け声とともに劉生君が箱の中から取り出したのは、出来立てほやほやのフライヤーだった。周囲から、おお、と歓声が上がる。ふわりと、乾いたばかりのインクの匂いがここまで届いたような気がした。

#6-2へつづく
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